第12話 SATORI「悟り」の波紋

 アキラが亡くなって三日目の朝、一般区画はいつもの同じ騒音で始まった。 

 だがミレイにとって、今はその騒音すらも、遠い世界のもののように感じられる。


 ミレイは目を閉じ、呼吸を整えようとする。しかし瞑想に集中しようとすればするほど、アキラの最期の瞬間が鮮明に蘇ってくる。あの時の彼の表情、突然の恐怖。

 心の奥底で何度も反芻される。

 アキラは生まれた環境の犠牲者ではなかったのだろうか?…アキラの傲慢さ、幼い言葉や想い、向けられた悪意の為に、自ら死んでいった。混乱と焦燥のうちに…。何故死なねばならなかったのだろうか?これも彼の運命だったのだろうか?


「私のせい…?」


 沢山の死と向き合わなければならない自らの運命。死への悲しみ、そして自分のせいではないか?という罪悪感、自責の念が、彼女の内側で静かに燃え続けていた。それらすべてが、彼女の心の中で静かに渦巻いている。

 しかし、不思議なことに、その罪悪感の奥に、何か新しいものが生まれようとしていた。それは慰めでも諦めでもない。…この世だけでは説明ができない、もっと根源的な何か。愛することの本当の意味、そして生きることの深い意味。静かな理解とも言えるような『悟り』。


 ミレイの瞑想が深まるにつれて、周囲の人々に微妙な変化が現れ始めた。それは最初、彼ら自身も気づかないほどの小さな変化だった。そして、ミレイもまだ、自分の想念が周囲に与えている影響に気づいていない。

 『悟り』の深い意識レベルと、打算のない真摯な心の動きが、宇宙船という閉ざされた空間に、新しい可能性の扉を開きつつあったのだ。



 アキラが亡くなって、二週間が過ぎた頃。

 中年の配管工は、いつものように慌ただしく作業をしていたはずなのに、ふと手を止めていた。 

 彼の粗い指先が、なぜか震えている。長年忘れていた何かが心の奥で蠢いていた。それは故郷への思い、家族への愛情、そして自分が本当は何を求めているのかという、ずっと避けてきた問いかけだった。

「なんだろう...この懐かしさ」

 彼は自分でも説明のつかない感情に戸惑っていた。それは懐かしさであり、同時に深い孤独感でもあった。


 清掃係の若い女性は、モップを握る手が止まっていることに気づいた。彼女の瞳に涙がにじんでいる。それは悲しみではなく、むしろ安堵に近い感情だった。長い間、心の奥底に封じ込めていた母への想いが、優しく解放されていくのを感じていた。

「なんだろう...この安らぎ」

 母娘は言葉を交わすことはなかったが、同じ静寂の中で、似たような内面の揺らぎを経験していた。それぞれが抱える孤独や不安、そして誰にも言えずにいた本当の気持ちが、静かに表面に浮かび上がってくる。


 いつもの無機質な通路が、なぜか温かく感じられる。金属の冷たさが和らいで見え、機械的な音すらも不思議と心地よく響く。それは単なる心理的な変化ではなかった。

 宇宙船の構造材に含まれる可塑性メタフォリウムが、ミレイの想念波動に反応していたのだ。この特殊な合金は、強い精神的共鳴に曝されることで分子構造が柔軟化し、周囲の環境を使用者の深層意識に合わせて微調整する性質を持っている。ミレイの純粋な悲しみと愛の波動が、金属の原子レベルでの振動パターンを変化させ、光の反射率や質感、さらには微細な形状までもが、より調和的なものへと物理的に変容していた。


 通りかかった一般区画の住人たちは、自分の感覚の変化に困惑していた。

 この場所に、今日初めてここに来たような新鮮さを感じている。しかし同時に、それがどこか不安でもあった。慣れ親しんだ現実が揺らぐことへの、本能的な恐れ。


 中央制御室では、オペレーターたちが非科学的な状況に戸惑っていた。

 警告システムは異常を知らせているのに、実際の船内状況は改善されている。この矛盾に、彼らは困惑と不安を隠せずにいた。長年の科学で培った判断基準が、まったく通用しない状況に直面している。

「どう報告すればいいんだ...」ベテランのオペレーターが呟く。

 自分の専門性への疑問と、未知のものに対する恐れが混じっていた。


 中央制御室・情報管理センターで、オペレーターから報告を受けたアキラの父・ケンジは、データ画面を見つめながら複雑な感情に支配されていた。息子を失った悲しみを、仕事への集中で紛らわせようとしてきた。数値やグラフは嘘をつかない。感情のように不安定ではない。だが、彼の科学者としての冷静さが揺らいでいる。

「ミレイ...」息子の最期に関わった名前を呟くたび、ケンジの胸は複雑に締め付けられる。息子の死に関わる少女への感情は、簡単に整理できるものではない。

 しかし、データが示す、ミレイが起こす波動の美しさと純粋さを前にして、彼は自分の感情の混乱を認めざるを得なかった。科学者として興味を抱く自分と、父親として苦しむ自分。その両方が、同じ心の中で激しく葛藤していた。


****


 富裕層エリアのサロンで、エリザベス・スターリングは表面上は優雅にティータイムを楽しんでいた。だが彼女の機械化された心は、冷静に状況を分析していた。


「興味深い現象ね…『SATORI』の影響なのかしら?」


 情報管理センター長ケンジ・サイトウから届いた報告を、秘書から聞きながら、彼女の内面では既に様々な可能性を計算していた。

 この少女の能力をどう利用するか?どうコントロールするか?…そして、どう自分の地位向上に活用するか?


 エリザベスにとって、感情は戦略的な道具でしかない。

 機械化によって失ったものと引き換えに得た冷徹さが、今では彼女の最大の武器となっている。だが時折、機械化される前の自分を思い出し、微かな違和感を覚えることがあった。それは決して表には出さない、彼女だけの秘密だ。


https://youtu.be/TkhkDefNjes?si=k_ZHAK-HkFiWSGRR

いのちの問い Questions of Life 〜瞑想曲 Instrumental 環 弦 Gen Tamaki

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