山上の研究所4
その場でもっとも賑やかだったかたが去り、二人になった部屋の中、私はおずおずと言った。
「……すいません、シルヴィオ教授側のご意見も聞かぬうちに、あんなことを」
最終的に同意してもらえたけれど、ずいぶんと先走ったことを言ってしまった。すいません、と頭を下げると、シルヴィオ教授は首を傾げる。
「そう? アヤさんが言い出すのがいちばん効率が良かったよ」
「こ、効率」
「ロランは『ここに残ってろ』なんて言えないし、おれが引き留めるのも、変な話じゃん。さっきの流れがいちばん合理的」
効率とか、合理的とか、言葉は独特だけれど、つまるところは「気にしないで」と言ってくれているのだろう。
――――少なくとも、悪いやつじゃないよ。むしろ、すっごく優しいやつなんだ。ちょっと……いや、かなり分かりづらいけどね。
ロランさんの言葉が、頭をよぎる。
(さっきも、私を心配してくれた。たくさんのことを見て、考えている人なんだろう。……二十二歳で教授って、きっとすごく頭が良いんだろうし)
ぼんやりと考えていると、シルヴィオ教授が振り返る。
「ところでさ、ひとついい?」
「はい、もちろん」
「シルヴィオ『教授』っていうの、いらない。シルヴィオでいい」
「わ、分かりました。では、シルヴィオさんと」
「『さん』?」
「呼び捨て、ですか!?」
聞き返すと、こくんと頷かれる。さすがに気が引けるけれど、「おれのほうが年下なんだし、そもそも、上下関係みたいなの、あんまり得意じゃない。ていうか長すぎて非合理的」とまで言われると、拒否するのも失礼な気がする。
「では、お言葉に甘えて、シルヴィオと。……よろしくお願いします、シルヴィオ」
「うん。よろしくね、アヤさん」
「私はさん付けですか⁉」
「年上には敬意が必要だって、ロランが言ってた」
「……ロランさんは呼び捨てじゃないですか」
「ロランはロランだから」
あっけらかんとした言いぶりや、さきほどのやり取りを見るに、二人は相当仲が良いようだ。魔法学府の研究者と、前線の竜騎士にどんな繋がりがあるのかは想像できないけれど、才ある人々のなかには、いろいろとあるのだろう。
「そういえば、ロランさんも『隊長』なんていいと言っていました。お二人は波長が合いそうですね」
「そういうところだけはね。ロランって、すっごくおせっかいだから。頼んでないこともしてくれちゃう」
そのおせっかいのなかには、私のような者を斡旋するのも含まれているのだろう。さきほどシルヴィオはハッキリと「人を雇いたいなんて頼んでない」と明言していた。すなわち、私がここにいるのは、彼の望むところではない、ということだ。
(ロランさんはああ言っているとはいえ……望まれていない場所に、無理やり押しかけて働くというのは、ちょっと気が引ける。勉強なんてしたこともない私に、なにかができるとは思えないし)
シルヴィオの心情を考えると、この件は、やんわりと辞退したほうがお互いのためだろう。
「それじゃあ、ええと……研究所の見学、だっけ?」
「あっ、はい。ですが、お忙しければお気遣いなく」
「でも、ちゃんとしないとロランが怒るでしょ」
「……それは否定できませんね……」
「だったら、ちゃんと説明したほうが合理的。それじゃあ、ええと、おれがやってることの説明だけど……。……」
「……」
「……エピジェネティック魔法因子って言って、分かる? 終始トリプレット挿入とか、他変換疑似核酸術式とか」
「申し訳ありません、どれも分かりません!」
「そっか。じゃあ……あ、これならロランでも分かったはず。魔法粒子レセプターとか、炉心型生成回路とか」
「えっ……ええと……」
「………………分かった。ちょっと待って、考えるから」
考えさせてしまった。
(本当の専門用語ならともかく、ロランさんも分かるってことは、きっと、一般的な教養ってことだよね? な、情けなさすぎる……!)
軍部で頭角を示しているロランは軍学校を出ているだろうし、十中八九勉学にも秀でているのだろうけれど、それにしたって、である。
「あっ、そうだ。細胞膜とか、魔力小胞とか、核とか、どう?」
「分か……りません」
「……おれ、プレゼンもそこそこやってきたけど、アヤさんみたいな人に研究を説明しようとするのって、はじめてかも」
「うぐっ!」
おそらくシルヴィオに悪気はない、悪気はないのだろうけれど、いまのはちょっと、さすがに、深々と刺さった。一方シルヴィオのほうは、「いかに説明するか」を真剣に考えこんでいる。
「あの、私のやるべき仕事は、洗い物と掃除だと伺っています。でしたら、研究の内容については分からないままでも……」
「それは駄目」
「……駄目、でしょうか」
「駄目。じゃないとアヤさん、自分の仕事の意味、見失っちゃわない?」
あっけらかんと告げられた言葉に、私はまばたきをした。
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