悔恨③
一行は小さな村で一旦足を止めた。そこでしばし休養した後、今日泊めてもらう予定の館に向かうつもりだった。
「こ、この度は遠路はるばるおいでくださいまして……」
しかし、出迎えにやってきた獣人―ランダルトは、子どもの頃に屋敷で飼っていた猫によく似ているな、と思った―の村長の態度は、誰の目にも不自然に映るものだった。これまでしばしば向けられてきた敵意を込めた態度でもなく、何かに怯えているような、あるいは焦燥の滲むような顔。
「たいしたおもてなしもできませんが、ど、どうぞゆっくり体を休めて頂いて……」
「長殿」
ウィザーヌの声に、村長の尻尾がびくりと跳ね上がる。
「失礼だが、何か気にかかることがおありなのでは?」
「いえ、それはその……」
「もし我々が力になれる事柄ならば、話してみてはもらえないか。無論、無理にとは言わないが」
村長が迷うように視線を泳がせていると、彼の背後に控えていた若者が意を決したように顔を上げた。
「……実は、村の子どもが三人、今朝から姿を消しているのです」
ウィザーヌは眉間に皺を寄せる。
「拐かしか。何か手がかりは?」
「今のところは何も……。三人とも、村の近くで親の仕事を手伝っている最中に忽然と消えてしまいまして……」
「わかった。我々も捜索に協力しよう」
「お待ちください、殿下」
声を上げたのは、外務卿の手の者のひとりだった。
「今から捜索をしていては目的地に着くのは夜中になってしまいますし、そもそも人探しなど我々の出る幕ではないでしょう」
「いやいや、隣人の苦難には手を差し伸べるべきだよ。館の主殿には先行して遣いをやらせて、少々遅れる旨を伝えればいい。その際に助力の願いも出させてもらうとしよう。それから……」
「……殿下。まさかとは思いますが、ご自分も捜索に参加されるおつもりですか」
ランダルトが問うと、ウィザーヌはひらひらと手を振ってみせる。
「私のお守りをしながらの捜索は大変だろう。おとなしく村で吉報を待っているさ。そういうわけで頼んだよ、帝都一の剣士。きみならこれくらい朝飯前だろう」
「いえ、私も人探しについては素人なのですが……」
「でしたら、あたしと一緒に探しましょう。獣人ほどではありませんが耳も鼻も利くほうですから、多少はお役に立てるはずです」
「頼みます、ソフィさん。拐かしの犯人撃退は、ランダルトにお任せを」
「はい。ランダルト様、もしものときはよろしくお願いします」
ランダルトはソフィの言葉に釈然としないものを感じつつ、わかりました、と答えた。
ふたりは村の近くに広がる林に向かった。子どもたちはこの辺りで枝拾いをしていたのだという。普段なら午前中で枝を集め終えて帰ってくるのだが、今日は昼を過ぎてもまだ帰ってきていなかった。
ランダルトは、草と木の根に覆われた地面に目を落とす。
「枝を集めるために林の奥に分け入っていった、というわけではなさそうですね」
「そうですね……まだ使えそうな枝はたくさん落ちていますし」
「やはり拐かしなのでしょうか。あるいは、獣に襲われたか」
「近くに血の臭いは感じませんが……もう少し、奥まで進んでみましょう」
先へ進んでいくと、木々は次第に密度を増していく。昼間だというのに闇が濃く、非常に視界が悪い。
「ここに迷いこんでしまったのでしょうか。……猪が出そうだな」
「たしかに。……帝国でも猪って多いんですか?」
「よく村の近くの畑に出ましたね。それを撃退するのが、子どもの頃は良い訓練になりました。こちらでも、よく見かける獣といえば猪ですか」
「そうですね。あたしの地元は山の奥深くにあるので、近くには色々な獣がいたんですけど、多かったのは猪、鹿、狐、それから……」
ソフィは突然口を噤む。
「……ひょっとして、あいつかしら」
「あいつ?」
「あ、いえ、おそらくあたしの思い過ごしだと思うんですけど……」
ソフィは周辺の草むらに視線を走らせる。その目の真剣さに気づいたランダルトは、黙って彼女を見守る。
やがてソフィは草むらに屈みこみ、ランダルトを招き寄せる。
「ここ、見てください」
ソフィが指差した先では、草が何かに押し潰されたようにひしゃげていた。
「あっちにも同じような跡がついてますよね」
少し離れた場所にもうひとつ、そこからさらに離れた場所にもうひとつという感じに、奇妙な痕跡が林の奥へとぽつぽつと続いている。
「これは何でしょうか」
「影蛇の通った跡です」
「影蛇?」
ランダルトが問うと、ソフィは硬い表情で頷く。
「人を呑みこめるほどの巨体にも関わらず、ほとんど音を立てずに動くのでそう呼ばれているんです。普通の蛇みたいに這うのではなく、体の一部分だけを地面に着けて移動する性質があって……あたしの村でも時折、小さい子が襲われました」
「……それはつまり、もう望みは薄いということですか」
「いえ、影蛇は獲物を毒で動けなくしてから巣に持ち帰るんです。連れ去られた者が食べられてしまうまでには、少しの猶予があります。と言っても」
ソフィは、折り重なる枝葉の隙間から覗く、赤みの差した空を見上げる。
「おそらく、そろそろ刻限が近いでしょう。急がないと」
「我々ふたりで対処できる相手ですか」
「はい。ランダルト様ならば、遅れを取ることはないと思います。ただし気配を巧みに隠す獣なので、不意を突かれないようくれぐれも気をつけてください」
ふたりは周囲に細心の注意を払いつつ、草の上に残された痕跡を辿っていく。ランダルトは神経を研ぎ澄まし、いつでも剣を抜けるよう剣の柄に手をかける。
やがて、少し開けた場所で痕跡が途絶える。
そこには小さな洞穴があった。
ランダルトとソフィは無言で頷き合い、足音を忍ばせて洞穴へと近づいていく。
洞穴の入口が間近まで迫ったとき―。
「ランダルト様っ!」
ソフィの鋭い叫びに、ランダルトは咄嗟に身を翻す。
直後、ランダルトの外套の端を何かが掠めていく。
ランダルトは瞳を見開き、それを見据える。草木に紛れるようなまだら模様の、子どもどころか大人すら呑みこめそうな巨体の蛇。ランダルトに向けられた尾の先では、鋭い針が煌めいている。
ランダルトは剣を構え、一歩前に出る。
「先に洞穴の中へ。私もすぐ追いつきます」
ソフィは頷き、素早く洞穴へと姿を消す。
ほぼ時を同じくして、蛇の第二撃が飛来する。しかし、ランダルトはそれを難なく避ける。たしかに気配を隠すのは巧みだが、一度姿を捉えてしまえば恐れるほどの相手ではない。
ランダルトは地面を蹴り、蛇の懐へと潜りこむ。そして牙を剥く暇も与えず、疾風の速さで剣を振るう。ぼとり、と蛇の首が地面に落ちる。
直後、背後の洞穴から叫び声が聞こえた。ランダルトは踵を返し、洞穴に躍りこむ。
「気をつけてっ! もう一匹います!」
ソフィの鋭い声に、ランダルトは足を止めて暗闇に目を凝らす。朧げに見えてきたのは、先ほど切り捨てたのと同じ巨大な蛇が一匹、倒れ蹲る獣人の子どもが三人、そして彼らを守るように蛇の前に立ち塞がるソフィだった。
「こっちだ!」
声を張り上げたランダルトに、蛇は尾を振りかざす。その尾をすかさず払い、返す刀で首を一撃の下に切り落とす。
ランダルトは剣を鞘に収めると、ソフィの元に駆け寄る。
「怪我はありませんか」
「はい。この子たちも……毒で意識を失っているけど、命に別条はないはずです」
「良かった。それでは、戻りましょうか」
「ええ。……あの、ランダルト様」
ソフィはかしこまった様子で、ランダルトを見上げる。
「本当に、ありがとうございます。ランダルト様がいてくれなければ、今頃どうなっていたことか……」
ランダルトは少しの間を空けた後、お気になさらず、と返す。
その夜、村ではささやかな祝宴が開かれた。ランダルトは救出劇の立役者として、あちこちで御礼を言われ、杯に酒を注がれた。
「おや、今日は飲んでるみたいだね」
「彼らの気持ちに水を差すのも如何なものかなと……殿下、あなたからのお気遣いは不要です」
「つれないなあ。おっとソフィさん、あなたも今日は大手柄でしたね。影蛇なんて、よく知っていたものだ」
「あ、いえ……あたしは別に何も。影蛇は地元で時折見かけたのですけど、まさかこんな街道に近い土地にまでいるなんて……」
「ソフィ殿の生まれた村は、街道から離れているのですか」
「そうですね。山奥の、周囲の村ともほとんど交流を持たないようなところなんです。それが嫌で飛び出してきたんですけど」
ソフィはそこで言葉を切り、するりと立ち上がる。
「少し風に当たってきますね。酔いが回ってるみたいなので、醒ましてきます」
ソフィが立ち去るや否や、ウィザーヌはランダルトを肘で小突く。
「なんでしょうか」
「なんだも何も、どうしたんだい彼女。いつもの元気はどこへやらじゃないか」
「ひとつ、心当たりがあります」
「なんだ、やっぱりきみのせいか」
「いえ、そういうわけではないのですが」
「なんでもいいからさっさと追いたまえ」
「……仰せのままに」
ソフィは村の外れの川沿いに、ひとり佇んでいた。
「……ランダルト様」
振り返った顔に、どこか取り繕ったような笑みが浮かぶ。
「どうしたんです? あんまり皆に飲まされるから、抜け出してきちゃいました?」
「そういうわけではないのですが」
「じゃあ、あたしと話したかったんですか?」
どう返したものかと迷った後、ランダルトは素直に尋ねることを選ぶ。
「はい。昼間の出来事について、お聞きしたいことがあります。あの洞穴で、ソフィ殿は子どもたちを守るように影蛇の前に立ちはだかっていましたね」
ソフィは無言で頷く。
「なぜ、ただじっと立っていたのですか? あなたには戦う力があるのに、なぜそれを振るおうとしなかったのです?」
少しの間があった後、ソフィは諦めたような笑みを浮かべる。
「やっぱりランダルト様の目はごまかせませんよね」
ランダルトは頷く。
「初めてお会いした際、普段はメイドの仕事をされていると聞いて驚きました。王国のメイドはこれほどの手練揃いなのだろうか、と」
「メイド以外の仕事を初めは勧められました。だけどあたしは、戦うのが嫌だったので」
「理由を聞いてもよろしいですか」
ソフィは頷き、川面に視線を落としながら話し始める。
「わたしたちの種族は牙の民、あるいは王の牙と呼ばれています。魔王の尖兵として、戦争で牙と爪を振るってきたからです」
「牙の民……聞いたことがある気がします」
帝国人とよく似た姿を持つが、遥かに強い力を持つ民。幾千もの帝国兵が、彼らに喉笛を裂かれて命を落としたという。
「戦争が終わった後、牙の民は故郷の村に戻り、そこで誰とも関わりを持たずに暮らし始めました。帝国人の報復を受けるのも、再び魔族に利用されるのも嫌だったからです」
ソフィはゆっくりと、記憶の底を覗きこむように喋り続ける。
「あたしは、誰とも関わりを持つことのできない村の暮らしが嫌でした。生まれてからずっと村に閉じこめられて、死ぬまでこのままなんてまっぴらごめんでした。だから村を飛び出して、好き勝手に生きようと決めたんですけど」
ソフィの口元が浅く歪む。
「結局、村から離れたことのない世間知らずの小娘にできることなんてあまりなくて、あたしは自分の生まれ持った力に縋り、ようやく食い扶持を得ました」
「兵士か、あるいは傭兵ですか」
「もっと悪いものです。ごろつきの用心棒、と言ったところでしょうか。あたしはろくでもないやつらを守るために力を振るい、散々振るった後でようやく、自分が何をしているのか気がつきました」
「……」
「それからあたしは、戦いを恐れるようになりました。もう荒事には手を貸したくない、だけど今更村にも帰れないし、路頭に迷うしかない……というところを偶然、魔王様に拾って頂いたんです」
「魔王?」
「正確には、魔王様に仕えている執事の方に、ですけどね。その方も最初はあたしを兵士として雇いたがっていたんですけど、あたしの意を汲んで、メイドの仕事を任せて下さったんです」
「そんなこともあるのですね」
「ええ、ダナモス様……その執事の方と魔王様には、感謝してもしきれません。だから今日も、魔王様の民を守るため、あたしが動かなければならなかったんですけど」
ソフィは自身の右手に目を落とす。よくよく見れば、その爪は刃物のように鋭利だ。
「どうしても、もう一度これを振るう決心がつかなくて。ランダルト様が駆けつけてくれなかったら、あたしはあの子たちを見殺しにしていたかもしれません」
「そんなことはないでしょう」
「いいえ、あります。あたしはランダルト様みたいに正しい心を持っていませんから、自分を守るためなら罪のない人を平気で傷つけられるんです」
「……そんなことは」
黙りこんでしまったランダルトを見て、ソフィは少し表情を緩める。
「ごめんなさい、僻みっぽくなっちゃいましたね。あたしはただランダルト様みたいに、正しく己の力を振るえる人になりたいと思って」
「それは買い被りです。私は何も考えず、命じられるままに剣を振るっているだけですから」
ソフィは、普段の彼女と同じ軽やかな笑い声を立てる。
「たしかに、考えたうえでの行動ではないのかもしれませんね。だけどランダルト様はあたしと違って、罪のない人を傷つけるようなことは決してしないと思います。たとえ主君から非道な命令を下されたとしても、最後は必ず正しい道を選ぶ方だと思います」
「……そうでしょうか」
「そうですよ。たったひと月足らずの付き合いでも、それくらいはわかります」
ランダルトは無表情のまま黙りこんでいたが、やがて独り言のようにぽつりと言葉を漏らした。
「ひとつ尋ねたいのですが」
「ええ、なんでしょう」
「魔王……陛下が、憎くはないのですか」
ソフィは微笑みながら、首を横に振る。
「今の魔王様は、先代とは違いますから」
「それはそうかもしれませんが。また同じようなことが起こる可能性だってあるのではないでしょうか」
「そうかもしれません。だけど、魔王様はランダルト様と同じですから」
「同じ?」
「はい。おふたりとも、正しい道を歩まれる方です。魔王様がこの国をお治めになっている限り、戦火が再びこの国を襲うことはないと、あたしは信じています」
そう言い切ってから、ソフィは苦笑する。
「楽観的だと思いますか?」
「いえ……魔王陛下の下で働かれているあなたがそうおっしゃるのなら、きっとそうなのでしょう」
「ありがとうございます。ランダルト様にそう言ってもらえると嬉しいです」
夜風が吹き、ソフィは上着をかきあわせる。
「そろそろ戻りましょうか。この辺りは夏でも夜になると冷えこみますし」
「いえ、私はしばらく風に当たっていきます」
「酔い覚ましですか? たくさん飲まされていましたものね。だけどあんまり長居をして、風邪を引かないように気をつけてくださいね」
ソフィが去った後、ランダルトは水面を見下ろした。闇に染まる水面に映りこむ自分の姿を、彼はじっと見下ろし続けた。
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