夕陽が墜ちる

咸都 燕

第1話 廃墟化した町

『速報です。8日の午前8時3分頃、■■県河元市河元町にある河元駅にて線路内に侵入した成人男性が治川発利津田行き下り列車にはねられ死亡しました。』


 手の内に収まるほどの小さな液晶画面から見る昼間のニュース番組は惨たらしい事件を事故として、国民に伝えた。


『現在、県警によって身元が調べられています。また、本事故の影響で同線は運転を見合わせ、同9時31分に運転を再開しました。』


 外側についたボタンの端を押して音量を上げる。

 そうでもしなくちゃアルミ製の階段を一段あがる度に鳴る軋む音で、かき消されてしまいそうだ。


 まともに手入れのされていないせいで、塗装は剥がれているし、どこを見てもボロボロで仕方がない。手すりもささくれみたくはねていたり、段差ができていたりして手を添えれそうにない。

 いつかふいにガタンっと崩れてしまいそうで怖いくらいである。


 それでも、わざわざ廃墟と化したビルにまで足を運んできた理由があるのだ。


 生ぬるい風が顔面にぶち当たる。髪を吹かせて皮膚に刺さる。微妙に痛い。

 この階段も外にあるせいでちょっとの風でガタガタ言う。あと、もう少し。風が止んだと同時にまた歩を進めた。


 非常階段としても使われていたのであろうこの階段のおかげで一直線で屋上にまでいける。ここまで来るのに2時間半、電車やらバスをがむしゃらに乗りつないできた。半端な覚悟なんかじゃない。


 全てはここからの景色を見ておわるため。


 上を見上げれば、あともう一息といったところ。あと、半階分上がれば屋上にたどり着くことができる。

 そんなことを頭の内に巡らせる中でふと、手の中にあるスマホがしゃべらなくなったことに気付いた。


 目をやると画面は薄暗くなっていて、ニュース番組だった画面には『終』の一文字が載っていた。おわった。人の命を奪ったニュースが幕を下ろしていた。

 何を考える間もなく、指を伸ばして横についている電源ボタンと音量ボタンを同時押し。液晶画面に浮かんだ『電源を切る』を指でタップした。


 画面が暗転し、ヴー、とバイブ音が鳴る。何度か、聞いたことのある音だった。でも、きっともう聞くことはない。

 今から上る屋上から投げ捨ててしまおう。それで壊れたのなら本望なのだが、最近のスマホはなんとも頑丈に作られているらしく、壊れないかもしれない。でも壊れようが壊れまいが関係ない。こんな廃ビルのもとに一体誰が来るという。


 誰の目にも触れない内に馬鹿になるはずだ。1つの腐った体と一緒に。

 そう、俺の死体と一緒に捨てられたスマホは時間によって破壊されるはず。どれだけ頑丈だろうが、年単位で雨風や直射日光にさらされてしまえば次期に壊れてしまう。むしろ、壊れてくれなきゃ困る。


 キィっと足の踏み場が鳴く。

 真上にやってきた太陽の光が髪と肌を焼く。体質上、黒くなるようなことはないが、その代わりとばかりに日の光は露出した肌を焼いてヒリヒリとした痛みを与えた。


 全くもって望んでいない晴天。膜を張ったように薄い雲。青い空。廃ビルには似合わない。まあ、雨でびちょびちょになりながら死ぬよりかはましか。この天気だ。もしかしたら、落ちた先は暖かくてほのぼのとした草原みたいに錯覚するかもしれない。そうだといいな。


 コンクリートの床には苔が生えていた。いかにもらしい。屋上一周分には鉄製の柵があるけど、それももうボロくなってて腐敗が始まっていた。階段と一緒だ。


 柵自体は俺の背丈よりも高くなっているが、問題はない。これでも学生の間は運動部だった。そんなに活躍してなかったけど。このくらいの高さならぴょんといけるかもしれない。

 さっそく柵の一番上に手をかける。そこに目一杯の力を込めて体を飛び上がらせた。グラグラとしていて今にもポッキリいってしまいそうな柵に跨って、ゆっくりと体を外側に追い出す。


「…うひゃぁ」 


 変な声が出た。初めてだ。初めて、屋上と言える場所にやってきた。学校は屋上立ち入り禁止だったし、他のとこでも行けたのはせいぜいオープンテラスくらい。なんだかとても新鮮な気分だ。


 まだ明るい時間帯のおかげか、広々とした世界が目に見える。廃墟化した町並みもやけに近い林か森かよくわからない木々の群れも舗装されなくなった道路もよく見える。なんなら、今日乗ってきたバスの停留所までもが目に映ってわかった。


 最高だ。楽しい。初めてこんなことして開放感がすさまじい。気分が高揚しているのがよくわかる。あぁ、そうだ。このまま、この手に掴んでいる柵をぱっと離して、飛び込むように落ちてしまおうか。

 ついさっきポケットに突っ込んだスマホを取り出す。電源を切ったからもう何も言わない。それを石ころを放り投げるみたいに簡単に遠い地面に捨てた。


 次はこっちの番。下は見ない。深呼吸して、足を踏み出す。それだけ。簡単なことだ。間違えようがないだろう。そうしてしまえば、人は事切れる。今いる俺とバイバイする。あっけなく。


「おまえ、何やってんだよ」


 背筋がぞっとした。冷えた声だ。俺じゃない。俺の後ろから聞こえた。嘘だ。そんなわけない。だってここは廃ビルだぞ? 廃墟化してった町だ。そこに何の用があって来る人がいるっていうんだ。人なんて、来るわけない。

 そう、信じていたのに。


「手」


 すぐ横からにゅっと言葉通りに手の平が顔を出す。知らない。知らない手。こんなのになるなんて思いもしなかった。


「こっち。戻ってこい」


 馴れ馴れしい。何も知らないくせして一丁前に人助けのつもりか? 気持ち悪い。もう、すぐ目の前まで来てるってのに。あと、数分、いや、数秒違ったら全部うまくいったはずなんだ。

 赤の他人の目の前で死んでやるってのも、また一興か。いいなぁ、それ。やってみたい。ついでに死に顔みせてやろう。脳裏に焼き付けてやる。トラウマになっちまえ。


「まだ、大丈夫だから」


 大丈夫。大丈夫。って、なんだよ。何がどう大丈夫なんだよ。馬鹿なんだろ。間に合っただとか、まだこれからだとか。頭おかしいんじゃねぇの? おまけにお前のアホ面拝んでやるよ。


 嘲笑うつもりだった。馬鹿なことしているのはお前のほうだと暴言を吐いてやろうと思っていた。


「戻ってこい」


「…」


 なのに、全部吹っ飛んだ。


 そいつのアホ面がどうしてか、あいつに似ていたせいだ。

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