第2話(2) 王都セイント

馬車が大通りを進むと、やがて視界の先に20mを越える巨大な城壁が見えてきた。


灰色の石を積み上げて作られたその壁は、ただ高いだけではない。

分厚さも相当なもので、上部には見張り台と歩哨用の通路がぐるりと走っている。

城壁の外側には、風雨に晒されて黒ずんだ箇所もあるが、ひび割れ一つない。


異人区と城下町の間には、この城壁が城下町を包み込むように一周しており、外側から抱きしめるように取り囲んでいた。

“境界線”というより、“檻”。

異人から見ればそう呼んでもおかしくない造りだが、王都の人間にとっては千年以上「平和を守ってきた盾」として崇められている。


異人区側からはこちらへ簡単には入れないようになっている。

大通りが通る場所にだけ大きな関所が設けられており、そこが唯一の出入口だ。


鉄製の門が口を開けている。

門扉には王家の証である番の馬と、その下に鷲の紋章が彫り込まれている。

番の馬は王家の支配を、鷲はそれを支える貴族と騎士の力を表していた。


関所の前には、胸に鷲のエンブレムが描かれたプレートアーマーに身を包み、ハルバードと大盾を持つ騎士が通行人を監視している。

異人は組でまとまって列に並び、全身をくまなく調べられてからでなければ門をくぐれない。


どの騎士も背筋を伸ばし、磨き上げられた鎧を身に着け、自分達こそがこの国の“秩序”だと言わんばかりの顔をしている。

騎士とは貴族の中でも戦いに専念した者の役職である。

他に政治や行政に携わるものを役人と呼ばれている。


この城壁と関所は、表向きには「外敵から王都を守る砦」として語られる。

だが実際には、異人区と城下町のあいだに見えない線を引き、互いの世界を分けるための仕組みでもあった。


カールが乗る馬車は、その関所を素通りしていく。

王家の紋章が描かれた馬車に、検問など必要ない。


もちろん騎士たちも誰が乗車しているのかわかっているので、

大盾を地面に立てて胸を張り、右手を額に当てて最大の敬礼をして見送る。


門を抜けると、先ほどの異人区と違い明るく賑やかな雰囲気が街を包み込んでいた。


石畳は同じはずなのに、こちら側はよく磨かれていて、足元で陽光がきらきらと跳ねる。

両脇に並ぶ建物も異人区とは違い、二階建ての木造や石造りの店がびっしりと並び、色とりどりの看板や布が通りにせり出している。

パン屋からは焼き立ての香りが漂い、果物屋の前には山盛りの果物が並べられ、行き交う人々の笑い声や呼び込みの声が絶えない。


楽しそうに買い物をする家族、友達と走って通りを抜ける子供達、犬を連れてのんびりと散歩する老人。

異人区で見た、ただ“働くために歩く足”とはまるで違う。

顔を上げ、好きな場所へ好きなように歩く“自分の意思を持った人間”たちがここにはいた。


先ほどとは違い、ここには生活があるのを感じる。

王都の者たちにとって、これが「当たり前の日常」なのだ。

異人がどれだけ汗を流そうが、どれだけ傷つこうが、その裏側をわざわざ想像する者はほとんどいない。


少し進むと飲屋街も見えてくる。

テラスには酒を飲み楽しそうに語り合う若者たちが大勢いる。

昼間から酒をあおることができるのは、それだけこの国の「平和」と「豊かさ」の恩恵を受けている証でもあった。


酒を飲み一緒に笑い合うグループや、骨がついた肉を口から肉汁を垂らしながら食べる者、男女でダンスをして楽しんでいる者たちもいる。

店の裏口では、異人たちが水桶を運び、皿を洗い、床をこすり、ひっそりと立ち働いているが、表の客たちの視界には入らない。


中には、女性店員に言い寄り、その場で押し倒す者までいた。

押し倒されているのはもちろん異人である。

彼女たちの簡素な布切れのような服装が、「どちらが上か」を誰の目にもわかりやすく示していた。


これが、労働の後の楽しみで羽目を外しすぎたというのであれば目を瞑ろう。


だが、彼らは働いていない。

働くのは全て異人たちで彼らは一日遊んで暮らしている。


彼らから言わせれば、異人たちはこの世界に住まわさせてもらっているのだからその対価として我々に奉仕する義務があると考えている。

異人は奉仕する代わりに、最低限の食事と寝床だけが与えられる。

それを「慈悲」だと本気で信じている者も多い。


これは国民だけではなく、貴族そして王家ですら当たり前の考えである。


カールは、こめかみに指先を当ててそっと目を閉じた。

じん、と鈍い痛みが頭の奥で脈打つ。

原因が馬車の揺れではないことくらい、自分が一番よくわかっている。


さっきまで目にしていた光景――

笑い声、酒、焼けた肉の匂い。

その足元で膝をつき、黙々と働かされる異人たち。

それらが頭の中でぐちゃぐちゃに混ざり合い、脳の内側を押しつぶしてくるような不快感がせり上がってきた。


(これのどこが“平和な王都の一日”だ……笑わせる)


しかも自分は、その「平和」を守る将軍として持ち上げられている側だ。

その事実が、鉛の塊みたいに胸のあたりへ沈んでいく。


喉の奥までこみ上げてきたため息を、カールは頭痛のせいだと無理やり自分に言い聞かせた。


前に座る貴族が、すかさず身を乗り出してくる。


「将軍、少々お顔色が優れませんな。……どこかお悪いのでは?」


「……問題ない。ただの頭痛だ。」


短く、それだけ告げる。


貴族は、ほっとして口元で笑う。


「それは何よりでございます。」


そのやり取りが終わるのを合図にするように、カールはゆっくりと目を開けた。


城下町を進むとさらに大きな城壁が現れた。

先ほど異人区と城下町を分けていたものより一回りも二回りも高く、見上げれば首が痛くなるほどだ。

分厚い灰色の石が隙間なく積み上げられ、長い年月を物語る細かなひびや風雨の跡が刻まれているが、それでも圧倒的な堅牢さを失ってはいない。


城壁の上には一定間隔で見張り台が突き出ており、槍を持った騎士達が風にたなびく王家の旗の下で周囲を見回している。

旗には向かい合う番の馬が金糸で大きく縫い取られており、陽の光を受けて眩しく輝いていた。


王城を包むこの城壁は、有事の際に敵の侵攻を止める最後の盾であると同時に、

ここから内側が「選ばれた者たちの世界」であることを国中に見せつける象徴でもあった。


王城へ続く関所を馬車は速度を落とすことなく走り抜ける。

厚い鉄の門はすでに大きく開かれており、その両脇にはハルバードを地面につけ、直立不動で敬礼をする騎士達がずらりと並んでいる。


城壁を抜けた瞬間、景色はさらに一変した。

王城の周りには豪華な屋敷が立ち並んでおり、貴族達が住んでいる。

白や淡いクリーム色に塗られた外壁、赤や深緑の屋根瓦、手入れの行き届いた庭には季節の花が咲き、噴水からは絶えず水音が聞こえてくる。

塀越しに見える中庭では、メイドや執事が忙しなく動き回り、その足元を小型犬が楽しそうに駆け回っていた。


先ほどまでの雑多な城下町の喧騒とは違い、この一帯にはどこか作り物のような静けさと整いすぎた美しさが漂っていた。

王城の入口近く――白い石を積み上げた広い階段の手前には、半円を描くように優雅なアーチがそびえている。

その上には、番の馬をあしらった王家の旗がいくつも掲げられ、風を受けてぱたぱたと誇らしげにはためいていた。


馬車が近づくにつれて、王城前に集まった人だかりが視界に広がっていった。

大勢の役人と騎士たちが、カールを迎えるために一列に並び、まるで道をつくるように整然と立ち並んでいた。


カールは以前から、こうした仰々しい出迎えは不要だと何度も伝えていたが――結局、一度たりとも改まることはなかった。

馬車が止まると、待ち構えていた一人の貴族が小走りに近づき、恭しく扉を開ける。

緊張と興奮で少し上ずった声色まで、カールにははっきりと聞き取れた。


「お帰りをお待ちしておりました、将軍。

長きにわたり王国をお守りくださり、誠に感謝いたします。」


決まり文句だ。

何度も聞いてきた言葉。

何度も同じ調子で返してきたやり取り。


馬車から降りながら、カールは表情ひとつ変えずに口を開く。


「出迎え、ご苦労。」


声色も笑みも、すでに体に染みついた“第一王子用”の仮面だ。

本音を一切見せないための、よく出来た鎧でもある。


「……陛下は、変わりなく御健勝か?」


問うまでもないことだと分かっていながら、口が勝手に動く。

王城に戻れば、まず最初にこれを確認する――ここ数年ですっかり“儀式”になってしまった問いだ。


「はい、陛下は本日もお健やかに。御体もお心も、何ひとつ案ずるところはございません。」


聞かれた貴族は、待っていましたと言わんばかりに滑らかに答える。

このやり取りの流れも、すべてが想定通りだ。


周囲の役人たちが、(やはり第一王子は陛下思いだ)と言いたげな空気をまとって、ぞろぞろとうなずくのが視界の端に映る。


カールは王城に戻る度に国王の安否を確認するので、

貴族の間では第一王子はとても国王の事を敬愛しているのだろうと思っている。


国王は50代とまだまだ若く、健康的である。

そこまで父親の心配をする必要はないにも関わらずカールが毎度質問するのには理由がある。


もし本当に敬愛しているのなら、こう何度も無事を確かめたりはしないだろうと、

自分で自分に毒づきたくなる。


母を失った日の記憶、数日も経たないうちに笑顔で新しい王妃を迎え入れた国王の姿。

胸の奥で燻り続けている黒い感情が、ふっと顔を出す。

だがカールは、それすらも押し込めるように視線を上へと向けた。


(いつ見ても壮大な城だ。これが1000年も経っているとは)


真っ白な石を積み上げた外壁が、空を切り取るように高くそびえ立っている。

いくつもの塔が天へ向かって伸び、その先端には王家の旗がはためいていた。

風に揺れる旗の中央には、向かい合う番の馬の紋章。

それが、城のあちこち――門の上やバルコニーの手すり、窓枠の飾りにまで刻み込まれている。


1000年前に建国され、未だに姿を変えずにいるこの世界の中心である。

石材にて造られた堅牢な城は、とても1000年前の建築物とは思えないほど劣化が見られない。


磨き上げられた石の壁は、陽の光を受けてほのかに光り、

大きな窓ガラスには青空と雲がくっきりと映り込んでいる。

見上げれば見上げるほど、その大きさと重さがのしかかってくるようで、

カールはほんの一瞬だけ、この城そのものが巨大な生き物のようにも思えた。


カールが歩き出すと、それに続き馬車に乗っていた貴族達も降りて後に続く。

白い石で組まれた階段を上るたび、黒い乗馬ブーツの音がコツ、コツと王城の外壁に反響した。


見送りの列にカールが近づくと、見送りの者達が一斉に臣下の礼をとる。

騎士は右手を額まで上げて敬礼をし、役人は右手をお腹に当てて、深々と頭を下げた。

鎧がわずかにきしむ音と、衣擦れの音が重なり、空気が一瞬だけ張りつめる。


彼らの忠義に答えるため軽く敬礼をしてから、カールは無駄のない動きで踵を返し、城の中へと歩き出す。


目的地は国王がいる謁見の間である。

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