第21話 君に会えて

 一九七三年 夏――

 昼下がりの東京都内の撮影スタジオでは、今年の年末に公開される映画「暖簾」の撮影が行われていた。

 ルミは控室で細身の花柄のシャツと黒のパンタロン姿に着替え、毛先をカーラーで巻いて仕上げた長い髪を揺らしながら出番が来るのをずっと待っていた。しかし、ルミはいかつい見た目と裏腹に、緊張で全身が締め付けられる思いをしながら控室の隅っこで子猫のように震え続けていた。


「小野田さん、出番だよ」


 監督の上田がルミを呼ぶ声がした。

 ルミは立ち上がると、同じ年齢位の若い俳優たちとともにセットの中に入った。

 そこには作務衣の上にエプロンを付けた明の姿があった。


「遠慮するな。思い切りぶつかってこい」


 明はルミの耳元でささやくと、ルミは表情をこわばらせながら大きく頷いた。

 ルミは高校を中退し、夜の街をさまよう女番長グループの頭・野島のじまハル役として、下町の廃業寸前の居酒屋「むげん」の戸を開けた。

 店の中には、明が演じるアウトロー出身の店主・秀介しゅうすけが包丁を手に待ち構えていた。明は、長い髪の隙間からうつろな目でルミを見ていた。


「ちっ、シケた店だな。ちょっと、お兄さん、ビール出してくれる?」


 ルミは頬杖をついて睨みつけるように明を見た。


「あんたたちに出す酒なんかねえよ」

「何だって? あたいらは客だぞ。ビール出せって言ったら、出せよ!」

「帰れ。お前らガキに飲ませる酒なんかねえ」


 明はおぼつかない足取りで包丁を手にすると、カウンターからルミの前に突き出した。


「とっとと帰りやがれ! 俺はお前らが女でも容赦はしねえぞ。分かったか!」


 ルミと明はしばらく睨み合ったが、やがてルミは「こんな店、出て行ってやる」と捨て台詞を吐いて店の外に出ていった。


「カーット!」


 上田はメガホンを口に当て、スタジオ内に響く声を上げた。同時に、スタッフから割れんばかりの拍手が起きた。


「一発OKだ。いやあ、成長したな。最初の頃は何度も撮り直しになって、そのたびに君のことをどやしつけたんだけどな」

「監督の教育のお陰ですよ」


 メガホンを叩きながらルミを誉めそやす上田の傍らに、エプロンを掛けた明の姿があった。明は片手をルミの方に伸ばし、ルミの細い手をしっかりと握りしめた。


「おつかれさん」


 ルミは不良っぽい出で立ちに似合わぬほど顔を赤らめ、しばらくの間、明を凝視できずにうつむいていた。


「よく頑張ったね。セリフも増えたし、セリフに合わせて体の動きも入るから、気を遣ったんじゃないか?」

「はい……明さんに良い演技を見てもらいたくて」

「すごく良かったよ。僕があの時見込んでいた通り、君には素質があると思うよ」


 明はルミの肩に手を置いて微笑んでいたが、近くに居た付き人から「赤城さん、次の場面の撮影、もうすぐですよ」とささやかれると、申し訳なさそうに片手を振って早足で歩き去っていった。

 取り残されたルミは、所在なさげな様子で傍にいた上田に尋ねた。


「あの、監督……赤城明さんとの共演って、この場面だけですか?」

「そうだ。君はこのあと不良グループ同士で街中で言い争いになる場面があるけど、そこには明君は登場しないからね」

「出演依頼に来た時、明さんとセリフの掛け合いがあるって聞いていたから、期待していたのに……役柄も含めて、これじゃ前作とあまり変わり映えしないような気がしますが」

「ごめんよ。あの後色々と協議して、明君との絡みは結局この場面だけになっちゃったんだよね」


 上田は苦笑いしながら、他のスタッフと共に次の現場へと去っていった。

 明とセリフのやりとりが出来ると意気込んで撮影に臨んだのに、あまりにもあっけなくて「共演」というにはほど遠く、ルミは正直騙されたような気持ちになった。

 明は京都でルミと交わした『他の誰ともお付き合いせずに君を待つ』という約束をしっかりと守っていた。あとは、どうやって明との関係を深めていくかが問題だった。何かのきっかけで、明と二人きりになれる時間をもっと持ちたかった。


 一九七三年 十二月――

 映画「暖簾」は公開後、順調に収益を伸ばしたこともあり、年末に映画配給会社の主催で映画の成功を祝うパーティが東京都内のホテルで実施されることになった。ルミは、上田や他の出演者たちとともに宴席に参加した。

 パーティの参加者達は、誰もが小綺麗に着飾っていた。普段はTシャツにジーンズというラフな服装が多いルミも、今日は専属のスタイリストが付き、しっかり化粧をして普段は着ないような可愛い服を着せてもらっていた。


「うわ、小野田さん、アグネス・チャンみたいですごく可愛いなあ。スカートがすごく短いのも最高だよね」


 上田はヘラヘラと笑いながら、ルミの大きく露出した太腿の辺りを指さした。


「やめてください、監督! 普段こんな短いスカートは穿かないから、さっきから心が落ち着かないんですよ」

「いいんだよ。君は若いし容姿端麗だ。せっかくだから、男どもに積極的に話しかけて彼氏でも作ったらどうなんだ? みんな君にイチコロだぞ、ん?」


 上田は目配せをしながら、手にしていたコップのビールを一気に飲み干した。

 ルミは白のタートルネックのセーターに紺のジャンパースカート風のミニスカート、白のハイソックスという出で立ちであった。スタイリストは映画の役柄のような不良っぽさを出来るだけ抑えようと、あれこれと頭をひねって清純な雰囲気を作り出してくれたようだ。しかし、服装と言い背中までの長い髪を真ん中で分けた髪型と言い、どう見てもアグネス・チャンのようだった。しかもスカートの丈があまりにも短く、太腿が半分以上見えてしまっていた。ルミは時折恥ずかしそうに腿の辺りを押さえながら、他の出演者たちとともに各テーブルを回った。


「ねえみんな、赤城明が来てるわよ!」

「え? 本当? どこにいるの?」


 突然、場内から突然若い女性たちの声が上がった。ルミは首を左右に動かして明を探そうとしたが、会場に来ていた女性たちは一目散に会場の奥のテーブルに駆け出していた。そこには、パーマの掛かった髪を肩まで伸ばした明の姿があった。

 明は流行のグレーのスリーピーススーツに身を包み、太い幅のネクタイを締め、上着のポケットからハンカチをのぞかせていた。お洒落な雰囲気を醸し出す明の周りには、若い女性たちが黄色い声を上げながら取り囲んでいた。

 ルミは明のことが気になっていたが、その輪に入ろうとしなかった。彼女たちは明にサインや握手を要求し、恋愛対象というよりもミーハーなファンという感じで接していた。ルミは、彼女たちのように軽々しく明に接しようと思わなかった。

 パーティも終わる時間が近づくと、参加者たちは徐々に会場から姿を消していった。明を取り囲んでいた女性たちも、いつの間にか姿を消していた。

 ルミは若手ということもあり、出来る限り多くのテーブルを回り関係者に挨拶をしていたせいか、最後まで会場に残っていた。そして最後に、明のいるテーブルの前に立ち、挨拶をした。


「こんばんは」


 ルミは、手にしたビール瓶を明のコップに注いだ。


「ごめんなさい、今日は明さんが買ってくれた緑のワンピースじゃなくて」

「ああ、気にしなくていいよ。今日の洋服、とってもかわいいよ」

「でも私、普段はこんな短いスカートは……」

「何恥ずかしがってるんだよ。ミニスカート、すごく似合ってるよ」


 ルミは片手で腿の辺りを押さえつつ、照れ笑いを浮かべていた。


「どうだった? 初めての本格的な俳優デビュー、緊張しただろ?」

「はい……こんなにも大変だったんだなって、びっくりしました」

「でも、大したもんだよ。セリフが増えたのにしっかりこなしていたし、演技も情感がこもっていて、本当に若手なのかと思うくらい素晴らしかったよ」

「ありがとうございます。でも……」

「ん? 何か不満でもあるのかい?」

「明さんとセリフを交わしたのは、ほんのワンシーンだけだったから……」

「アハハハ、そうだったね。僕も期待していたけど、確かに拍子抜けだったよね」


 すると明は、隣に座る丸眼鏡をかけてワイシャツに蝶ネクタイを結んだ愛嬌のある顔の男性の方を向いて、片目を閉じて微笑みかけた。


榊原さかきばらさん、この子、どうですか? 次の作品に向けて清純っぽい子を探してるんですよね?」

「ふむ……でも、彼女はここまでずっと不良っぽい役を演じていたんでしょ? 清純で可愛い少女という役柄はこなせるの?」

「確かにここまではそうです。でも、この子の持ち味を出せるのは不良役だけじゃないと思います。彼女の内面はとても清冽で繊細で、どこまでも一途です。清純な役も十分こなせると思いますよ」

「ふーん……」


 榊原という男は、ジョン・レノンのような丸っぽい眼鏡に手を掛けながらジロジロとルミの全身を見回した。ルミは居心地の悪さを感じたが、やがて榊原は大きく頷き、明の前に親指を突き出した。


「OK、いいでしょう。洋服も可愛く着こなしてるし、私なりにこの子から可能性は感じ取りましたから」

「ありがとうございます」


 明は榊原の前で深々と頭を下げた。


「今の話、聞いたかい? ここにいる榊原さんは、次に僕が出演する映画の監督を務める人なんだ。榊原さんにOKもらえたから、君も出てもらうことになったからね」

「……本当ですか?」

「恋人じゃなく僕の妹という設定だけど、僕と一緒に撮影する時間はグッと増えるからね。良かったね、可愛い服を着てきた甲斐があったんじゃないか?」

「はい。この服、正直すごく恥ずかしかったけど……」


 夢だった明との本当の意味での共演――しかしもうそれは夢ではなく、現実になるかもしれない。ルミは次第に涙腺が緩み始めた。

 パーティが終わり誰も居なくなった会場で、明はルミを両手で抱きしめた。

 ルミは明の胸の中で、声を上げて泣き出してしまった。

 明に会いたい一心で大学受験を止めて俳優の道を選び、厳しい稽古に耐え、台本を丸暗記し、緊張からうまく演技が出来ず何度も監督に怒られた――辛くて泣き続けた毎日が、全て報われたような気がした。

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