第二十七章 最期の日
それは、真山カオルにとって、すべてが終わった日だった。
この世界で、人が生きるためには昆虫を食べなければならない。それは、もはや法律ではなく、人類の生存本能そのものだった。
しかし、カオルは違った。彼は、失われた過去の文明――ビストロという、かつて人々が楽しんでいた料理の世界を夢見ていた。
彼は、昆虫ではない「料理」を、誰よりも愛していた。しかし、その情熱が、彼を地獄に突き落とした。
彼はコンテストに落選した。昆虫しか存在しない世界で、ビストロという概念を持ち込んだことが、彼の運命を決めた。審査員たちの冷たい視線が、まるで彼の存在そのものを否定するかのように、彼を貫いた。
「なぜ、そんなことをするのだ? 狂っている」
「昆虫は、神が与えた恵みだ。それを拒むとは、反逆者だ」
彼らの言葉は、カオルの心を蝕んでいった。
そして、その日から、彼の復讐が始まった。
岩手エリア。
かつて美しい自然と、穏やかな人々が暮らしていた土地は、今や彼の狩場と化していた。
彼は、昆虫を愛する人々を、そして幸せそうに笑いあうカップルたちを、次々と殺していった。
彼の目には、もう何も映っていなかった。あるのは、落選した日から彼を苛む狂気だけだった。
真山カオルにとって、あの日の落選は、ただの敗北ではなかった。それは、彼の魂そのものがこの世界から拒絶された瞬間だった。昆虫食がすべてであるこの世界で、彼が信じ続けた「ビストロ」という概念は、異端であり、狂気の沙汰と見なされた。
落選後、彼は人目を避けるように岩手エリアの山奥へと身を隠した。かつては観光客で賑わったであろう廃墟となったペンションに身を寄せ、彼はただ一人、昆虫を焼くことすら拒んだ。胃袋は空腹を訴えるが、彼の心はそれ以上に満たされなかった。
ある日、森の中で、彼は珍しいキノコを見つけた。毒キノコかもしれない。それでも、カオルは迷わずそれを手に取った。昆虫ではない食材。それは彼にとって、この世界で失われた希望の光のように感じられた。
ペンションの朽ちかけたコンロに火をつけ、彼はキノコを焼いた。過去の記憶から、バターソテーという調理法を思い出し、彼は想像の中でバターと塩を加えていく。幻の香りが彼の鼻をくすぐり、焼けたキノコの香ばしい匂いが、孤独な部屋を満たした。
一口食べると、苦みが広がった。しかし、それは絶望の味ではなかった。彼が作りたかった「料理」の味だった。
カオルは、自分が復讐を望んでいるのではないことに気づいた。彼の心を支配していたのは、憎しみではなく、ただ純粋に料理を愛する心だった。昆虫しかない世界で、それでも彼は、ビストロの炎を灯し続けたかった。たとえそれが、誰にも理解されない孤独な戦いだとしても。
彼はキノコを探し、山菜を摘んだ。昆虫たちを、神が与えた食料としてではなく、調理すべき「食材」として見つめ直した。
彼は孤独ではない。この世界に彼の料理を理解する者がいなくても、彼の情熱は彼自身を支え続ける。
そして、カオルは決意する。いつか、この世界に小さな「ビストロ」を創ることを。たとえそれが、彼一人だけの夢だとしても。
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