第7話 信念の夜
2XXX年10月下旬
最後の立候補者討論会前夜
リシュリュー市のホテルの一室、デネブはベッドに入っても落ち着かず、ソファに座ってテレビを見ていた。
明日は、最後の対立候補との討論会。
そして、それが終われば上院議員選挙の投票が始まる。
部屋の隅でテレビが消音のまま報道番組を流している。
だが、内容は頭に入ってこなかった。
デネブはそっと目を閉じた。
一瞬意識が遠のくと、あの夢の庭園にまた降り立つ気がした――
やはりそこには、あの緑に囲まれた静寂があった。
そして、いつもの石のベンチには、あのラテン人の男――クラウディウスが座っていた。
「おぉ、来たな。明日がその日か?」
「ええ、最後の討論会よ。今までで一番大事な演説になる」
クラウディウスは頷き、少し顎に手を当てた。
「ならば、今夜は政治における基本の話をするとしよう。政治におけるもっとも基本的な「信念」の話を」
「話して、クラウディウス」
クラウディウスはベンチの背にもたれかかり、目を閉じた。
「まずは、大カトーを知っているか?」
「いや、知らないわ」
「大カトーは敵に対しては容赦なく、特にカルタゴを滅亡させることがローマを繁栄させるという信念に殉じ、カルタゴの名将ハンニバル・バルカを打ち破りし救国の英雄スピキオ・アフリカヌスでさえ、ローマから追いやった」
「・・・・・・・・・・・」
「次にグラックス兄弟を知っているか?」
「いや、グラックス兄弟の事も知らないわ」
「ティベリウスとガイウス。土地を持つ者と土地を持たざる者の差を是正することがローマを本来の姿に戻す道だとして、土地改革を進めようとした。ただ、改革を急ぎすぎたあまり、それぞれ改革途上で殺されたが、彼らも己が信念に殉じた」
デネブは黙って聞いていた。
クラウディウスの語る言葉は、古びているはずなのに妙に切実だった。
そして、クラウディウスが静かに尋ねた。
「デネブよ。君自身の信念を聞かせてほしい。何を信じ、何を為そうとしている?」
デネブはしばし口を閉じた。
だが、やがてしっかりとした声で答える。
「私は、移民を制限したい。文化も治安も壊れてしまうから。「多様性」の推進も、今のような押し付けでは、この国の伝統が崩れちゃう。そして、国民の声が届かない官僚機構は打破したい。私は祖国を、もう一度“偉大な国”にしたい……」
クラウディウスは、黙って彼女を見つめていた。
「ふむ……」
長い沈黙のあと、クラウディウスは立ち上がり、庭園の小道を歩き始めた。
「君の言葉には、確かに信念がある。ならばその信念を民の前で存分にさらけ出せ。あとは運命のみが知るのみだ」
「……分かってる。東洋の言葉にある「人事を尽くして天命を待て」、ね」
クラウディウスは頷いた。
「その通りだ。だからこそ、最後の言葉はこうだ――『自分は何を思い、何を成したいのか?』―自分の信念を信じて民衆に臨むことだ」
彼の口調は柔らかかったが、どこか突き刺すような厳しさがあった。
「今夜はもう休め。明日、君は“かぼちゃ”の名に恥じぬ演説をするだろう」
「……かぼちゃ、って言った?」
「かつて元老院で、訛りを笑われてついた渾名さ。“かぼちゃの演説”――それが私の原点だ」
「でも、今の私はそれに救われた。だから……ありがとう」
クラウディウスは笑った。
どこか哀しげで、どこか誇らしい笑みだった。
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