第10話 岐路
コンサートを終え、控室に戻る。
幾度目かのアンコールも終え、終演となった。それでも、まだ会場にはコンサートの熱気と余韻が残っている。
コンサートの興奮も冷めやらぬまま、薫は急いでシャワーを浴び終えると、メンバーへの挨拶もそこそこに、別室へと向かった。
実は、マネージャーに頼んで、虎太郎にここへ呼ぶように伝えてあったのだ。感謝の気持ちと、あともう一つ。伝えておきたい事があって。
サブマネージャーが部屋の外で待っていた。
「ありがとうございます。面倒なこと、頼んで」
「あっ、いや。いいんですが、ただ──」
マネージャーに頭を下げつつ、最後まで聞かずにドアを開ける。
「──虎太郎さん、見てくれました?」
が、そこにいたのは、笑顔の虎太郎ではなく、黒のワンピースを身に着けた愛花だった。
一瞬で、高揚していた気持ちが萎む。
「薫くん…」
「──え? って、え?」
驚きに咄嗟に言葉にならず、後ろにいたサブマネージャーを振り返る。マネージャーは済まなそうな顔をしながら。
「その、松岡さんに声はおかけしたんですが、彼女の間違いだと言われて──」
「間違いじゃないよ。俺は虎太郎さんを呼んだんだ」
「ですが…、頑なに断られて。それで──」
後は言葉を濁してしまう。薫はため息をつくと、背後を振り返り。
「ごめん。愛花ちゃん。手違いがあって声をかけたみたいで。わざわざ足止めしてごめん。今、マネージャーに連絡するから──」
すると、愛花は黒目勝ちの瞳を、涙で潤ませながら、
「間違い…だったんだ。私、嬉しくって舞い上がってた…。薫くんが特別な目で見てくれたんだって」
上目遣いで見つめてくる。
薫はひとまずマネージャーには外で待ってもらい、ひと目を気にしてドアを閉めると。
「ごめん…。その、今は仕事の事で頭がいっぱいで、誰かと付き合う余裕がなくて…。愛花ちゃんの気持ちは本当に嬉しいんだ。けど、それに応えられる状況じゃなくて…。申し訳ない。余裕ができたらまた──」
「…いいの。なんとなく、分かってたから。でも、撮影が終わるまでは、仲良くさせてくれる?」
「もちろん! 俺のほうが頼みたいくらいで…。本当にごめん。気持ちはありがたく受け取っておく。ありがとう、ホント…」
すると、頃合いを見計らった様に、外から声がかかった。
「立木さん、マネージャーがお迎えに来たそうです」
愛花は、すんと一度鼻を鳴らすと、
「…分かりました。今、行きます…。じゃあまた撮影で」
「うん、また…」
すっかり気落ちした様子で、部屋を出て行った。その背を見送って、薫は大きなため息を吐き出す。虎太郎は、どうしてそんな事を言ったのか。
それは、愛花と連絡は取り合っていたけれど。
虎太郎も知っていたはずだ。仕事仲間として、やり取りをしていただけだと。
特に嬉しそうな素振りをしたつもりもないが、傍目からはどう見えたか分からない。
それで、誤解して? ──でも…。
「薫! 打ち上げ、行くぞ!」
部屋を出た所で、敦が声をかけてくるが、薫は皆とは逆方向へ向かいながら、
「ちょっと遅れるかも。急な用ができて──」
「んだよぉ。ちょっとだけだぞ!」
「ごめん!」
薫は端末で電話をかけながら、通用口へと向かった。
虎太郎にマネージャーが声をかけてから、そこまで時間は経っていないはず。端末が通話中を表示した。
「虎太郎さん? 今、どこ?」
『どこって、駅に向かって歩いてるけど…。なかなか、外に出られなくて、こんな時間になっちゃって。薫、打ち上げだろ? なんかあったのか?』
呑気な声が聞こえてくる。薫は心の中で舌打ちしつつ、
「歩くのストップ。今、どこのそば?」
『ん? えーと、会場近くのコンビニ過ぎて、公園の傍。向こうが海。公園の噴水が見えるな…。中心に人の像? が立ってる…』
薫は記憶をフル回転させて、今、虎太郎がいる場所を割り出す。
たぶんあそこだ。
「虎太郎さん。そこで止まってて。あと五分で行くから!」
『え?! って、打ち上げどうするんだ? 話しならあとで──』
「ダメ! 今じゃないと。また、五分後!」
そう言って、通話を切ると、ダッシュした。
日中でなくて助かった。でなければ、かなりひと目を引いてしまう。ダッシュしただけでも目立つのに、長身の薫が走れば余計に目立つ。しかも、すぐに薫だとバレてしまうだろう。
メガネもマスクも持って来てないし。
別に打ち上げが終わったあと、家に帰ってから話せばいいのだ。けれど、それでは遅い気がして。何かを逃してしまいそうで。
今、伝えたいんだ。
鉄は熱いうちに打て、と言う。
薫は公園までの道のりを、まさに飛ぶように走った。
息を切らして、噴水の傍まで駆ける。
と、その縁に腰かける虎太郎を見つけた。街灯に照らし出され、所在なげにそこに荷物をかかえちょこんと座っている。
ぼんやり、といってもいい。気の抜けた様子だ。
「虎太郎さん…」
近づいて声をかける。ぴくりと虎太郎が反応して、顔を上げた。一瞬、泣き出す手前の様な、どこか困った様な表情をしたのを見逃さない。
かまわず、薫はさらに近づくと、弾む息を整えその隣に腰かけた。
「どうしたんだよ? 打ち上げ、間に合うのか?」
隣りの虎太郎が覗き込むようにして、尋ねてくる。もう、いつもの表情だ。薫は足を投げ出し、組んだ手を見つめながら。
「──それより、どうして帰ったんですか? 話したいことが、あったのに…」
「彼女、愛花ちゃん? 俺に声かかったら、え? って顔してさ。それ見たら、なんか行き辛くて…。彼女の方だって伝えたら、すっごく嬉しそうにしてたよ。──あれは、絶対、薫のこと好きだって…。美人だけど、普通のいい子っぽいし。コンサート中もずっと、薫をみてた。本当に好きなんだなって…。──あれで良かったろ?」
気づかうように尋ねてくる虎太郎に、薫はグッと唇を噛み締めたあと。
「俺は、虎太郎さんに来て欲しかった…」
「薫?」
もう、後戻りはできない。それに、自分の気持ちに嘘もつけない。ドクン、ドクンと心臓が波打つように音を立て出す。
薫は組んだ手にグッと力を込めると。
「俺は…虎太郎さんが──好きなんです。他の誰かじゃ──ないんです」
言った傍から、顔が熱くなる。それは、虎太郎も同じで。
虎太郎はしばらく、口をポカンと開けたまま、あ然としていたが。そのうち、面白いように頬がボボボッと赤くなって。
「え、って…でも──俺、男だよ? その好きって…、え? ええっ?!」
「…困るだろうなって、思いました。でも黙っていられなくって…。コンサート中に、虎太郎さん、見たらなんか、もう──」
「な、なななんか…もうって…」
「どんな風にって聞かれると、まだはっきりしないんですけど…。家族や彼女に思うのとはまた違う好きで。──とにかく、俺のなかで今、一番で、これからもきっと変わらないんです。離れるとか、考えられなくて…」
「え、いや待って、薫。でも…っ、それは──」
「無理、ですか? 俺に好かれるの、気持ち悪いですか?」
「そ、そんなこと、思わないよ…っ。──嬉しいよ。薫にそんな風に、思われていたなんてさ…。でも──」
それは、そうなるだろう。薫は視線を落すと。
「別に、応えてもらわなくて、いいんです…。俺も、だからどうしたいのか、分からないし…。ただ、虎太郎さんのおかげで、助かったのは事実で。気持ちを伝えたかったのと、どうしても、他人になるのが嫌で…」
「薫、俺─…」
断られる、そう思った。
「とにかく!」
それを阻止するため、大きな声をあげて立ち上がると、虎太郎を見下ろし。
「今、それだけは言いたくって、来ました。──じゃ、皆待ってるんで、打ち上げ行ってきます。帰りは遅くなるんで待たなくていいですからね?」
「あ、えっ。う、うん…」
「虎太郎さんも、帰り道、気をつけて!」
そう言うと、薫はまた来た道を走って戻った。
薫が帰ったのは、結局、夜の十時過ぎ。さすがに未成年を含め、背一杯頑張ったメンバーを深夜まで連れ回す事はできない。
スタッフのみ残り、あとはお開きとなった。
メンバーは皆、それぞれマネージャー送られ帰って行く。たいてい、同じ方向のメンバーをひとまとめにして家まで送った。
「薫さんは、こっちで」
「はーい」
呼ばれてサブマネージャーが運転する車に乗り込む。薫は、帰りの方向が一緒となる、
「薫、今日、ずっとご機嫌だったね?」
隣に座った唯鈴が顔を覗き込んでくる。
「…そう?」
「そうだって。なーんか、ずっとニヤニヤしてさ。しかも、ひとりで…。怖いのなんの」
佑京が気持ち悪そうな顔をして、唯鈴の反対側から覗き込んできた。薫はその顔を嫌そうに押しのけると。
「べっつに。そんなこと、ないって…」
そんな風にしていたつもりはないのだけど。
言ってスッキリしたのもある。『好き』と言う気持ちを、どうしても伝えたかったのだ。
帰ればきっと、虎太郎が困った顔で出迎えるに決まってる。気まずいこと、この上ないだろう。
けど、それすら可愛いかも、と思ってしまうのだ。
どうかしてる。──けど。
パッしない、しかも、男をどうして? と、言われるだろう。けれど、そこを見ていたわけではないのだ。
見た目や性別ではなく。ひとりの人間として、惹かれた──それがしっくりくる。
「やっぱ、笑ってるって。気持ち悪りー」
隣の佑京が二の腕を抱える様にして、さすって見せた。
一番先に降りたのは唯鈴。次が佑京で、最後が薫だった。マネージャーに見送られ、部屋のドアを開ける。薫が部屋に入ったのを見届けると、マネージャーは帰って行った。
玄関の灯りはつけられていたが、ひと気はない。虎太郎は寝ているはずだ。玄関脇には、すっかり準備の整った荷物が置かれている。
来た時と同じ、大きなバックパックが置かれていた。ただ、中身は軽い。主な荷物は着替え等で、研究に使うものは、あらかた島の家に置いてきている。そこまで重くはないはずだ。
いよいよ、か。
明日の午前、十時には出航だ。また戻って来るとは言え、寂しさは募る。
必ず、連絡してもらわないと。
そうして、靴を脱いでいれば、キイッとドアの開く音がした。顔を上げれば。
「…おかえり」
寝室のドアが開いて、虎太郎がひょっこり顔を出した。
「ただいま。起きてたんですか? 寝てて良かったのに…」
「うん…。まあ、その……。寝られなくて…」
虎太郎の視線が泳ぐ。
それは、そうだろう。
薫は靴を脱ぎ終わると、荷物を手に廊下を進む。そうして、寝室のドアから顔を出していた虎太郎の前まで来ると、その顔を見下ろし。
「俺、なにかしたいとか、そこまで、思ってませんから。安心して下さい。ただ、気持ちを伝えたかっただけなんで…」
「そ、れは…、わかってる…。男の俺、相手にそこまでは──な?」
「…別に。そういうわけじゃないんですけど…」
見下ろす虎太郎は、俯き加減でそっぽを向いている。その頬が赤らんでいて、かわいいと思ってしまった。
「ごめん…。なんか、困らせたな? うん。取りあえず、もう寝るわ。おやすみ──」
「あの!」
踵を返しかけた虎太郎を呼び止める。思わず大きな声になってしまった。
虎太郎はびくりと肩を震わせて振り返る。
「あの…、無理に答え出さなくて、いいですから。なにかしようとか、思わなくても…。虎太郎さんは、そのままでいてください。…俺のこと、気持ち悪いとかじゃなかったら…」
「それは──ないよ…。薫の言いたいことは、よくわかったから。──おやすみ」
「おやすみなさい…」
再び寝室へと戻った虎太郎を見送った。
ま、寝る部屋は一緒なんだけど。
とにかく、薫も今日は疲れた。コンサートで全て出し切ったあと、一世一代の告白もして。
興奮で眠れないかも知れないが、早々にベッドに入ろうと思った。
シャワーを浴びて寝室に戻ると、虎太郎はタオルケットに包まり、すっかり寝入っていた。
意識して眠れなくなっているのでは──そう思ったが、そんな事はなかったらしい。
背を丸めているから、まるで丸まって眠るネコの様。
やっぱり、『まろ』だ。
くすりと笑う。
この時間まで薫を待っていたのなら、相当、眠かっただろう。薫を意識するより、睡魔の方が勝ったのかも知れない。
薫は布団の上で、こちら側に顔を向けて眠る虎太郎の傍に膝をついた。かるく口を開けて眠る虎太郎は、あどけない。
俺は──どうなりたいんだろう?
離れたくない、そう思う。
でも、その先は?
一緒に住んで、楽しい日々を送る。──それだけなのか?
薫は虎太郎の唇に指先で触れようとして、その手を引っ込めた。
代わりに額をつんと突いてみた。ん、そう言って虎太郎が顔をこすって、また眠りに落ちていく。
かわいいな。
身体を屈め、脇に腕をつくと、横になった頬にそっと、キスしてみた。間近で見下ろす虎太郎は、そよそよと寝息を立てている。
これ以上のことを、虎太郎にできるのだろうか?
少し想像して、それをやめた。なにか、虎太郎を汚すような気がして嫌だったのだ。
──でも、たぶん。
できなくはない。そう思った。
次の日、休みの薫は、港まで虎太郎を見送りに出た。
休日はマネージャーも休みだ。タクシーを借りて向かう。本当は電車を乗り継いでも良かったが、ここでは『薫』だとすぐに知れてしまう。そうなると、面倒なため、タクシーとなったのだ。
車窓の外の景色は都会のそれだ。街路樹の向こうには高層ビルが聳えたつ。
「島とは大違いですね…」
「…だな」
今朝はいつも通り。朝食を作ったのは虎太郎だ。ごはんと豆腐の味噌汁。卵焼きに半身の塩鮭、漬物、海藻サラダ。簡単だけれど、量はそれなりに多い。
会話もいつも通り──と、言いたかったけれど、虎太郎がどこかよそよそしいのは否めなかった。
それも仕方ないことだと思う。男に告白され、その当人と一緒に朝食を食べているのだから。いつも通りを装うとしても、無理だろう。
嫌じゃない、そう言ってくれたけれど…。
気持ちは嬉しいと言ってくれた。ただ、好きという言葉を受け入れがたいのかもしれない。異性同志の好きとは重さが違うからだろう。
ちなみに、薫は虎太郎以外の同性に、そう思ったことは一度もない。虎太郎だからそう思えたのだ。
昨晩、頬にキスした時を思い起こす。
それは、薫の虎太郎への好意が、異性間のそれと同等なのだと理解できて。
虎太郎さんは、どうなんだろう?
もし、この先も一緒にいてくれるなら、考えられるのだろうか?
薫はそんなことを考えながら、隣に座る虎太郎の横顔を見つめていれば。
「…薫。見すぎ」
「え? あ、ああ、ごめん…」
虎太郎の頬が僅かに赤い。
「お客さん、そこのロータリーでいいですか?」
運転手に声をかけられ、我に返る。
「あ、はい」
薫が答え、しばらくしてタクシーが、駐車スペースに横付けされる。
先に虎太郎を下ろすと、料金を支払い、荷物を下ろす虎太郎を手伝った。バックパックを薫が背負い、虎太郎と共に乗船客の待合室へと向かう。
平日の出発日とあって、そこまで人は多くなかった。それでも、学生はまだ夏休みの時期で。
他の船に乗る客もいて、それなりの人ごみだった。薫は変哲もないジーンズに濃紺のTシャツ、サングラスにマスク姿だったが、長身のためひと目をひく。目ざといものなら気付きそうだった。
すると、気を利かせた虎太郎が。
「薫。ここまででいいよ。面倒だろ? ばれると…」
「いえ。出航まで見送ります。外れの方なら人もいないから」
そう言って、結局冷房の効いた待合室には向かわず、その二階にあるテラスに向かった。そこは見送る人の為に作られた場所で、確かに隅にいけば、ひとの気配はなかった。
「ここなら大丈夫」
日陰にあるベンチに荷物を下ろすと、その隣に薫は座った。
「虎太郎さんも、座りましょ」
「うん…」
おずおずと、その隣に座る。
虎太郎は、朝からそんな調子で。よそよそしさもあったが、何か考え込んでいる風もあり。
そんな様子にあまりいい印象は受けなかった。なにか、不穏な空気を感じたからだ。
まさに、それは的中した様で。
「その…。薫」
「はい?」
「俺…。やっぱり、薫の思いには──応えられない、かも…」
そう言って、虎太郎は視線を足元に落とした。
「…どうして、って聞くのも、分かり切ってはいるんでしょうけど…。やっぱり、同性は無理ですか?」
虎太郎は俯いたまま、組んでいた手をくっと握ると。
「…俺、薫が持ってた薬、飲んでいたこと、あるんだ」
告白は突然だった。あれは睡眠導入剤で。
「そう…なんですか」
「前に言ったろ? 大学の先輩と仲をこじらせたって。そのとき…」
「──言ってましたね。かなり、大ごとだったんですね?」
「まあ、当時の俺には…。仲良くさせてもらっていた分、ショックが大きかったって言うか…。──てか、その話はもういいんだけど、だから、薫が弱っていたのは知っていて…。そんな時に、俺がちょうどよく現れて。──だから、余計に頼もしく見えのかなって、思うんだ…」
「…吊り橋効果だって?」
虎太郎は頷く。人は危機的状況に助けに来てくれたものに対して好意をもつらしい。
「そんな薫の助けになれて良かったと思う。けど、元気になったら、もっと別の人に思いを向けるべきだと思うんだ。…だって、薫はもともと、異性が好きだったろ?」
「まあ、そうですけど…」
「それに、一番大事なのは、薫が『アイドル』だって言うことだ。異性ならまだしも、同性となんて、ファンが知ったらどう思うか…。マスコミに嗅ぎつけられれば、うるさく騒がれるし、活動に影響も出てくるだろう? 薫は──嫌な言い方だけど、一般人じゃないんだ。どうしても、ひとめを気にしなきゃならない…。なのに、俺になんか、関わってちゃいけないんだって──」
「…俺の為に?」
虎太郎はコクリと頷く。
「うん…。薫の将来はこれからもっと長い。愛花ちゃんだけでなく、また別の女性との出会いもあるはずだ。そこで、本当の出会いがあるはずで──」
「虎太郎さんとの出会いは、嘘だって、言うんですか?」
薫は詰め寄った。
「…一過性のもだと思う。弱っていれば、藁にもすがるだろ? 俺はそれと一緒で。錯覚だと思う…。俺とは離れて、もっと時間が経てば冷静な薫が戻って来ると思うんだ。だから──」
「これで、お別れ?」
「うん…。その方がいいと思う…。もともと、そのつもりだったんだ。島での調査が終われば、早々に借りた家も引き払うから。鍵はまた、おばちゃんに渡して置く。マンションの荷物は、後で大学に送ってもらうよう、蒼木先輩に頼んであるから。──薫には、本当にすまないんだけれど…」
「嫌じゃないって、言ってくれましたよね? それって、少しは思ってくれているって事じゃないんですか?」
「俺はただの学生で、薫は──スーパーアイドルだ。みんなが知ってる…。彼氏にしたい俳優、ナンバーワンだ。俺は──男で、薫も…男だ。薫の気持ちは嬉しいけれど、やっぱり、無理なんだ」
薫は虎太郎の肩を掴むと自分の方へ無理やり向き合わせた。虎太郎の目には戸惑いが浮かんでいる。
「じゃあ! じゃあ…嫌いだって、気持ち悪いからって言ってくださいよ。俺は異性しか好きになれないって。そしたら、諦めますよ! でも──虎太郎さん、そうは言わないじゃないか。俺の気持ちが嬉しいとか、そんなことばっかり…。きっぱり、切ってくださいよ!」
「…薫」
と、にわかに背後が騒がしくなった気がした。
「ね、やっぱそうだって! 薫だよ! うそー! まじ?」
「ほんとだ! やだっ! 信じられないっ! 声かけていいかな?」
「え、どうだろ? でも私らだけなら、いいんじゃない?」
見れば三人ほどの女性グループが、柱の陰からこちらをうかがっていた。やはりバレたらしい。流石に今は舌打ちしたい気分だった。
「薫。もういいよ。ありがとう。──薫の気持ちが嬉しかったのは事実だよ。でも、さ」
そう言った虎太郎の視線は、背後の集団に向けられた。
「薫は──俺とは違うんだ」
「…最後に、それ、言うんですか?」
「だって、仕方ないだろ…。俺は──」
もう少し、話しが続きそうだったが、もう待てなかった。背後からさらに声が聞こえてきたからだ。
くそ。
背後を振り返っていれば。
「…もしもを思って、蒼木先輩に連絡してたんだ。さっきのロータリーで待機してる。──もう行けよ」
「虎太郎さん…」
「薫といられて、楽しかった! いい思い出だった…。元気でな! ──ずっと応援してる…」
笑顔でそう言ったけれど、その目の端がきらりと光って見えた。
虎太郎は、素早くバックパックを背負うとベンチを後にする。
「虎太郎さん!」
けれど、いくら呼んでも虎太郎は振り返らない。その間にも黄色い歓声は数を増した様で。その場を離れるしか選択肢はなかった。
「ふー…」
虎太郎は、甲板の手すりに身体をあずけ、そこから港を眺めていた。
泣き顔を見られたくなくて、甲板の端、柱の陰に身を隠すようにしていた。
テラスには見送りの人々が出てきている。そこに薫の姿は当然ない。もう、蒼木とともに帰ったのだろう。
あとは、蒼木先輩がなんとかしてくれる…。
じきに出航だった。アナウンスが入り、それを告げる。続いて出航のドラが鳴り響いた。
薫に好かれていたなんて。思いもしなかった。あんなキラキラした青年が自分を、なんて。
俺の片思いだとばっかり──。
虎太郎に告白された時は、心臓が爆発するかと思えるほど、ドキドキして、興奮して。
とても眠りにつけるような状況ではなかった。
やっぱり、帰ってきたら、間違いだったと言うんじゃ──。
でも、帰ってきた薫の意思は変わっていなかった。安心して、そのまま眠ってしまった。
けれど、朝起きて冷静になるうち、どう考えても無理だと思え。
一般人ならまだしも、薫は国民的な人気を誇るアイドルで。
それまで、そちらの世界にまったく興味を持っていなかったため知らなかったが、こちらに帰ってきてから、薫について調べあげ、それを理解した。
それが、同性の俺を好いているなんて。
一般人だったなら、虎太郎の性的志向を話せば、付き合いは始まったかもしれない。けれど、薫の立場でそれは無理だった。
異性でも騒ぐのに、それが同性となれば、ただでは済まないだろう。薫たちの活動にも悪影響を及ぼすだろうし、仕事を失う可能性もあるのだ。
それを分かって、応じられる虎太郎ではなく。
自分が女性だったら、それでも、乗り越えて行こうと思えたかもしれない。それが、世間の言う、普通だからだ。
けど、俺は──『普通』じゃない。
匠を好きだった時、それを痛感したのだ。
匠のことは、出会ってからずっと好きで。一緒に遊んでくれるようになって、有頂天になっていた。
でも、夏の終わりごろ、なんとなく、虎太郎の思いが匠に知れたようで。
それからが酷かった。
いつものように部屋に遊びに行けば、女性が寝室にいて。匠は寝乱れた姿で、虎太郎が来ることを忘れていたと笑った。
あの時のショックは筆舌に尽くしがたい。がんと頭を殴られたような──なんて、説明があるが、まさにそれで。
どこかで、匠も自分を好いてくれている、そんな思いがあったせいかもしれない。それが裏切られ。
その後も、何度か似たようなことがあり。
飲みに誘われれば、女性といちゃつく姿を見せつけられ、久しぶりに海に誘われたかと思えば、彼女同伴で。虎太郎が席を外したすきに、車で彼女とことに及んでいた。それも、前に見た女性とは違う。
あれは、わざとそうしていたのだ。虎太郎への嫌がらせ。嫌いだったら、言葉で断ってくれればいいのに、匠はそうせず。
もう、だめだと思った。壊れていく自分を感じて。自分が女性だったら良かったのにと、普通でない自分を呪った。
普通じゃないから、薫とは──付き合えない。
薫は、たぶん『普通』だ。今まで、ずっと女性と付き合っていたようだし。
虎太郎のことさえなければ、愛花とも付き合っただろう。まだ、十分、戻れる。
俺なんかと、関わってちゃいけないんだ…。
匠とのことによって、突きつけられた現実。お前は普通じゃないんだ、と。
「──あれで、いいのか?」
突然、背後からそう声をかけられた。びくりと肩を揺らして振り返る。
「──…先輩」
そこに立っていたのは、匠だった。
白のプリントTシャツの上に薄手のグレーのパーカー、下は黒のジョガーパンツと、ラフないで立ち。
ためらいもなく、虎太郎の傍らに来ると、同じように手摺に手をかけ、見送りのテラスを眺める。
船はゆっくり波止場から離れていくところだった。このまま旋回して、湾を出ていくのだ。
「どうして? なんでここに?」
「…用があってな」
「島に? あそこには、先輩が調べるようなものはなにも──」
言いかけた虎太郎の顎を捕えると、迷いなく、その唇にキスをしてきた。
何を──!
はっとして、その手を振り払おうとしたが、その手ももう一方の手につかまれる。
いったい、どうして──!
キスを終えると、匠はにっと笑みを浮かべ、手首を掴んだまま、睨みつける虎太郎を見下ろす。
「──お前へ、罪滅ぼしをしようと思ってな」
「なっ! 何を言って──!」
「あいつ、見たぞ。──今の」
え?
匠の視線を追って、同じように港へと向けると、先ほどまで見ていた見送りのテラスの端に、薫の姿があった。
サングラスは頭に跳ね上げ、マスクも外されている。
──薫…。
隅の方で、手摺をつかんだまま、こちらを注視しているのが見て取れた。
なんで? 帰ったんじゃ──。
「あの顔…。笑えるな? 自分をふったお前が、他の男とキスしてる──どうしてだ? ってな?」
「──!」
虎太郎は今度こそ、匠の肩を押し返すと。
「ふざけないでください! 何が罪滅ぼしですか? また、嫌がらせですか? ここまできて、どうして──」
「じきにわかるさ。理由がな…」
匠はただ、笑って見せるだけだった。
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