第6話 居候

「で、今は何してる? 薫に少しは聞いたが…」

 

 島での調査について、聞いたのだろう。

 蒼木は虎太郎にリビングに置かれたソファに座るようすすめた。

 自身はキッチンに行くと、コップに麦茶をいれた。先に入れた氷がカランと音を立てる。

 それを虎太郎の座るソファの前、ローテブルに置くと、蒼木はその斜め向かいに座った。虎太郎は礼を述べつつ、それを一口飲んでから。


「今は大学の院です。あと一年で修了で…」


「単刀直入に聞く。──どういうつもりで、薫と一緒に?」


 その言葉にくっと唇を噛みしめ顔をあげると、


「俺は──そんな、つもりじゃないです。前とは違います…。薫はいい奴で。歳は離れているけど、友達としていられたらいいなって。それだけです…。それに…薫の持ってる薬を見て。あれ、睡眠導入剤でしょ? ──それで、放っておけないと思って…」


 蒼木はため息をつくと、組んだ足の上で手を組んだ。


「それは──本当に?」


「本当です。弟と一緒です」


 蒼木は虎太郎から目を離さず、表情を観察しながら。


たくみの時とは違うと?」


「もちろんです…」


「あの時、松岡はずいぶん苦しんだだろ? 薫がどうのというより、そっちの心配をしてるんだ。診療科にも通ってただろ? 黙ってたが、見かけたことがあってな。もうそっちは大丈夫なのか?」


 はっとして顔を上げた虎太郎は、また俯くと。


「…はい。もう睡眠薬も飲んでいませんし、通院もあの後はしてません。大変だったのは、匠先輩とサークルで一緒だった時だけで…」


 蒼木は足を組み直すと、ソファに背をあずけ。


「匠も、ずいぶんひどい仕打ちをしてたからな…」


 昔に思いをはせるように視線を遠くへと向けたが。ふと、虎太郎に視線を戻し。


「あいつ、日本に帰ってきてるぞ? ──まあ、一時的なもので、またあっちに帰るそうだが…。先日も飲んだばっかりだ。なにも変わってないな…。お前の事をきかれたぞ。俺もあれっきりだから何も知らないと答えたが…。あいつに連絡は?」


「…してません。するわけがない…」


 俯き唇を引き結ぶ虎太郎に、蒼木はふたたびため息をつくと。


「あの時、匠は待ってたそうだ。アラスカに立つ前。賭けたんだそうだ。──けれど、お前は来なかった。それで──忘れることにしたそうだ」


「……っ」


 びくりと肩を揺らした虎太郎に、蒼木は同情を見せると。


「お前は…ずっと匠が好きだっただろう? それを知っても、匠はなにもしなかった。ただ、遊びで女と付き合って…。しかも見せつけるように派手にな。あいつなりにお前を遠ざけようとしたんだろうが──。結局、本当の思いは別にあったってことだ…」


「今更、そんなこと…」


「お前はどうなんだ? あいつは忘れたとは言ったが、様子を尋ねてくるくらいだ。思いは残っていると俺は見ている。──一度、連絡してみたらどうだ?」


「俺は…辛いんです…」


 絞り出すようにそう口にする。


「あの頃を思いだすと、辛くなって、苦しくなって…。あんな、思いはもう沢山なんです…。それを、また繰り返すかもしれない。…試す勇気は、もうありません」


「…そうか。そう決めているなら、もう何も言わない。──それで、薫は知っているのか? 松岡のこと…」


「──いいえ。もともと、長く一緒にいるつもりはなくて。それがこうして長くなってしまって。すっかり、話す機会を失くして…」


「まあ、あいつには言わない方がいいだろうな…。薫はお前を友人としか見ていない。そのままでいてくれた方がこちらとしても助かる。──が、お前はまた、同じことを繰り返さないと言えるか?」


「同じこと?」


「恋愛対象として、薫を見ることだ」


 すると、虎太郎は首を振って。


「…ありえません。それに、薫は今、寂しいせいで俺を頼っているけれど、きっと、ほかに相手が見つかれば、俺からは自然と離れていきます…。それに合わせて離れますから、薫との間に何かある事はありません。薫を困らせる様な事はしませんから、安心してください…」


「わかってないな…」


 蒼木は前髪をかき上げる。


「はい…?」


「俺は松岡の心配をしてるんだ。口では違うと言っているが、薫を好きになって、また自分を追い詰めることになるんじゃないのか、──とな」


 虎太郎は、はたと蒼木を見返したが、視線をまた手元に落とすと。


「…大丈夫です。それはあり得ませんから」


 そう答えた。

 そうして話に一段落がついたところで、ドタバタと廊下を歩く足音が聞こえ、


「虎太郎さん! 部屋、綺麗になりました! 見て下さいよ!」


 リビングのドアが開き、薫が姿を見せた。それで、虎太郎もようやく息をつけたようで、笑みを浮かべる。


「うん、わかった…」


 早く、早くと、薫は虎太郎の背を押すようにして急かすと、リビングを後にした。


 そんな二人を見送った蒼木は、


「…あり得ない、ね。その割には──」


 去り際に見せた、虎太郎の笑顔を思いだし、後ろ頭を掻くと、小さなため息を吐き出した。



 大学一年の時、入った山岳サークルに、たくみ直匡なおまさはいた。

 進路もあらかた決まっている四年生。

 山岳サークルだと言うのに、軟派でいつも周囲を女子に囲まれていて。

 それでも、いざ本番になると顔つきが変わり、頼りがいのある先輩となった。そのギャップに惹かれたのかもしれない。

 もともと、好意の対象が同性と気付いていた虎太郎は、ただ遠巻きにみているだけで、声をかけることはなかった。話かけても、事務的なことだけで。

 かっこよく、頼もしく、人気のあるひとあたりのいい先輩。傍に近づける女子が羨ましかった。

 虎太郎は、小柄でひょろっとした、冴えない男子学生で。


 俺となんて、話すこともない。


 そう思っていたのだが。

 初夏、とある山へ登山に行った際、季節外れの悪天候に、メンバーの数人が行動不能となったのだ。

 それを助けるため、まだ動けた虎太郎と匠、蒼木とで奔走し。あいにく通信が上手くできず、悪天候の中、匠が山小屋へと引き返した。

 その間、虎太郎は蒼木と共に、なんとか皆の意識をなくさせないよう、身体をあたため、声をかけ続け。

 山小屋から消防へ連絡が行き、救助が間に合い、大きなケガもなくみな助かることができ。

 その件がきっかけで、匠は虎太郎に気安く話しかけてくれるようになったのだ。

 

 嬉しい。


 ただそれだけだった。

 今まで、好いた相手にそんな風に声をかけてもらったことなどない。後輩として、匠は虎太郎をことさらかわいがった。

 とぼけたキャラクターが、付き合うのに気楽だったのかも知れない。

 しかし、そんな虎太郎の思いが、いつの間にか、匠にも伝わっていたようで。

 匠の女遊びが派手になった。時にはその場に呼ばれた事さえある。──嫌がらせだ。

 どんなに辛かったか。

 必死で、そんな自分を匠に知られまいと取り繕い。それが祟って、とうとう診療科まで通うことになった。睡眠障害のみだったが、薬がなければ眠れない日々が続き。

 そうして、卒業も迫り、それぞれが進路に向けて動き出すころ、匠は誰もいない部室へ、虎太郎を呼び出した。

 そして、留学の為に、アラスカに向けて数日後に日本を立つとだけ言った。

 それが、思いを告げる、最後の機会だった。


 けど、俺は行かなかった…。


 行ったところで何になる? ひどくフラれて、気持ち悪がられて、それでおしまいだ。

 もう、傷つきたくなくて、行かなかったのだ。


 なのに──。


 待っていたなんて。

 今更、知りたくもなかった。──いや。もしかして、そう思いもしたのだ。でも、行っていなかった時のことを思うと、やはり足が動かず。

 

 行っていたら、どうなっていたんだろう?


 日本を立つというのに。待っていろとでも言ったのか。それとも、一緒に来いと言ったのか…。


 そんなわけ、ないな。


 せいぜい、今まで申し訳なかった。でも、思いには答えられないと言われただけだろう。

 蒼木の言うように、思いがあったなど思えない。それほど、当時の匠の仕打ちはひどかったのだから。


 もう、終わった事だ。


「──さん?」


「え?」


「やだなー。俺の話、ちゃんと聞いて下さいよー。ぼけるの、まだ早いですって」


 そう言って、薫が笑った。

 その笑顔にほっとする。過去の話にささくれだった心が緩んでいく気がした。

 その後、蒼木は今後のスケジュールを簡単に薫に説明し、一週間後にはまた仕事を入れると告げ、マンションを後にする。

 虎太郎には、薫をよろしくと、それだけ告げた。


「もっと、反対されると思ったんだけど…。意外過ぎ」


 見送った薫は、傍らで同じように玄関先に立っていた虎太郎を振り返った。虎太郎はそうだなぁ、と言いつつ。


「お互い知っていたから、かな? でないと、きっとだめだしされたと思うよ」


「蒼木さんち、あんまり、仲良さげに見えないんですけど…。昔、蒼木さんに意地悪でもされたんですか?」


 冗談めかしてそう言ってみたが、虎太郎は苦笑して。


「違うって。蒼木先輩は、どっちかって言うと──フォローしてくれていた方だと思う…」


 そう言って、遠い目をする。

 薫は何があったのか聞きたかったが、雰囲気からあまり立ち入ったことは聞けない感じだった。しかし、その様子に気づいたのか、虎太郎は笑うと。


「薫、顔に聞きたくってたまらないって書いてあるぞ」


「えー、気付いたんなら、教えてくださいよー」


「…そうだなぁ。俺が尊敬する先輩がいて。仲良くさせてもらってたんだけど、ちょっと関係がこじれて…。蒼木先輩は、それを間に入って、助けてくれた感じ?」


「なに? いじめられてたの?」


 気色ばむ薫に、虎太郎はへらと笑って見せると。


「そんなんじゃないって。もう済んだことだしな」


「本当? にしてはさ、蒼木さんって分かった時、かなり暗くなってたけど…。まあ、虎太郎さんがそう言うなら、信じておく。──けど、これからも、もし、何かあったら、真っ先に言ってよ。俺にできることがあれば、なんでもするから」


「ははは! 頼もしー」


「あー、ちょっとバカにしてるでしょ? そうでしょ?」


「してないって。頼もしいよ。何かあれば、相談させてもらう。ほら、さっさと夕飯にしよ。お腹減ったって」


 今日は流石に移動で疲れただろうからと、蒼木から差し入れがあった。

 大ぶりのシュウマイと、春巻き、酢豚がそれぞれパックに詰められている。別添えでスープもあった。大人二人でも十分な量だ。

 後はご飯を炊いて、サラダを用意するだけでいい。サラダ用の野菜は、これも蒼木が買ってきてくれたあった。

 薫がそれぞれ温める間に、虎太郎がパック入りのサラダをボウルに盛り付ける。あっという間だ。


「蒼木先輩は昔から、気が利いたよ。マネージャーの仕事、あっているんだろうな」


「適職って感じですね。かなり厳しい時もありますけど、言うことに間違いがないって言うか…。安心出来ますね」


「だねぇ。よく人を見てるから。その人が何ができて、何が不得意か、どうすれば、その人が生きるか、ほんとそつなく見てたなぁ」


「すでに下地があったんですね。──はい、これで全部です」


 そう言って、ダイニングテーブルにおかずの乗った皿を三つならべると、取り皿もおく。虎太郎がご飯をよそった。そうして、全て並べ終えると二人向かい合い。


「いただきます!」


「いただきます」


 声をそろえて食べだす。

 こうして帰ってきても、虎太郎が目の前にいるのが嬉しかった。虎太郎にすれば、いい迷惑な所もあるかもしれない。

 けれど、上手く事が運んだと言う事は、そうなるようになっていたのだろうと思う。


「そう言えば、寝る部屋、強引に一緒にしちゃいましたけど、やっぱり嫌でしたか?」


 物置と化していた部屋を片付けたはいいが、ここへ客用の布団を敷くのは、何か違う気がして。

 結局、布団は自分の寝室に持ってきた。

 部屋へ案内した時、布団は薫の部屋に敷いたと言えば、虎太郎は、そうなの? と、驚いた様子を見せたものの、そっか、と受け入れ。


「…嫌って言うか、薫がそれでいいって言うなら。もう、あきらめた…」


「だって、今更、別々って言うのもなんだし。昨日まで一緒の部屋で寝てたし、ね?」


「本当に寂しがりなんだなぁ。少しはひとりの時間、欲しくないのか?」


「虎太郎さんが大学行っている間はひとりだし。一緒にいる時は同じ部屋にいてもいいじゃないですか」


「薫がいいなら、いいけど…」


 虎太郎は不承不承、承知してくれた。

 薫的には、言った通り、一緒にいる時は、同じ空間にいたかった。せっかく二人なのに、扉を閉めて別々なんて寂しくて耐えられない。それにどこか冷たい気もして。

 誰かにこんなに執着するのは久しぶりの気がした。過去、付き合っていた彼女にも、ここまでは思わない。逆に終始くっついていられるのは勘弁だったくらいで。


 なのに──。


 虎太郎にはそう思わない。


 ずっと傍にいて欲しい。


 そう思う。

 感覚的には、昔、実家で飼っていた愛猫に近いもしれない。真っ黒で腹だけ白かった。名前を『まろ』。可愛くて大好きで。ずっと傍にいて欲しかった。


 うん。確かに似てる。


「薫。箸、止まってるぞ? 考え事か?」


「いや。──ね、虎太郎さん。ニャーって言ってくれます?」


 虎太郎は首をかしげ、ご飯茶碗を手に、箸を持ったまま。


「に、にゃー…?」


 かわい過ぎる。


「あー…、やっぱそうだ」


「んだ? どうした?」


「──なんでもないです」


 そうして、ふふと笑った。


 虎太郎は『まろ』だ。


 その夜も、昨晩と同じように、傍らに虎太郎がいて、眠りについた。薫はベッドへと入る。


「一応、マットレス敷いてありますけど、痛かったら言ってくださいね?」


「大丈夫。だって、俺の居候してる部屋なんて、寝袋だし。畳はへたってぎしぎしいうし…」


「なかなかですね…」


「もともと、テン泊も平気なくらいだから。安全さえ確保できればどこだっていいんだ」


「良かった。なら安心です。でも、何かあったら言ってくださいね」


「わかった。おやすみ」


「おやすみなさい…」


 それで、枕元のライトを消して消灯となる。その夜も、薬はいらなかった。



 次の日、約束通り、虎太郎の居候先へ荷物を取りに行く。

 仕事とは関係ないが、薫の生活にも関わる事だからと、蒼木が事務所の車を出してくれたのだ。

 今日ついて来るのは、蒼木ではなく、その下のサブマネージャーだった。蒼木は忙しい身で、引っ越しの手伝いなどしていられない。


「で、こっちでよかったですか?」


 サブマネージャーが声をかけてくる。皆、若くともまじめで、てきぱきとしたものばかりだ。人選には、蒼木が強く関わっているらしい。


「はい。そこの路地の手前で停車してもらえれば。すぐそこなんで──」


 言われた通り、路地に入る手前で車を停める。その路地は一方通行にした方がいいほど、細い。


「なかなか…」


「なかなか、だろ?」


 車を降りた虎太郎は、薫を引き連れ、アパートへと向かう。サブマネージャーは車で待機だ。


「ここ。家主には言ってあるから。多分、あいつ大学に行ってるし。色々あって一階に移ったんだ。足元、気をつけて」


「あ、うん…」


 虎太郎に案内されて、見上げたアパートは、確かにかなりの年代物だった。全体的に茶けてぼろっとして見える。

 茶けて見えるのは、所々に錆が浮いているせいだ。階段も手摺もペンキが剥げかけ、安全を疑ってしまうレベル。


「一応、耐震性は問題ないんだってさ。でも不安になるだろ?」


 そう言って虎太郎は笑う。

 右から二つ目の扉の前へ立つと、鍵を差し回し開けた。ガチャリと音を立て開いた扉の向こうは──カオスだった。

 

「すげ…」


 まず、玄関のたたきの両側にはごみの袋が山と積まれている。

 それでも、ビニール袋の中の生ゴミは、きっちり新聞に包み、水分が出ないように捨てられていた。意外に几帳面なのかも知れない。

 その向こう、廊下の片側には、薫の胸辺りまで、本がうず高く積まれていた。虎太郎なら、下敷きになるレベルだろう。

 先へ進んで、リビングらしき部屋に入ると──壁の両側に今にも崩れ落ちそうなくらい、本が積み上がっている。

 その真ん中はまるで、円形劇場のようにあいていて、ちゃぶ台とその向こうにテレビ置かれていた。そして、舞台袖に引くように道がキッチンへと繋がっている。

 広がっているのがごみではないだけましだが、掃除はいつしているのかと思う。


「これでも、片付いている方なんだ。あまりにも本が重すぎて、二階はだめだって大家さんに言われて、一階に移ったんだけど、これじゃあ、ね」


「確かに…。でも、じゃあ、虎太郎さんの部屋は?」


 すると、虎太郎は苦笑し。


「隣なんだけど──」


 そう言って、隣の部屋へと続く引き戸を開ける。

 そこも本が山ほど積まれていた。寝る場所などどこにもないほどだ。虎太郎はその中を器用に避けて歩き、一番奥へと向かうと。


「ここに、居候」


「は?」


 にこにこと虎太郎が差し示したのは、押し入れだった。薫は虎太郎の顔を見て、また押し入れに目を向けた。


「ここに?」


「うん、ここに。奴に聞いたら、部屋は空いてないけど、押し入れは空いてるって。中のものは捨てていいから、掃除してくれるならそこが空くって。家賃は電気代、ガス台、水道代を折半して払ってるんだ。でも、本当は何もいらないって言ってくれてさ。仕方なくそれで折れてくれたんだ」


「でも…ここ、人が住むところじゃないですよね?」


「結構快適だよ? 冬場以外は開けてるし。もちろん、作業するときは外にでてやるけど、こんなだから、広げられなくてね。細々と。俺の荷物は全部下に突っ込んでて。上は寝る用なんだ」


 薫は頭痛を覚える。こどもの隠れ家ではないのだ。押し入れに住むって。考えられない。


「やっぱり、俺の所に来て正解です…。よかったぁ、帰さなくて。こんなの、だめですって」


「そうかな? 俺はテントみたいで好きだったけど…」


「ずっと、俺の所にいてくれていいですから」


「なに言ってんの。ひと月で十分だよ。あそこも、会社の持ち物でしょ? いつかは出てかないといけなくなるだろうし。薫も、彼女が出来れば、家に呼びたくなるだろうし。そこは分かってるから。時期が来たら出ていくよ。遠慮しなくていいからな?」


 諭す虎太郎に、薫はムッとして。


「なんですか。それ。勝手に決めないでくださいよ」


「いや、だってそうだろ? 今までどうしてたんだ? 部屋に連れてきたこともあっただろ?」


「いや。いつも外です。プライベートまで入れたい相手に会ったことなくて…。てか、俺まだ高校生ですから。建前上、健全なお付き合い、してます」


「はは、そっか。そうだったな。まだ、高校生だったな」


「とにかく、追い出すようなことしませんから。こっちに戻っても、どっか行かないで下さいね?」


「そうだなぁ…。まあ、一応、頭には入れとく」


 そう言って、本の山を背に笑った。



 その後、バンへ虎太郎の荷物を運び終えると、再び、マンションへと戻った。

 虎太郎の使う部屋にそれらを運び込む。荷物は岩石の標本の数が多く。これが若干かさばったが、それくらいで、虎太郎自身の荷物は殆どないに等しかった。

 着るものにもあまり頓着しないらしく、同じ様なTシャツが数枚。数も多くない。それを着まわして、古くなってきたら買い替えるらしい。後はジーンズとスウェット、採取で着る登山用の服だ。


「着替えもほとんどありませんね?」


 薫はバッグやザックに詰め込んだ荷物を広げながら。


「うーん。最低限はあるけどな。でも、ちゃんと毎日銭湯はかかさなかったし着替えてたからな? そこだけは譲れなくてさ」


 虎太郎は、運んできた試料を丁寧に整理し直している。

 衣類だけなら、詰めて衣装ケースに一つと言ったところか。会社勤めをしているわけでもない。スーツも必要なければ、それに付随するものもいらないから、余計に荷物は減るのだろう。


「これなら、部屋に置くスペースは幾らでもありますね。もっと置けますよ」


「そうだけど…。あまり持ちこまないようにするつもりだよ。次に引っ越すときにまた荷物になるし。大学の研究室のどこかに置いてもらうよ──」


「また…」


 そう言うと、薫は手を休め、虎太郎の肩に手をかけ、正面に立って向き合うと。


「引っ越すとか、出ていくとか。当分、考えなくていいですから。だいたい、行く先ないでしょう? さっきの部屋の押し入れだって、次行ったらもう荷物で一杯になってますからね?」


「そうだろうけど…」


「遠慮はしなくていいです。俺も仕事が忙しくなれば、高校と両方で忙しくなるし、好きに使ってくれてかまわないですから」


「うん…」


「ねえ…。前から思ってんんですけど、どうしてそんなに遠慮するんですか? 広く綺麗な部屋、ただ同然に住める環境、隣には仲のいい友達──何が不満なんですか?」


 虎太郎はその言葉に、困った様に眉間にしわを寄せたが、


「不満は…ないよ」


「ならいいじゃないですか。心置きなく、いてください。ね?」


「…そうだね」


 何か言いたそうにしたが、それを虎太郎は口にすることはなかった。



 次の日から、虎太郎との日々は始まった。

 とは言っても、ここに虎太郎がいるのはひと月ほど。あとは島にいったん戻る予定だ。

 一緒に戻りたくなりそうだったが、とにかく、今は不在で迷惑をかけた分を取り戻さなくてはならない。それに、高校に顔を出す必要もある。


 コンサートの打ち合わせもあるし、ドラマの撮影も始まるって言ってたしな…。


 コンサートについてはすでにあらかたが決まっていて。セットリストも決定済みだ。

 ただ、リハーサルはこれからで。薫抜きで何度かやったようだが、やはり一人欠けた状態では、つかめない部分もある。

 ドラマの方は、いわゆるダブル主演という奴で。顔合わせはすんでいた。

 相手は新人賞もとった、実力もある若手女優、立木あたちき愛花あいか、十九才。目にやたら力のある、凛とした印象の女性だ。

 

 いっこ上か。


 年代が近いのは安心できるが、こちらも負けてはいられない。

 島にいる間は仕事は放棄していたが、これからはそうはいかない。すべて真摯に向き合っていかねば、自分の為にもならないし、周囲に迷惑もかける。

 気持ち的には乗り切ってはいないとは言え、手は抜けない。やっぱりアイドルだからと、舐められなくはないのだ。


 前はそれで自分を追い詰めていたけど──。


「薫ー! ほんと、これ貰っていいのか?」


 虎太郎が、Tシャツを身に着け、こちらにとてとてと歩いてくる。

 それは薫が数回着たが、サイズがやや小さく、それでもデザインが気に入っていて、捨てるに忍びなく思っていたものだった。


「いいですよ。ほかにもまだありますから。後で出しときます」


「なんか、悪いな…。てか、いままでになく、せめてるデザインだ。俺らしくない…」


 白地にサイケなデザインの図柄がプリントされている。黒が主で、あとはブルーとイエローが少々。何が描かれているのか分からないが、色合いが好きで購入したのだ。

 虎太郎は、描かれたTシャツの柄に、照れ臭そうに苦笑して見せた。


「それくらいでいいんですよ。似合ってるし。…でも、虎太郎さんにはちょっと大きかったかなぁ?」


 襟元が少し緩い気もする。丈も若干だが長めの気も。


 ま、でも。


「…それも、かわいい感じでいいですよ? 童顔だからギャップがあっていいかも」


「なあ…。童顔て言われて喜ぶと思うか? なあ、なあ」


 虎太郎は機嫌を悪くしたのか、近寄ると。背中を拳でぐりぐりとしてきた。


「あはは! だって、本当のことじゃないですか? でも、悪いことじゃないですって。今日はそのまま大学行ってくださいよ?」


「…きっと、笑われるな」


 大学での知人友人を思いだしたのだろう。虎太郎は重いため息をついたが。


「彼女に選んでもらったって、言えばいいですよ」


 そう何気なく口にしたが、ぴくと虎太郎の肩が揺れた気もした。


「…だな」


 ひと呼吸、おいて答える。


「そうそう。いい彼女もったって言われますって」


 薫は笑って、虎太郎の背を軽く叩いた。

 虎太郎がいてくれるお陰で、笑顔でいられた。自分を追い詰めることはない。面倒で気が滅入る仕事が入っても、虎太郎がいると思うと、乗り切ることができそうだった。


 その日、虎太郎は大学へと向かい、薫は自宅で、ダンストレーニング後、ドラマのセリフ覚えを行っていた。

 仕事も高校も一週間後だが、できることはやっておきたい。


 負けたくない。


 その思いが強かった。

 虎太郎はなんだかんだ言って、しっかりと自分の道を歩んでいる。それを間近でみると、やはりそう思う。

 いくら年上だから先を行って当たり前だと言われても、隣に立って、恥じ入るような存在にはなりたくなかった。

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