裏門の番人たち④
「おっ、気がついたかい?」
目を覚ますと、そこはベッドの上だった。
ティフォードは声の主、仮面の大執事に目を向ける。彼はベッドの脇に置かれた椅子に腰かけている。
「……どこですか、ここ」
「西塔の一室だよ。私の隠れ家みたいな場所さ」
ティフォードは首を動かし、部屋を見渡す。ベッドと小卓が置かれただけの狭い部屋。小卓の上の蝋燭の火は、部屋に広がる暗闇を払うにはあまりに心もとない。
「俺、なんでこんなところで寝てるんですか」
「裏門の前で気を失ってたのさ。まあ、大事はないと思うよ。顔も数日経てばいつもの男前に戻るさ」
「それは別にいいんですけど、あいつらはどうなりましたか?」
「あいつら? ああ、門の前で泡を吹いてた男とそのお仲間かい。男はひとまず保護して治療を受けさせてる。お仲間のほうは捜索中だね」
「良くなりそうですか」
「ああ。指も耳も原型を留めてたから、ちゃんとくっつけてあげるよ。我ながら情け深いことだと思うけど」
「そうですか」
息を吐くティフォードに、ダナモスは意味ありげな視線を送る。
「安堵してやるのかい? きみに傷を負わせたのはやつらだろう」
「そうですけど、それとこれとは別問題というか」
「同情しているのかい?」
「そんなんじゃありません。俺はただ……」
「ただ?」
言葉に詰まるティフォードに、ダナモスは苦笑を向ける。
「すまない。弱ってるところに意地悪をしてしまったね」
「いえ」
ティフォードは低く呟くと、闇に包まれた天井を見上げる。
「ディアはどうなりましたか」
ダナモスは一瞬の間を置いて、「寝てるよ」と答える。
「傷はそう深くないし、じきに良くなるだろう」
「傷を負ったんですね」
「ああ」
ティフォードは一見平静な顔で天井を見上げ続けていたが、やがて淡々と言う。
「俺がディアを刺したんですね」
「状況を見る限り、そのようだね」
「後ろから、あいつがあの男にとどめを刺そうとした瞬間を狙ったんです」
「倒れていた位置からすると、そうだったのかもしれないね」
「あいつは俺を助けようとしてくれたのに」
ティフォードは右手で目元を覆い隠す。
「俺のために、あいつらに立ち向かってくれたのに。それなのに俺は」
「きみが介入しなければ、あの男は死んでいた。きみは人の命を救ったんだよ」
「その代わりにディアが死んでいたかもしれませんでした。俺はあのクソ野郎とディアの命を天秤にかけて、クソ野郎のほうを選んだんです」
ダナモスは視線を宙に放り、息を吐く。
「こんなことを言っても慰めにならないだろうが、ディアはきみが槍で突いた程度じゃ殺せないよ。何と言ったって、彼女は牙の民なんだから」
「……牙の民? なんですか、それ」
ダナモスは椅子にかけ直し、膝の上で指を組む。
「古くから、牙の民はその驚異的な強さで帝国から畏れられてきた。あらゆるものを裂く爪。疾風のごとき身のこなし。魔王は彼らを重用し、彼らが送りこまれた戦場では幾千という兵士の首が飛んだという」
「その末裔がディアなんですか」
「ああ。それもおそらく、唯一のね」
「唯一?」
「数年前、牙の民の住む集落が焼き討ちにあった。それでディア以外の者は皆死に絶えてしまったんだ」
「……誰がそんなことをやったんですか」
「彼らの村は国境沿いにあってね。普段の彼らは臆病といってもいいくらいおとなしい性格だから、自分たち以外の種族には干渉せず慎ましやかに暮らしていたんだが」
「帝国人が彼らを襲ったんですね」
ティフォードが確信の籠った声で言うと、ダナモスは頷く。
「だけど、そこいらの村人が束になったところでディアには勝てないでしょう」
「かなり大規模な、魔術師も含む傭兵部隊を周辺の領主が金を出し合って雇ったのさ。それこそ、戦争ができるくらいの部隊を小さな山間の集落に差し向けたんだ」
「そこまでディアたちは恨まれていたんですか」
「恨みというより、おそらく彼らはただ怖かったんだろう」
怖かった、という言葉がティフォードの胸の内でこだまする。闇の中で輝く薄緑の瞳。返り血に濡れた頬。今もまだ脳裏に張りついているその光景を、一言で表すならば。
「ただ怖かった。それが理由になるんですか」
「ならないかもしれない。しかし、事実彼らは牙の民をひどく恐れていたし、それには仕方がない部分もあると思う」
「仕方がない」
ティフォードは体を起こし、暗く燻る瞳でダナモスを見る。
「人は、自分と異なる者を恐れる。それは本能に刻みこまれた性質みたいなものだ。恐れがなければ人は躊躇なく危険に近づき、あっけなく命を落としてしまうだろう」
「それじゃあダナモス様は、俺があいつを恐れるのも仕方がないことだって言うんですか」
ティフォードの声は、徐々に激しさを増していく。
「俺があいつを化け物と呼んだことも、どうしようもないクズ野郎を守るためにあいつを傷つけたことも、全部仕方がないことだって言うんですか」
「ああ、そうだ」
さらりと言ってのけたダナモスを、ティフォードは鋭く睨む。しかしすぐに仮面の向こうの藍色の瞳が、まっすぐこちらを見ていることに気づく。
「私もきみと同じだから、よくわかる」
「ダナモス様が俺と同じ? 冗談でしょう」
「冗談なものか。私は誰よりも弱かった。だから私は逃げ続け、その末にこの異郷の都に辿りついた。そうこうしているうちに、大執事なんていう大層な肩書きまで背負わされてしまったんだが」
仮面の下の口元に、ふっと笑みが浮かぶ。
「恐れるのは仕方がない。それもまた、きみがディアに対して向ける大事な感情のひとつだ。だが、きみが彼女に抱く気持ちはそれひとつじゃないだろう」
「おれがあいつに、抱く気持ち……」
彼女の俯いた顔。しっかり耳を澄まさないと聞こえない声。ようやく見つけたと思ったら、たちまちに消えてしまう笑顔。そういったものに対し、自分が感じていること。
「怖いから関わりを持たないようにする。それもひとつの選択だ。だが、それしか道がないって話でもない。怖いけど寄り添う。怖いけど手を取り合う。そういう関係だってありうると、少なくとも私は信じているよ」
ダナモスはティフォードの肩にぽん、と手を置く。
「まあ、その辺りについて考えるのはまた明日だな。今はゆっくり体を休めるといい。……っておい、ちょっと」
ティフォードはベッドの背に手をつき、よたよたと立ち上がる。
「もう大丈夫なんで、行きます」
「行くってどこへ」
「ディアのところです。会ってくれるかわかりませんけど、でも行きます」
ダナモスはふむ、と顎を掻き、ゆらゆらと炎の立ち昇るようなティフォードの後姿を見据える。
「医者なら止めるところだが、幸い私は医者じゃない。いいだろう、行ってきたまえ」
ディアは東塔の近くに設けられた医務室で治療を受けていた。ティフォードが医師に面会を求めると、医師は渋い顔をしつつも許可を下ろしてくれた。
ティフォードは扉を叩き、ディア、と声をかける。
長い沈黙の後、「……ティフォード?」という声が返ってくる。
「入っていいか? 少し話したいんだ。無理なら、また日を改める」
今度の沈黙は先ほどより長かった。
「無理なら、無理でいい」
「ううん、大丈夫」
「そうか」
ティフォードが扉を開けると、ベッドに横たわるディアと目が合った。毛布が体にかかっているので傷の具合はわからないが、顔色は普段とあまり変わらないように思える。
ティフォードは机の手前の椅子を引き寄せ、ディアの横に座る。
「悪いな、急に押しかけて」
「ううん、大丈夫。それより、ティフォードはもういいの?」
「俺は見ての通りというか……見てくれは少しあれだけど、体はおおむね問題ない」
「良かった」
ディアは心から安堵したように、微笑みを浮かべる。その様子を見て、ティフォードの胸にちくりと痛みが差す。
「ディア」
ティフォードが呼びかけると、ディアは薄緑の瞳で彼をじっと見返す。その視線から逃げたい気持ちを抑えながら、ティフォードは言う。
「ありがとうな。俺のために戦ってくれて」
「ううん」
「なのに、ごめん。傷つけてしまって」
ディアは控えめな笑みを浮かべたまま、首を横に振る。
「ううん、平気。そんなに深い傷じゃないし、ああしてくれなかったらわたし、あの人を殺してしまっていたもの」
まるで彼を気遣うような笑みに、ティフォードは理不尽だと思いつつ、どうしようもない苛立ちを覚える。傷ついているのは俺じゃなくて、お前だろう。そう叫びたい気持ちを堪えつつ、ティフォードはもう一度「ディア」と呼びかける。
「正直に言うと、お前が戦ってくれていたとき、俺はお前のことが怖かったよ」
ディアの笑みはほんの一瞬だけ途切れ、すぐにまた元通りになる。
「そうだよね」
最初からそんなことはわかっていたと言っているような、達観した声だった。
「怖くないわけないよね、あんな風にたくさんの人たちを傷つけたんだもの。もう二度とあんなことはしたくないと思ってたのに、駄目だね、わたし」
「もう二度と……っていうのはひょっとして、お前の村が帝国人に襲われたときの話か」
「え? ……ああ、そっか。ダナモス様から聞いたんだね」
「うん。俺なんかが聞いちゃいけない話だったかもしれないけど」
「ううん、別にいいよ。……村が襲われたときね、わたしだけ先に逃がされたの。村に小さい子はわたししかいなかったから。だけど結局、襲ってきた人たちに見つかっちゃって。わたしは必死に逃げようとして……そうするうちに、この人たちはわたしより全然弱いんだってことに気づいちゃった。きっとその人たちは傭兵じゃなくて、ただの武器を持った村人だったんだと思う。最初からちょっと怯えてて、わたしが少し抵抗しただけで向こうから逃げだしちゃった。だけどわたしはその人たちを追いかけて、ずたずたにした。それから匂いを辿って、彼らの村まで辿りついた。仲間も皆、殺してやろうと思ったんだ」
「それでどうなったんだ」
「村の入口に子どもが立ってたの。その子に襲いかかって殺す直前に、わたしはその子が自分の友達だってことに気がついた」
「友達? お前の集落は外とは関わりを持たなかったんじゃないのか」
「うん。お母さんからもお父さんからも、絶対によその村に入っちゃいけない、森でよその人を見かけても近づいちゃいけないって言われてた。だからわたしたちはいつもこっそり会ってたの。……周りは大人ばっかりだったわたしにとって、あの子がこの世でたった一人の友達だった。なのに、わたしはあの子を殺そうとした。あの子に怯えた目で見つめられるまで、わたしは自分が何をしているのか気づきもしなかった」
「そうか」
ティフォードはようやく合点がいったように呟く。
「お前は帝国人が怖かったんじゃなくて、帝国人をまた傷つけてしまうのが怖かったんだな」
ディアはこくりと首を小さく動かす。
「だけど、それならどうして俺と一緒に門番なんてやってたんだ」
「……ずっと帝国の人を避けて生きてきたけど、このままじゃ一生、あの子に謝りに行けないと思って。だけどやっぱりそんなのは、身勝手な願いだったんだろうね」
顔を背けるディアを、ティフォードはじっと見下ろす。
「まだ傷は痛むか?」
「え? もうそんなに痛くないけど……」
「そうか。じゃあ、あんまり意味ないかもしれないけど」
ティフォードは右の腕をディアに向けて伸ばす。すると途端、ディアの表情は硬くなる。
「大丈夫、触らないから」
「……うん」
ディアにかざされたティフォードの手のひらが、柔らかな光を帯びる。ディアは目を丸くして、その様子を見守る。
「……治癒魔術?」
「ごく初歩的なやつだけどな」
「すごい……」
「このぐらい、教会で訓練を受けたやつなら皆できるよ。子どもの頃からずっと訓練してこの程度じゃ、筋がいいとはとても言えない。その点、俺の親父は本当にすごかったよ」
ティフォードは、怪我人を治癒する父の姿を、彼のようになりたいと願っていた頃の純粋な気持ちを思い出す。
「親父は親身に指導してくれたけど、俺は決して親父みたいにはなれなかった。だから俺は逃げることにした。それが、俺がこの町にやってきた本当の理由だよ」
父の説教に疑問を感じていたのも事実だ。だが今にして思えば、話の内容がどうこうというよりは、単に父に反発したかっただけの気もする。
「上手くいかない現実から逃げてきた俺と違って、お前はやり方は不器用でも、ちゃんと現実と向き合おうとしてきたんだ。俺なんかよりよっぽど立派なやつだよ、お前は。……さて、こんなもんでどうだろう。ちょっとは楽になったか?」
ティフォードが手を引いたとき、ディアの瞳からぽたぽたと涙が零れだした。
「え……ごめん、かえって毒になったか?」
「違うの。ティフォードが言ってくれたことが嬉しくて、それから申し訳なくて。わたしは昨日、ティフォードを殺してしまっていたかもしれないのに」
「……俺が気絶した後のことか?」
ディアは目元を毛布で覆い隠しながら、頷く。
「わたしはまた、大事な友達を自分の手で殺してしまいそうになった。もう絶対にあんなことはしないって誓ったのに」
気にするな、と言いかけてティフォードは口を噤む。そんな簡単に拭い去れるものではない。自分にとっても、ディアにとっても。
「ディア」
ティフォードは静かな声で呼びかける。
「ひとつ約束してもらってもいいか。お前が昨日のことをどんなに後悔したとしても、俺の前から姿を消さないでくれ」
「……どうして」
「俺はお前のことを、まだよく知らないからだよ。もっとお前の話を色々聞かせてほしいんだ。だから頼む。俺は絶対にいなくならないから、お前もいなくならないでくれ」
「そんな約束、できないよ」
ディアは顔を隠したまま、絞りだすような声で言う。
「わたし、ティフォードを傷つけてしまうのが怖い。その怖さに勝てなくなったら、きっとティフォードの前からいなくなると思う。だけど、それまでは。それまでで良ければ」
「わかった」
袖から覗くディアの指は震えている。ティフォードはその手を取り、握ってやりたかった。
……だけど今の俺は、そんなことすらしてやれない。
いつかそういう日が来るのだろうか。それとも父の話の通り、異形に歩み寄ろうとする愚か者には罰が下るのだろうか。
「……構わないさ、罰のひとつやふたつ」
「ティフォード?」
「ごめん、何でもないよ。傷が早く良くなるように、また休んだほうがいい。俺はもう帰るからさ」
「う、うん。ティフォードもしっかり休んでね。……それから、あの」
「うん?」
尋ねると、ディアは薄緑の瞳を毛布の隙間から覗かせながら、小さな声で呟く。
「今日も、一日……」
ティフォードは最初きょとんとした顔をして、それからくしゃりとした笑みを浮かべて、ディアの言葉を引き取る。
「ああ、お疲れ。また明日」
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