魔女の報せ3

「申し訳ありません……話をさえぎってしまって」

「ううん、気にしないで。アヤちゃん、葡萄畑に縁があるの?」

「アヤさんは以前、ワイナリーで働いてたんだって。葡萄畑にも出てたらしいよ」

「ワイナリー?」

「はい。……そのワイナリーでも、葡萄が枯れてしまう病気が出ていて。それが三年も続いてしまって、旦那様が休業を決心なさり、私も暇を言い渡されました」

「……じゃあ、アヤさんは、仕事を辞めたくて辞めたんじゃないんだ」

「はい。……あそこは私にとって、家のような場所でしたから」

 

 優しい旦那様と奥様は、私に「もっと別の目標や夢を見つけてもいい」「もしどうしても望むのならば、故郷に帰る選択肢もある」と言ってくれたけれど、私にとっては、あの二人に恩返しをすることこそが、なによりの喜びだった。


「……そっか」

 

 シルヴィオはそう呟くと、静かに考え込んだ。と同時に、エヴァさんが口にする。

 

「待って。いま、三年って言ったわよね。……アヤちゃん、貴方の元職場のワイナリ―の名前を聞いてもいい?」

「ドルジャワイナリーといいます」

「ビンゴ。まさかこんなところに関係者がいただなんて……渡りに船って、このことね」

「つまり、エヴァさんがシルヴィオにお願いしようとしているのは」

「……ふふ。巡り合わせって、面白いわね」

 

 エヴァさんは赤い目を細める。

 

「今回、貴方に調査を依頼したいのは、山裾の町のはずれにある、ドルジャワイナリー。ここで、原因不明の葡萄枯死事件が発生していたの。魔法学府の農学部が調査に入ったけど、成果が得られず、事態は……いま、アヤちゃんから聞いた通りよ」

「……もう、発生から三年経つんだよね? これまでの経験的には、作物枯死って、一年目で相談が来る印象だったけど」

「そう、学部最上層まで報告が上がるのが、ずいぶん遅かったのよ。楽観的な見方をするのなら、発生規模のせい。この枯死事件は、限定的な範囲でしか起きていないの。近郊には、ドルジャワイナリー以外の葡萄農家もあるけれど、そちらでは異変は起きていない。伝染性はないからって、見逃されてたみたいね」

「そこまで局所的なら、呪詛っぽいけど」

「そこはさすがに見てるわよ! 教会の神父様たちがいろいろやったけど、駄目みたい。魔法学者も聖職者もお手上げで、よく分かんなーいって、放置されてた……っていうのが、楽観的な見かた」

「じゃあ、警戒深く考えるのなら?」

「意図的な隠蔽ね。あのワイナリーがある場所、結構いい感じの霊脈にあるのよ。秘跡学部の子たちが、前々から目に着けて、買い取ろうとしてたのよね」

「買収には公費が動くはずだ。申請はいつ?」

「一か月半前。そこから予算会議にかけられて――――まあ、いつものごとく一か月は放置されてから、一週間前に経理の承諾を得てる。ちなみに、そのひとつ前の買い取り申請は、四年前ね」

「……それで、枯死の発生が、三年前か」

 

 シルヴィオは眉を寄せた。

 

「それもう、ほとんど確信があるってことじゃん。おれ、動く意味ある?」

「意味ならあるわよ! わたくし、秘跡学部とは折り合いが悪いんだもの。貴方をここに置くにあたり、側の学府長からどれだけブーイング喰らったと思ってるの⁉ アストラホルンは、国でも最高峰の霊地なんだからね!」

「エヴァ、ちょっとストップ。……アヤさんに補足すると、秘跡学部は、神や精霊の遺物とか、聖地について、歴史や特徴を解析して、管理することを主軸としてる学部」

「な、なるほど……」

「エヴァとは別の学府長……三大学府長だから三人いるんだけど、その一人ね……の派閥で、そこは、エヴァの派閥……おれがいる農学部も所属してる……とは、なんか仲悪いんだよね」

「あの子たち、実学的、産業的な魔法を、なにもかも嫌ってるから。坊やのことも毛嫌いしてるわよね。魔法使いのあるべき姿から外れてる、とか言って」

「まあ、おれ、魔力少ないしね。飛べないし雷とか出さないし」

 

 シルヴィオはこともなげに肩をすくめる。

 

「ていうか、おれはべつに、アストラホルンがほしいとか言ってないし。適当な森の奥でよかったのに。極論霊地じゃなくてもいいぐらいだよ」

「貴方をそんなところに置けますか! どうせ王都を離れるなら、最高の場所がいいじゃない!」

「それで結局、自分の首を絞めてるんじゃん」

「言葉の多い坊やね。……そういうわけで、わたくしが秘跡学部にちょっかいかけるのは、あんまり良い感じじゃないの。けど、貴方自身が『気付いて』動くなら別でしょう」

 

 そこで、エヴァさんはこちらをちらりと見やった。

 

「ワイナリーを失ったアヤちゃんが、雑談混じりに相談した。そこにピピーンときた、今代でもっとも才ある魔法研究者。そして暴かれる秘跡学部の汚職。良い筋書きね。私をチクチク言ってる同僚も、きっと矛を下げるわ」

「ごめん、アヤさん。なんか勝手に巻き込まれてる。エヴァは基本勝手なんだけど」

「いえ、お気になさらず……ところで、もしかして」

 

 私はおそるおそる口にした。

 

「……シルヴィオが、ワイナリーに行ってくれる、ということですか?」

 

 ――――誰か、助けて。

 私も、旦那様も、奥様も、従業員のみんなも、ずっと願っていたと思う。

 

 望んで、望んで、それでも伸ばされなかった手を。

 

「助けて、くださるんですか?」

 

 やっと。

 やっと、届くかもしれない。

 

 溢れだしそうな思いのなか、やっとのことで口にする。エヴァさんが得意げに身を躍らせた。

 

「とうっぜん! なんたって坊やは、この『薔薇の魔女』の、今代最高の弟子よ!」

「ちょっと、安請け合いしないでよ。……でも、できる限りは頑張るよ。聞いた感じ、どうすればいいかの検討はついてるし」

 

 シルヴィオはそれから、こう付け加えた。

 

「……ワイナリーが営業再開したら、アヤさんの就職活動も、取り下げかな?」

「あ――――そう、なるのでしょうか」

「きっと、それが合理的な帰結だよ。だって、アヤさんにとって、家なんでしょ。帰れる家があるのなら、帰ったほうがいい」

 

 穏やかに告げられた言葉に、息を呑む。

 咄嗟に反論の言葉が出かかって――――けれどそれは、出会ったばかりの身で口にするのはどうにも分不相応な気がして、口をつぐむ。


 気まずくなった私の代わりに、言葉を発したのはエヴァさんだ。


「とにかく、ワイナリーの件はお願いね。……せっかくのお料理がすっかり冷めちゃったわ。代わりに温めなおしておくわね」

 

 それから、赤い目のイタチは、くるりと宙で一回転する。きらきらした光の粒が降ってきたと思うと、冷めたスープのなかに吸い込まれていった。

 

「それじゃあ二人とも、薔薇の香のように善き夜を」

 

 エヴァさんは最後、器用に片目をつぶった。一瞬後、赤かったはずの目は黒く染まり、イタチはぱちぱちと瞬いてから、「きゅう!」と鳴いて、一目散にシルヴィオのほうに突っ込んでいった。

 

「きゅう!」

「こら、いま食事中だって。……お疲れ、フェオ」

「きゅ~!」

「……もう、エヴァさんはいないんですね」

「うん、人格複写をやめたみたいだね」

 

 シルヴィオはイタチのフェオをよしよし、と撫でた。フェオは「きゅう!」ともう一度鳴くと、煙のようにすがたを消してしまった。

 

「……不思議な生きものですね」

「妖精の森の、流星イタチだね。エヴァの使い魔の一匹。……うげえ、せっかく冷ましたスープが、もとの温度に戻ってる」

 

 絶対わざとだ、と呻くシルヴィオに、私は苦笑した。そして、彼の舌が受け入れられる温度になるまで待ってから、同じタイミングでスプーンをつけた。

 

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