「この夏、あなただけの“好き”を届けよう」応募 あなたのトランクに詰めたい宝物はなんですか?

ピグマリオン若口

トランクに詰めたい宝物の話

もしもこの世を去る時に、トランク一つ分の宝物しか持参できないとしたら、あなたは何を入れるだろうか?

好きな食べ物か、それとも大切な写真か。あるいは愛用していた品物や、お気に入りの洋服かもしれない。

自分は迷うことなく、こう答えるだろう。

「真島昌利さんの詩を、トランクいっぱいに詰め込んで持って行きたい」と。


真島昌利という人が、世の中でどれだけの知名度があるのかを、自分はよく知らない。「知っている、大好きだ」という人もいれば、「全然知らない」という人もいるだろう。

だが、自分にとって重要なのはそこではない。大事なことは、彼と彼の作った詩が自分の人生にとって最も大切な宝物であるということだ。十七年という歳月をかけて、自分はそのことを確信し、自信を持ってそう言えるようになった。


真島さんの詩と出会った日のことを、自分は昨日のことのように思い出せる。冬の西日の差す実家の居間。煤けた壁を見ながら、受験勉強のために参考書に向かっていた。それは中学三年生の冬のことだ。ストーブの石油の匂いが鼻をつき、寒さに足先を丸めていた時のことだった。

夕方のドラマの再放送で、流れてきた曲にびっくりして顔を上げた。ずっと聴いたことがあると思っていた曲だったのに、なぜだかその日はスッと歌詞が頭に入ってきた。先の見えない勉強漬けの日々の中で、唐突にその曲が色づいて、輝いて聞こえ出した。聴いた瞬間、思考が停止して、そのまま近所のレンタルCD屋さんへ駆け込んだ。自分の人生に、とんでもないことが起こったと思った。正直勉強どころじゃなかった。


なぜ、あの時、真島さんの詩がそんなふうに聞こえたのだろう。というのは何回か考えたことがある。残念ながら当時の幼い自分には言語化することができなかった。しかし、今は違う。大人になった今の語彙力であれば、なんとなくそれは言い表すことができる。


思い返せば、中学生の頃の心境は、自分でも整理がつかないほど混沌としていたように思う。

それらの感情は、整理がつかないまま、自分の心の中でごちゃごちゃに混ざり合っていた。

自分の感情を整理することができずに、それでも目の前の受験をこなさなければならないという気持ちのまま、混乱した日々を過ごしていたのだ。

どれがどの感情なのか、なぜそんな気持ちになるのか、どうすればその感情と向き合えるのか、何もかもが分からなかった。


そんな名前のない感情たちが、真島さんの詩の中では、まるで宝石のような言葉になって輝いていた。

「はい、あなたのそれはこういうことだよね」

別に真島さん自身が意図してそうを書いたということではないだろう。

しかし、当時の自分にとって、それはまるで、心の中に散らばっていたものを、言葉にしてに拾い上げてくれるような感覚だった。真島さんの詩は、自分の感情一つ一つに名前をつけ、その意味を教えてくれたのだ。


真島さんの詩に出会ってから、自分の感情を恐れなくなった。混沌としていた感情も、名前がつけられない気持ちも、すべてに意味があり、すべてが大切なものなのだと思えるようになったからだ。

それは、中学三年生の自分にとって、人生を変える出来事だった。当時の自分は、幼いながらに「こんな衝撃的な出会いをすることは、もう人生でそうそうないかもしれない」と感じていた。まるで自分の人生に奇跡が起こったような感覚に陥っていたのだ。そして、その感覚は正しかったと今になって思う。人生であれだけ心を震わされたのは後にも先にもあの時だけだからだ。


社会人になってからも、真島さんの詩は人生の様々な場面で道標となってくれた。仕事で大きな失敗をした時、将来への不安に押しつぶされそうになった時。そんな時はいつも、真島さんの歌を開いた。真島さんの詩は、いつも新しい世界の見方を教えてくれる。困難な状況の中にも希望を見出すこと。自分の感情を否定せずに受け入れること。そして、驚くことに、必ずその時の自分に合った歌が準備されているのだった。

十七年という歳月が流れた今でも、真島さんの詩は色褪せることがない。それどころか、年を重ねるごとに、その言葉たちはより深い意味を持つようになっている。中学生の時には理解できなかった歌詞が、三十代になって初めて心に響くということが何度もあった。そういう時は、自分もこの歌詞と一緒に成長しているのだなと嬉しくなった。


もしも人生に、トランク一つ分の宝物しか持って行けないとなった時。自分は迷わず真島さんの詩をトランクいっぱいに詰め込むだろう。食べ物や洋服ではなく、彼の書いた詩を、詰めれるだけ、ありったけ。なぜなら、真島さんの詩こそが、自分の魂のそのものであり、人生の羅針盤だからだ。

疲れた時には、トランクから時々取り出して、眺めよう。そうすれば、それはきっと、いつでも宝石のように輝いて、人生の道なき道を照らしてくれるだろう。真島さんの詩は、自分にとって人生の中心に立つ大きな柱であり、人生に降る雨でもある。人生に吹く風でもあるし、人生を照らす星でもある。

この世は完璧な天国ではない。現実の中には理不尽なことや不完全さ、矛盾、歪みがある。だからこそ、真島さんの詩は輝くのだろう。同時に、この世は絶望的な地獄でもない。希望と愛と美しさがちゃんと存在するからこそ、真島さんの詩は嘘偽りなく、色褪せることなく、私たちの心に響き続けるのだ。


これからも、自分は真島さんの詩と共に人生の山を登り、坂道を越え、年を取っていくだろう。それは何にも変えられない、自分だけの宝物である。四十歳、五十歳、六十歳になっても、きっと真島さんの詩は自分と共にあるに違いない。そして、その時々で、また新しい意味を発見するのだろう。

トランクいっぱいに詰め込んだ真島さんの詩と共に、自分は今日もまた、人生という名の旅路を歩み続けている。


これを読んだあなたにも、自分は是非訪ねてみたい。

あなたのトランクに詰めたい宝物はなんですか?それはどんなものですか?

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