ワイナリーへ 2
「奥様、なんだか顔色がすぐれませんが……ご体調は?」
「いえ、身体はなんともないわよ。心配させてしまって、ごめんなさい。……ただちょっと、昨日アヤを送り出したあとに、色々あって」
「……色々?」
歯切れの悪い言葉は、どこか不穏だ。なんと尋ねようか悩んでいると、静かな声が語りかけた。
「道に馬車のわだちが残ってる。あれは、何頭もの馬に率いられた大馬車だ。……それと、玄関周りに残る、魔法の気配」
シルヴィオはぐるりと周辺を見回してから、口にする。
「きのう、魔法学府の遣いが来たね?」
奥様は息を呑んだ。シルヴィオの質問には応えず、代わりに私に問いかける。
「アヤ、この子は?」
「私が現在、求人応募させていただいている研究所のかたです。とてもお若いですが、国立魔法学府の、教授さんなんですよ」
「学府って……まさかアヤ、貴方」
呆然とする奥様の後ろから、低い声が響く。
「……おまえも、ここを売り払えというのか……?」
奥様と同じくらいに――――いや、もっと疲れ切った様子の旦那様が、邸内から顔を表す。コツン、と床を打つ松葉杖と、不自然に傾いだ身に、頭から血の気が引いた。
「旦那様、お怪我を……! まさか、魔法でなにかされたのですか⁉」
「……直接手を下されたわけではない。こんな畑は焼き払おうと言うあの男を、止めようと飛び掛かって、結界に弾かれただけだ」
「そんな……ひどい」
「ひどい、だと? ……おまえだって、同じ要件で来たんじゃないのか?」
旦那様の声が震えた。
「そんな小僧とふたりで――――葡萄作りなどよりも、もっと尊い魔法のために、この地を使うべきだと、説得しにきたんじゃないのか?」
「貴方、アヤにむかってなんてことを!」
「旦那様、私はただ……!」
「――――いや、おれが説明する」
叫ぼうとする私を制して、シルヴィオが言った。
「はじめまして。おれは国立魔法学府農学部のシルヴィオ。肩書きは教授だ。……そして、昨日ここに来たのは秘跡学部の使いだ。おれとは所属も違えば、目的も違う」
「……いずれにせよ、魔法に関する話だろう」
旦那様は疲れた笑みを浮かべた。
「昨日、さんざん言われた。この地は優れた霊地だと。……葡萄作りになんて使うのは、国にとっての損失だと」
「へえ、魔法至上主義のやつらは、言葉を盛るのが無駄に上手いね。そして、汗水たらして働く民こそが、国の血肉なんだってことを、忘れてるみたいだ」
こんな冷たい声、はじめて聞く。
舌鋒鋭く吐き捨ててから、シルヴィオは言った。
「そもそも、霊地っていうのは優れた農地でもあるんだ。だって、作物を活かすのは命の力であり、星の命の力こそが魔力なんだからね。ここがワイナリーであるっていうのは、この上ない有効活用だとおれは思ってる」
「……昨日の男とは、ずいぶん話が違うな」
「言ったでしょ。所属も目的も違うって」
「じゃあ、そちらの目的は?」
「ワイナリーの葡萄を、治療すること」
「治療、だと? 三年間、専門家が手を尽くしても好転しなかったこの畑を?」
「それができるとしたら、おれだと思う。……アヤはそう信じたから、ここに案内してくれた。そうだね?」
視線を送られて、私は頷いた。
「はい。シルヴィオだったら助けてくれると思い、ここまで連れてきたんです」
「…………」
旦那様は黙り込んだ。奥様が「貴方」と呼びかけると、長い、長い息を掃き出し、口にする。
「……アヤ、そしてシルヴィオ教授。疑うようなことを言って、すまなかった」
「気にしないで。こんな怪我させられたあとだし。……魔法至上主義派のいやーなとこは、おれも知ってるから」
シルヴィオは奥様のほうを見やる。
「さっき、返事はもう少し待つようにって言ってたね。まだ、遣いには返事をしていない?」
「……はい。さんざん説得をされましたし、事業が立ち行かなくなっているのは事実だけれど、ここに生きる葡萄たちは、この人の魂そのものですから」
「魂だったら、売れないよね。……分かった。だったら、まだどうにかできる」
間に合ってよかった、とシルヴィオは言った。
「アヤ、畑に出よう。調査を手伝ってくれるかな?」
「……はい、勿論!」
力強くうなずき、畑に出て、数分。
シルヴィオは自らを「魔力が少ない」「できない魔法ばっかり」と言うけれど、葡萄の状態を確認し、手持ちの薬品と反応させて、さらには土を採取して、またたくまに状況を読み解く手際は、まさに『薔薇の魔女』の愛弟子だった。
「やっぱりだ。この枯死は、病害のせいでも、土壌の栄養のせいでも、呪物のせいでもない。……魔力食いの精霊『バーゲスト』を、無理やり引っ張り込んだせいだ」
「……さっきシルヴィオは、魔力とは命の力だって言いましたね」
「人間で言うところの精気って言えばいいかな。『バーゲスト』は、他者の命を食らって育つ、悪性の精霊の総称だ。死体が溢れる戦場や、焼けた町の跡なんかに多くて、ふつう、こんなのどかな場所には寄りつかないんだけど」
シルヴィオは石板片手に、いくつか魔法陣を書いてから、やっぱり、と言った。
「この葡萄畑には、『バーゲスト』の召喚陣、そして、維持陣が敷かれてる」
「……つまり、人為的な所業ということですね?」
「確実にね。あとは、術者の特定だけど……」
シルヴィオはそこで言葉をきった。町のほうから響いて来る派手な音に、唇を斜めにする。
「自分たちから来てくれたみたいだ」
道を駆けてくる大きな馬車を、私ははっとして見つめた。
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