桃太郎異聞録
文鳥
桃太郎異聞録
東西東西、皆々様に此度語らせていただきまするは桃から生まれた男の話。御伽噺と言われる歴史の裏に、あったかもしれない異聞にございます。
昔々ある所におじいさんとおばあさんがおりました。その頃、国は異常発生した飛蝗による飢饉に見舞われており、二人の住む村も例外ではありませんでした。イネを食い、衣を齧り、飛蝗の大群は雲のように空を覆いました。二人には子供がおらず、その日食べるものにも困る有様でしたが、嘆いてもしょうがない、せめて笑っていようと、いつもどおりの笑顔でおじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。おばあさんは洗濯をしながらふと、川上を見やり、目を疑いました。なんと、大きく、見るからに美味しそうな桃が流れてくるではありませんか。飢えが見せた都合の良い幻覚か、それとも神が与えた慈悲か、おばあさんは桃に手を伸ばし、触れられたことに安堵すると、洗濯物と一緒に桃を持ち帰りました。
大きな桃をおばあさんとおじいさんはほとんど皮と骨ばかりの手で切り分けます。すると、何ということでしょう中には元気な男の子がいたのです。ふたりは呆気に取られました。今食い扶持が増えるのは致命的です。それでもふたりは何も言わずに男の子を抱きしめたのでした。
ふたりからなけなしの食べ物を与えられて、桃太郎と名付けられた男の子はすくすく育ちました。そして、ある日言いました。
「鬼ヶ島へ行って鬼を退治してまいります」
それを聞いて二人は首を横に振りました。鬼が人間から物を奪って回ったのはもう伝説上の話まで遡るほど昔のことです。今を生きる人々の中に鬼への憎悪はありませんでした。けれど桃太郎は言いました。かつてしたことを鬼たちがまたしない保証などどこにもないと、先手を打つべきだと。桃太郎は自覚していました。これは詭弁だと。かつて鬼がしたことを自分がしようとしているだけなのだと。それでも、桃太郎は二人に死んで欲しくありませんでした。ふたりは桃太郎の熱意に負けて、どうにか工面して旅支度をさせ、きびだんごを持たせてやりました。
「行ってまいります」
必ずや成し遂げてみせると桃太郎は噛み締めるように言いました。
飢えているのは人だけではありません。道中で犬、猿、雉にきびだんごを分けてやると、三匹はこの時代に食べ物をわけ与えられたことにいたく感動して何でもすると言いました。桃太郎は旅の目的を三匹に告げました。
「アンタのそれは正義じゃない、ただのエゴで自己満足だ。だがな、アンタは俺の恩人だ。地獄にだって供するぜ」
そう言った猿に、犬と雉が頷きました。
一行が鬼ヶ島につきました。それは鬼たちにとっての地獄の始まり、蹂躙の合図でした。女の鬼や子供の鬼、彼らを逃がそうとする男の鬼、全て等しく刀や牙、爪の錆となりました。彼らは力こそ強いものの長らく争いとは無縁の暮らしをしていたために戦い方を忘れていたのです。桃太郎は船に宝を積み込み終わると、島中をくまなく歩き回りました。すると、倒れている二匹の鬼のそばに小さな洞窟がありました。そこにいたのは小さな鬼でした。背丈は桃太郎の腰ほどまでしかありません。状況について行けていないのか、その目に浮かぶのは、困惑と恐怖のみ。角はないが、赤い肌は鬼に違いない。作業のように刀を振り上げると、倒れていたはずの鬼が二匹、立ちはだかりました。一匹は小鬼を抱きしめ、もう一匹は桃太郎を睨みつけました。その時桃太郎は異形である彼らの目に鬼を見ました。伝説で歌われるような慈悲など持たぬ化け物を。二匹に優しいおじいさんとおばあさんの面影が重なりました。けれど。黒い髪が翻り、一閃。
呆然とこちらを見上げる小鬼の目に涙の膜が張り、憎悪が宿って光りました。小鬼の頬を涙が伝うと、赤色が溶けます。流れた跡の肌は桃太郎と同じ色でした。
宝物を持って帰ると、桃太郎よりずっと小柄な二人が彼を抱きしめました。二人の温もりに包まれながら、彼は同時に首筋に冷たいものを感じていました。きっと、本当に刃が突きつけられるのはそう遠くない未来でしょう。正義の名を借りることもなく、純粋なまでの愛ゆえに。地獄に落ちるその日まで、罪を忘れぬよう彼は目を閉じるのでした。
めでたしめでたし。
桃太郎異聞録 文鳥 @ayatori5101
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