第10話 演じるということ
翌日、鴨川の河川敷ではオーディションで受かった不良役の少女達を集めて演技指導が行われていた。出演者全員が撮影で着用する衣装に着替えると、実際に監督が身振り手振りを入れながら、いかにして不良らしく見せるかをアドバイスしていた。
ルミ以外の少女達は、監督の指示通りに感情をこめ、身振り手振りを入れながら不良少女になり切ろうとしていた。
「あんた、ちょっと歌が上手いからって生意気やぞ」
「うちらがこれから根性入れなおしてやるわ。こっちに顔みせや」
「他の奴らがあんたを認めても、うちらは認めんからな。悔しかったら、ここで根性見せや」
彼女たちの表情や言葉は鬼気迫るものがあり、全身全霊で不良を演じているのはルミにもしっかり伝わってきた。ただ、自分の身に危険が及ぶと思えるほど脅されていると感じるほどの迫力があるかというと、正直言って疑問であった。彼女たちはルミと同様に、「不良っぽい雰囲気があるから」という理由だけで選ばれたのだろう。
やはり不良役はホンモノが演じる方が迫力があるだろうと思った。ただ、おそらくホンモノは主人公の子を本当に脅してしまうだろうし、撮影以外で色々問題を起こすかもしれないから、制作会社側としては避けたかったのだろう。
「あれれ? 小野田さんは練習しないの? 午後、実際に主人公をこの場に読んでリハーサルやるけど、練習無しでもやれるんだね?」
監督は笑いながらルミの顔を見ていた。
「はい……」
ルミは台本を持ち、監督から教わった身振り手振りを入れながらセリフを口に出そうとした。
「田舎もんの癖に……」
ルミはセリフを少しだけ口にしたものの、自分で自分を責めているような気持になり、途中からセリフを口にするのが辛くなってしまった。他の少女達が伸び伸びと声を上げながらセリフを読み上げている傍らで、ルミは台本を手に何もせず立ち尽くしていた。
午後になると、日差しが強くなり始めた。盆地にある京都の夏は暑く、山間の涼しい高地で暮らすルミの体は慣れなかった。長い時間日差しの下で立っているうちに、意識が朦朧となってきた。
「おっ、主役級がようやく到着したみたいだね。それじゃあみんな、練習を中断して集合してくれるかな」
はるか向こうから監督の声がした。小型バスが橋のたもとに到着すると、スタッフと俳優たちがぞろぞろと河川敷に降りてきた。その中でもひときわ目を引いたのが、主人公を演じる関口佐代子だった。
佐代子は顔立ちも端麗で姿勢も良く、見た目だけでもルミとは大きな差があるように感じた。ヒロイン役になるには、このくらい綺麗でないと難しいんだろう――ルミは彼女を見ているうちに、今まで味わったことのない激しい劣等感に襲われた。
「ねえ、あの子って関口佐代子だよね? やっぱり雰囲気が私たちと全然違うよね」
「大丈夫かなあ、佐代子相手に絡んだり暴言吐いたりするなんて……後で罪悪感で胸が苦しくなりそうだわ」
他の少女達も、佐代子を目の前にして面食らっている様子だった。
しかし、いざリハーサルが始まると、さっきまで見せていた不安が嘘のように彼女たちは気負いなく演技をしていた。時々言葉を言い間違えることはあっても、ほぼ練習通りの口調で佐代子を圧倒するかのように叫び散らしていた。
「じゃあ次、小野田さんの出番だけど、いいかな?」
ここまでほかの出演者たちに気合のこもった言葉をぶつけられ、やや引きつった顔で目の前に立つ佐代子。しかし、端正な顔立ちとすらりとした体形、そして何度も舞台を踏んできたからこそ醸し出せる独特の雰囲気が、ルミの言葉を喉元で堰き止めた。
「歌姫に……なりたいやと……?」
そこから先の言葉は、全く出てこなかった。
山深い田舎に住む自分が、都会で育ち幼いころから女優としての道を歩む佐代子に向かって「田舎もん」だなんて、たとえセリフだとしても言えなかった。
「どうしたんだ。さっきから何も言えずに突っ立って、佐代子ちゃんも首をかしげてるぞ」
「は、はい。すみませんでした」
監督に叱責されたルミは、目を閉じて気持ちを静め、もう一度セリフを口に出し始めた。しかし、再び「田舎もん」の手前で言葉が止まってしまった。
「もういい、さっきから顔が引きつって、気分が悪いようだから少し休んでいなさい。じゃあ他の子たちはもう一度やってみようか」
「はーい!」
ルミはリハーサルから外れると、河川敷の端に行き、地面に座り込んだ。
空には相変わらずギラギラと太陽が輝いていた。滴り落ちる汗を何度もハンカチで拭き取りながら、リハーサルを続ける他の出演者たちの声を聞いていた。
どうして他の子たちは、あの子を相手に伸び伸びと演技が出来るんだろうか? あの子たちだって自分と同じ全くの素人だし、彼女を目の前にして全く引け目を感じないのだろうか? 自分は演技をしようとすればするほど、心が苦しくなっていくのに。
「どうしたの?」
突然、ルミの真後ろから若い男性の声が耳元に響いた。
河川敷のあちこちでスタッフが警備のため巡回していたので、声の主は自分ではなく彼らに話しかけたものだと思い、ルミはふたたび腕の中に顔を突っ込んだ。
「落ち込んでるのかな? 思うように演技が出来ていないようだけど」
再び男性の声がした。その言葉は、内容から考えると明らかに自分に向けられていた物だった。
ルミは恐る恐る顔を上げ、後ろをそっと振り向いた。そこには、ゆるいパーマのかかった肩までの長い髪を七三に分け、眉が太く目鼻立ちのはっきりした若い男性の姿があった。
ルミはこの男性の顔を何度となくテレビで見たことがあった。男性は、今回の映画に出演している人気俳優の赤城明だった。
「すみません……ご心配をおかけして。私、大丈夫ですから」
「そうかなあ? さっきからリハーサルを見ていたけど、あなたは佐代子ちゃんを目の前にすると、全身が凍り付いているように見えたよ」
「……だって、自分は東北の山奥から出てきた田舎者なのに、都会育ちで幼い頃からテレビや舞台に出ている人に向かって『田舎もんが』なんて偉そうに言うことなんて、とてもできませんよ」
すると明は太い眉をひそめながら、顎に手を当てて何かを思案していた。その後、明は「ああ、そうか」と声を上げると、相変わらず下を向いたまま落ち込んでいたルミの隣にしゃがみこみ、真横からルミの顔を覗き込みながら口を開いた。
「これは演技だと思えばいい。ここでは君が都会出身であろうが田舎出身であろうが、そんなことは全然関係ない。君は京都に住む不良少女なんだ。そして佐代子ちゃんは四国の田舎から出てきた無垢な少女・奈美子なんだ。余計なことなど気にすることなく、不良少女を目いっぱい演じてきなさい」
明はそう言うと、ルミの背中を軽く前に押し出した。
ルミは体勢を崩してよろけてしまったが、真後ろに立つ明はルミの様子を見て微笑みを浮かべていた。ルミは明に釣られるかのように軽く微笑むと、ふらつきながらその場で立ち上がった。
目の前には、他の出演者たちがルミの様子を心配そうに見守っていた。
「ごめんなさい、心配かけて。気分も良くなったので、ここからまたリハーサルに参加します」
「本当に大丈夫か? 顔色悪そうだし、途中で言葉が詰まっていたようだから、どうしたのかと思っていたよ」
「大丈夫です。もう一度お願いします」
「じゃあ、佐代子ちゃん、悪いけどもう一度いいかな?」
佐代子は笑みを浮かべて頷くと、再び不良少女役たちの前に立った。
少しのトラブルでも動じない所は、さすがはここまでキャリアを積んできただけのことはあった。
他の少女達のセリフが終わり、再度ルミの出番が回ってきた。
『不良少女を目いっぱい演じてきなさい』
明の言葉を思い出したルミは、顔をしかめ、身体を左右に揺らしながら佐代子に近づいた。
「歌姫になりたいやと? 田舎もんの癖に一丁前に偉そうなこと言うんじゃあらへんよ。生意気やで、あんた」
ようやく言えた――
ルミは無事にセリフを全て言い切った。
目の前に立つ佐代子はより悲壮な顔つきになり、両手で顔を覆った。
「はい、OK!」
監督の甲高い声が河川敷に響き渡った。
「お疲れ様、素晴らしかったですよ、今の演技」
佐代子は両手を顔から離すと、さっきまでの悲しい顔が嘘のように満面の笑顔を見せた。ルミは佐代子の顔を見て、ようやく真顔に戻り、「す、すいません、生意気なこと言って」と極まりの悪そうな様子で深々と頭を下げた。
しかし佐代子はルミのことなど気にする様子もなく、他のスタッフたちと談笑しながら瓶入りのジュースを飲んでいた。
佐代子も、明の言う通り、奈美子という苛められる少女役を悲壮感たっぷりに演じていただけのようだ。ルミは、余計な心配をしていた自分が馬鹿馬鹿しく思えたと同時に、自分の演技を佐代子に褒められ、ほんのちょっと自信がついた気がした。
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