第11話 かつて、かぼちゃと呼ばれた者の教え

白いスクリーンに、映写機の光がふわりと揺れていた。


そこには、数十年前の記録映像。

真剣な眼差しを浮かべて演説する、若き日のデネブ・フォスターの姿が映っていた。


「私は、かぼちゃと揶揄された古代の男から、スピーチを学びました。

でも、彼が私に教えてくれたのは、“言葉の技術”ではありません。

“政治とはなにか”という問いでした」


映像は終わり、明かりが戻る。

現代政治思想の講義を担当する、アンタレス教授は軽く咳払いをした。


「さて――このスピーチが、いわゆる“かぼちゃの演説”と呼ばれるものだ。

デネブ・フォスターが、当時は移民の排除、多様性の否定に傾いていたフラワー党の議員でありながら、寛容の精神と建国の理念への回帰を訴えた、きわめて象徴的な瞬間だな。

……さて、ここで質問だ。デネブ・フォスターとは、一体どういう人物だったのか。意見を述べてくれ」


教室の最前列に座っていた女子学生が手を挙げた。


「はい。彼女は……デモス党政権の急進的な移民・「多様性」政策の反動により排外主義、権威主義に陥りかけたフラワーに、建国の精神を取り戻すきっかけを作った人だと思います。

“寛容と中庸”をその政治姿勢として示し、対話を重視してあらゆる階層の人間の意見を聞き、数々の障害を乗り越えて、穏健な改革を推進。分断されかけた社会の統合に一定の貢献をしています。彼女に反発する議員からは「パンプキン・デネブ」と揶揄されながらも、むしろそのあだ名を好んで自称し、後に女性初の大統領になりました」


「よくまとめたな。……“寛容と中庸”。フォスター大統領の歩みが、それを示してくれたわけだ」


窓の外には、高く澄んだ空が広がっていた。


幾本かの飛行機雲が、真っ直ぐに未来へと伸びている。

その空を見上げながら、アンタレス教授はふと口元に笑みを浮かべた。


「彼女が語った“理念に殉じたローマの亡霊”――本当に夢だったのか、それとも歴史が残した皮肉か。

……まあ、いずれにせよ、今の我々が教訓とすべきことは何か」


学生たちは一斉にノートを取り出した。


「自分が信じる“信念”とはなんなのか――その問いを続けることを、忘れるなということだな」


鐘が鳴り、講義は終わった。

学生たちがざわざわと教室を出て行く中、空の青さだけがずっと残っていた。

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「かぼちゃ」の演説 本歌取安 @watasihatawasi

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