第7話 白い粒の行方

冬の朝、薪をくべるために台所へ向かうと、使用人の老婆が困った顔で頭を抱えていた。

「お嬢様…困りました。この冬を乗り切るための干物が、もう足りそうにございません」

干物…?

この時代、干物は貴重な保存食だ。それが足りないということは、食糧危機に直結する。

私は、老婆に連れられ、薄暗い蔵の中に入った。

蔵の空気はひんやりと冷たく、肌を突き刺す。干物が吊るされた棚の隅に、塩壺が置かれている。

壺の表面にはひび割れが走り、手で触れると冷たさがじんわりと伝わってきた。老婆が蓋を開けると、壺の中は、まるで雪が解けた後の地面のように白さが少なく、底がはっきりと見えた。

「塩が…こんなに少ないなんて…」

私は、思わず息を呑んだ。

「去年の冬は、まだ少しはあったのですが…。今年は、この寒さで交易も滞りまして」

老婆が語る去年の厳冬エピソードが、今年の危機感を倍増させた。

山間の村では、海沿いの村や、塩田からの交易に頼るしかない。しかし、冬の厳しい寒さでは、交易は途絶えてしまう。

「このままでは…来年の春まで、持ちそうにございません」

老婆の言葉に、私の心に、激しい危機感が芽生えた。

干物だけでなく、漬物、保存肉、そして傷を治すための薬としても使われる塩がなければ、この村は春を待たずして崩壊してしまうかもしれない。


その日の午後、私はこの事態を孔明に報告した。

「塩ですか…」

孔明は、私の言葉を聞きながら、静かに庭の石を眺めていた。

「現代では、塩田で海水から塩を作ります。太陽の光と風の力を使って…」

私がそう言うと、孔明は、私の言葉を遮るように、静かに言った。

「春までに、必要なものは…」

孔明の瞳が、庭の隅の枯れた雑草の根元に注がれている。

「…食糧だけでは、ありません」

彼の言葉は、まるで謎かけのようだった。

私は、彼の真意がわからず、ただ静かに、彼の横顔を見つめていた。

すると、孔明は立ち上がり、蔵へと向かった。

塩壺を自らの目で確認すると、彼は何も言わずに、再び庭へと戻っていった。


その日の夕方、村での炊き出しを終え、孔明と私は二人で黄家への帰り道を歩いていた。

冬の夕暮れは、凍えるほどに冷たかった。

村の家々の窓からは、温かい明かりが漏れ、煙突からは白い煙が立ち上っている。それは、冬の暮らしの匂いだった。

「お嬢様、また来てね!」

子どもたちが、私の手を振りながら、大きな声で叫んでくれる。

「また温かい汁、作ってくれる?」

「干物の味、覚えてるよ!」

彼らの言葉に、私は、この笑顔と、この暮らしを守らなければ、と強く思った。


黄家への帰り道、吹雪こそないものの、冷たい風が、私たちの身体を突き刺す。

私は、思わず身震いをした。

すると、孔明が、私の隣にそっと歩み寄った。

そして、彼の着ていた外套を、半分だけ私の方に差し出した。

孔明は、一瞬だけ躊躇するような仕草を見せたが、すぐにその表情を消し去った。

「どうぞ。風が強いようです」

肩が触れた瞬間、私の心臓は、この雪の中でも聞こえてしまうのではないかと思うほどに、激しく鼓動した。

外套の中の温もりと、孔明から漂う、ほんのり甘い墨の香りが、私を包み込む。

一つの外套を二人で身につけ、私たちは、ゆっくりと歩を進めた。

身体の距離が近づいたことで、彼の呼吸の音や、かすかな墨の匂いまでもが、私には、鮮明に感じられた。

私たちは、言葉を交わすことなく、ただ静かに、雪が降り積もった道を歩いた。

その温かい沈黙の中、孔明が、ぽつりと呟いた。

「…静かですね」

「はい」

私がそう返すと、二人の吐息が、白く混ざり合い、空へと消えていった。

私は、この人は、一体何を考えているのだろう、と改めて思った。

その優しさの裏に隠された、彼の本当の想いとは、一体何なのだろうか。


黄家の門が見えたとき、孔明は、私からゆっくりと外套を離した。

「…ありがとうございました」

私がそう言うと、彼は、ただ静かに微笑むだけだった。

そして、彼は、懐から小さな塩の小袋を取り出した。

「これがあれば…冬を越せます」

孔明は、そう言って、私に小袋を差し出した。

「どうして…そんな物を…」

私がそう尋ねると、彼は何も答えず、その小袋の口を、きゅっと結び直す。

その時の彼の表情は、一瞬だけ険しくなり、すぐに穏やかな表情に戻った。

それは、まるで、まだ明かせない秘密を、大切に仕舞い込んでいるかのような仕草だった。

私は、その光景を、ただ見つめていた。

塩の白い粒は、この世界を、大きく動かすための、小さな鍵なのかもしれない。

そんな予感が、私の胸の中で、ゆっくりと膨らんでいくのだった。


帰り道、川辺を通りかかったとき、子どもたちが、夢中で何かを拾っていた。

「お姉ちゃん、これ見て!」

一人の男の子が、私に手のひらを見せた。そこには、小さな石と、黒く光る粒が混じっていた。

川の流れは、冬の寒さでいつもより緩やかで、砂利の感触が、川底を歩く子どもたちの足元から伝わってくる。

孔明は、その粒に、一瞬だけ視線を止めた。

彼は、その粒を指先で軽く弾いて確かめると、意味深な視線を私に投げかけた。

私は、その黒く光る粒の意味がわからなかった。

しかし、その一瞬の孔明の視線が、私の心に、新たな疑問の種を蒔いた。

塩の白い粒と、この黒く光る粒。

白と黒、二つの粒が、未来を分けるかもしれない。

孔明の言葉が、私の頭の中で、再び響き渡った。

湯気が空に消え、雪明かりに照らされた冬の空は、ただ静かに、そのすべてを見つめているようだった。

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