最終話~冒険はまだ終わらない~

 一九七八年 七月――

 ルミは映画の撮影の合間を縫って、数年ぶりに東北の田舎町にある実家に帰郷していた。時間に拘束されることなく、家事をすることもなく、思う存分寝て過ごせる日々は、仕事に追われて過ごすルミにとってはこの上ない贅沢だった。


「ルミ、則夫さんが来たわよ」


 穏やかな時の流れをうち破るかのように、母・節子の声がした。


「はーい。今、行くからね」

「しかし、どういう風の吹き回しなのかね。以前は則夫さんが来てもしぶしぶ顔を出していたあんたが、自分から会いたいだなんて言い出すなんて」

「いいじゃない。会っちゃダメなの?」

「そう言う意味じゃないけどさ。あんたには彼氏がいたんじゃ……」


 ルミは節子の言葉を最後まで聞くことなく、玄関へと駆け出していった。


 幼馴染の則夫は高校卒業後、地元の自動車整備工場に就職し、今も実家に暮らしていた。ルミは高校時代、京都に映画の撮影に向かう時に両親の前で一緒に頭を下げてくれたお礼に則夫とデートする約束をしていたが、これまでずっと果たせないでいた。

 あれから六年が経ち、ルミの気持ちにはようやく則夫とデートするだけの余裕が生まれた。


 ルミが庭に出ると、そこにはヘルメットを被った則夫が大型バイクのエンジンをふかして待機していた。

 ルミが姿を見せると則夫はヘルメットを脱ぎ、オールバックのリーゼントの髪を撫でながらはにかんだ顔を見せた。


「おかえりなさい、ルミさん」

「久しぶりね、則夫さん」


 ルミは白のノースリーブにデニムのショートパンツ姿で、肩までかかる長さのレイヤードヘアをふわふわと揺らしながら、則夫のバイクの後部席に乗った。


「あらあら、無理して突っ張ってリーゼントにしなくてもいいのに。昔の七三分けの方が似合っていたわよ」

「いや、僕は最近矢沢永吉が好きで、髪型も永ちゃんと同じにしてるんですよ。手入れにすごく時間がかかりますけどね」

「永ちゃん? たくろうはどうしたの?」

「最近はちょっと……ギターも最近弾いてなくて」


 則夫は苦笑いして、後部席に置いていたヘルメットをルミに手渡した。ルミはヘルメットを頭に取り付けると、申し訳なさそうな様子で話し始めた。


「なかなか帰ってこれなくてごめんね。あの夏からずーっとになっていたデートの約束、これでちゃんと守ったでしょ?」

「アハハハ、そうですね。あの約束、覚えていてくれて嬉しかったですよ。とりあえずこの辺には何も無いし、街に繰り出しますか」

「うん。デートコースは全部お任せするよ」


 則夫は自分のヘルメットを装着すると、一面に植えられた青苗が風に揺れる中を速度を上げて一気に駆け抜けていった。


「お仕事、順調ですね。今度の映画は、ベテラン俳優の若田春樹わかたはるきさんと共演するんですよね?」

「アハハ、最初は私なんかでいいのかなって思ったけど、小野田さんじゃなくちゃ困るって監督から頭を下げられたからね。今度初めての海外ロケがあるのよ。オーストラリアだって、楽しみだなぁ」

「いいなぁ、海外に行けるなんて。ここまでトントン拍子で来ていますね」

「何かの偶然だと思うわよ。どこかで振り落とされるんじゃないかと思うと、怖くて眠れなくなることもあるの」

「そうですよね、天国と地獄が隣り合わせの世界ですもんね、芸能界って」

「あら、やけに詳しいのね」

「ルミさんのお父さんがいつもそう言っていますよ」

「もう、余計なことばかり則夫さんに言うんだから……」


 バイクは深い森に入り、細く険しい林道を抜け、そのままつづれ折りの道路を一気に下っていった。バイクは風を突っ切るようにスピードを上げ、山々に遮られていた視界は徐々に開けていった。平坦な道が続き、運転に余裕が出てきた則夫は、背後に座るルミに問いかけた。


「ところでルミさん、ぶしつけな質問ですけど……」

「何なの?」

「どうして急に、僕とデートしたいと思ったんですか? 確かルミさんには好きな人がいたんでしょ? 週刊誌にも出ていたから、みんな知ってますよ。相手が赤城明さんだって……」

「あ、あそこ、私の通ってた高校だよ。懐かしいなあ、ちょっと側を通ってくれる?」


 二人の目の前には、ルミが通っていた高校が見えてきた。今日は平日であり、制服を着て楽しそうに話をしながら歩く高校生たちの側を、バイクは駆け抜けていった。高校時代、この道を照代と一緒に歩きながら、演劇とか文学の話をしていたっけ――ルミは通学路を見ながらしばらく感傷に浸っていた。

 次第に道路を歩く人の数は増え、町一番の繁華街が視界に入ってきた。

 繁華街の真ん中にある「喫茶プレイン」の看板の前で、バイクはようやく停まった。


「何か食べませんか? ここのホットサンドがすごく美味しいんですよ」


 則夫はヘルメットを脱ぐと、ディスプレイに置かれたホットサンドを指さした。


「あ、クリームソーダも美味しそうね。じゃあ、入ろうか」


 ルミは則夫と肩を並べて店に入った。狭い店内のためか置かれているテーブルも小さく、テーブルを挟んで座る二人の距離は、お互いの息遣いを感じる程近く感じた。


「いいなあこの店、こんな近くにルミさんを感じることができるんだもん」

「やめてよ。相変わらず変な所があるね、則夫さんは」

「アハハハ、冗談ですよ。でも、こんな美人を間近で拝めて、ここまでずーっとデートの日を待ち続けた甲斐がありましたね」


 則夫は顔がにやけていたが、それから一分もしないうちに突如顔をしかめ始めた。


「どうしたの、顔色悪そうだよ」

「ご、ごめんなさい。ずっとだいべ……いや、トイレを我慢していたので、ちょっと行って来ても良いですか?」

「どうぞ、私に遠慮なんかしなくていいわよ」


 則夫は立ち上がると、一目散にトイレへと駆け込んでいった。ルミは則夫が戻るまでの退屈しのぎに、近くの雑誌コーナーに置いてある雑誌を探した。

 置いてあるのは少年漫画ばかりだったが、一冊だけ週刊誌が混ざっていた。

 表紙には大見出しで「赤城明 ついに結婚か? 同棲していた若手女優と別れて元恋人だったバレリーナと再会後、急展開」と書いてあった。この文字を見ただけで、ルミの雑誌を持つ手が激しく震えた。


「お待たせしました。いやあ、すっきりしました」


 背後から、則夫の声がした。


「あれ? どうしたんですか……顔が引きつってるし、手も震えてますけど」

「な、何でもないわよ!」


 ルミは声を荒げながら手にしていた雑誌をラックに戻そうとした。しかし、慌てていたせいか、雑誌はラックにぶつかり、そのまま則夫の足元に落ちてしまった。


「え……赤城明って、結婚するんですか?」


 則夫は驚いた様子で雑誌を拾い、興味深そうにページをめくっていた。


「ちょっと、何読んでるのよ!」


 ルミは則夫の手から雑誌を奪い取った。


「だから……僕とデートしようと思ったんですね。やっと理由がわかりましたよ」

「ごめんね、黙ってて」


 ルミは頬杖をつき、うつむきながらこれまでの経過を語った。

 思い出すとあまりにも辛く、すぐにでも忘れたいことばかりだったので、話し続けるうちに目の中に涙が溢れ出てきた。


「そう言えば、あの緑色のワンピースはどうしたんですか? あれは確か明さんがルミさんにプレゼントしたんですよね?」

「そうよ。でも、別れた時に彼に返したの。これを私の思い出だと思って、ずっと大事にしてほしいって。私のことを忘れたいのなら、どうぞご自由に処分するなり他人にあげるなりしてちょうだいって……」


 ハンカチで何度も目元を拭いながら、ルミは言葉を続けた。


「別れてからしばらくは、食事も喉を通らないほど辛かった。でも、彼には感謝してるんだ。彼がいたからこの業界に入ったようなものだし、ここまで頑張ってくることができたから」

「そうですか……まあ、世の中全て思い通りにはいかないですもんね。僕も、いつの日かルミさんと結婚したいって思っていましたけど、それも叶わない夢になりそうですから」

「え?」

「僕のことが好きだっていう子が現れたんです。僕の工場に車検に来る子なんですけど、何度も顔を合わせてるうちに告白されたんですよ。僕はルミさんのことが頭にあったけど、その子の猛アタックに負けて、今は仲良くお付き合いしています。少しずつですけど、お互いに結婚も意識し始めていまして……」

「な、何ですって!? 則夫さんに、彼女が……?」

「何もそんな騒がなくたって。僕に彼女が出来ちゃいけないんですか?」

「だって、あなたみたいないい男……もし明との関係がだめになった時は付き合おうかなって思ってたのに」

「えええええ? 『いい男』? ホントですか?」


 ルミはまんざらではなさそうな様子で、軽く頷いた。


「でも、相手がいるのか。残念だなあ。何だか私が高校時代に書いてた小説みたい。決してハッピーエンドになれない、救いようのない結末というか」


 ルミがため息をつきながら顔を下げると、則夫は笑いながらルミの顔を横から覗き込んだ。


「じゃあ、今日だけは僕の彼女になってくれませんか。僕も、付き合ってる子のことを忘れますから。あ、ホットサンドとクリームソーダが来ましたよ。少し腹ごしらえしたら、どこかに遊びに行きましょうか?」

「……うん!」


 喫茶店で食事した後、二人は手を繋いで町中をあてもなくぶらぶらと歩いた。

 ボウリングにゲームセンター、ディスコと、目についた店に入ってはとことんまで遊んだ。気が付けば、西の空がすっかり暮れなずみ始めていた。

 帰り道、ルミは則夫のバイクの背中で強い眠気に襲われた。

 かなりの速度で飛ばしているはずなのに、心地よい疲れのせいか、頼りないはずの則夫の背中が包み込んでくれているせいか、身体を左右に揺らされながらもうつらうつらと眠っていた。


「もうすぐですよ、ルミさん」

「あれ……? 私、寝てた?」

「そうです。大分お疲れのようですね」

「アハハハ、そうね。でも、東京に戻ったらまた忙しくなるから、弱音は吐けないけれどね」

「良いんですよ、弱音を吐いても」

「え?」

「弱音を吐きたくなったら、遠慮なく僕の所に来てください。僕、とことんまで付き合いますから」

「でも、則夫さんには……」

「あ、気にしないでください。僕はただ、大好きだったルミさんには俳優としてもっと頑張ってもらいたいだけです。そのために、自分ができることをしたいから」


 則夫の言葉が終わると、ルミはヘルメットを上げて則夫の首に両腕を回し、頬にそっと口づけた。


「え……キス……しました?」

「うん。ホントは唇にしたかったけど、それはあなたの彼女が許さないと思うから、ほっぺだけでごめんね」


 頬に手を当てて動揺し続けている則夫を尻目に、ルミは両手を広げて風に髪をなびかせながら、満天の星が瞬く夜空を仰いだ。


「今日はありがとう。彼女とお幸せにね」

「僕のことなんて気にしないで。ルミさんこそ幸せになってください」


 ルミはバイクを降りると、則夫の背中が暗闇の中に紛れて見えなくなるまでずっと見送っていた。


「幸せに……ならなくちゃね」


 暗闇の中、実家まで続く道の途中には無数の蛍が飛び交っていた。今年もまた夏が始まろうとしているようだ。

 六年前の今頃、十七歳のルミは雑誌記事で見つけた映画のオーディションに応募し、ひと夏の冒険が始まろうとしていた。冒険を通して沢山の人に出会い、色んなことを見聞し、一生を託せる自分の夢を見つけることが出来た。けど、改めて振り返ると、それらは甘くもほろ苦い思い出になってしまった。

 でも、ルミは全く悔やんでいなかった。

 だって、本当の意味での冒険はまだまだこれからも続いていくのだから。そう、「人生」という名前の冒険が。

(了)

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十七歳・ひと夏の冒険1972 Youlife @youlifebaby

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