第2話


——“ペア稼働”とは営業用語であり、誰かの営業に同行して動きやトークを観察・共有することを指す。

育成の意味合いが強いため、たいていは先輩が後輩に同行するケースが多い。




「今日ペアしろ」



青天の霹靂。


突如降ってきた部長の一言は、あまりにも簡単に俺を地獄の底へと突き落としたのだった。



(っう、嘘だろ〜〜〜〜〜ッ!!?)




さかのぼること数分前。



「え、先輩二社だけですか?」



「覗き込むなよ……っ!」



出社してすぐのこと。

訪問計画を作成していた俺に、隣の生意気な後輩が悪態交じりに話しかけてきた。

“一社にどんだけ時間かけるつもりだこの人”とでも言いたげなその呆れ顔にむっとしながら、俺は反撃とばかりに藤沢の計画表を覗き返した。



…そして、俺は絶句した。



「逆にお前はどんだけ廻るつもりだ…」



藤沢の計画表は文字でびっしりと埋め尽くされていた。

ここでも歴然となった藤沢との差に呆然とする俺をよそに、藤沢は「普通に回ればこんなもんっすよ」となんでもなさそうな顔で言い放った。

バケモンかこいつ……。

俺だってそれなりに詰めたつもりだったのに。

これじゃ営業力も成績も、差が縮まるどころか広がっていくばかりなのも納得だ…。


がっくりと肩を落としていると、突如部長の低くいのによく通る声がフロアを駆けた。



「江島、藤沢!」



部長の声を聞くだけでも怖いのに。

それが自分の名を呼ぶ声なら尚更恐怖だ。

びくびくっっ!!!と椅子ごと全身を跳ねさせた俺とは対照的に、藤沢は「なんすかね」と飄々と立ち上がる。


並んで部長のもとへ向かう俺たちに周囲が一斉にざわつき始めた。



「えーどうしたんだろ」



そんなん俺が聞きたい……!!


どうして俺…?と向かう最中、全力で頭をフル回転させながら招集がかかった理由を探す。


もしや先月ノルマ未達だったことを言及しようと?

それとも7日間連続坊主なこと?

うう思い当たる節が多すぎる…!

でもどの理由もそれなら藤沢が一緒に呼ばれることはないだろうし…

だったらなんで……!?


考えあぐねた結果、部長の前に立つ頃には俺はまるで罪状を言い渡される囚人になったようだった。

それなのに。

横に立つ藤沢はやっぱり堂々と背筋を伸ばしていて。

俺より三つも歳下のくせに、ほんとムカつくくらい冷静だ。



そんな対照的な俺ら二人の姿を見た部長は「コホン」と軽く咳払いをして、そして静かに口を開いた——



そして冒頭に戻る。




……っていやいやいやいや!!


俺らがペア!?藤沢のほうが圧倒的に成績いいけど!?


部長に気づかれないように視線だけをぐるんっと営業成績表に向ける。

誰の目から見ても明らかな俺ら二人の成績差。

なぜなら今月始まったばかりなのに藤沢はもうノルマ間近、対する俺はやっと一社分クリアしたところ。



この状況で俺が同行……?



(どうして…ていうかなんで俺……?)




「江島さんがボクにですか?」



「!」



(ナイスだ藤沢!!)



言葉を失っていた俺の代わりに藤沢が困ったような声を上げた。

「先輩に時間を取らせるのは…」と遠慮する体でうまく断ろうとするその姿に俺は心の中でガッツポーズをする。



……だが、部長は首を横に振った。



「逆だよ、逆」



「…は?逆……?」



その瞬間だった。

藤沢の顔に張り付いていた余裕の笑みがピキリと音を立てて凍りつく。



「キミが江島くんに同行するんだ」



「………………」



「頼んだよ、藤沢くん」



それだけ言い残して、部長はさっさと仕事へ戻ってしまった。

まるでこれ以上の説明や抗議は受け付けないとばかりに。


そして残されたのはぽかんと口を開ける俺と珍しく固まった藤沢の姿。

俺は世界がじわじわと歪んでいくような感覚に目を瞬かせた。



(終わった……)



──こうして、俺の静かで平穏な一日が一瞬にして崩れることとなった。




***




「嫌だぁ……」



誰にも聞かれないように押し殺したその声は情けなくも俺の本音で。



──午後イチで出ますんで。



そう面倒くさそうな声とともに、藤沢は女子社員たちからの昼飯の誘いを軽やかにかわし足早にオフィスを後にした。



(藤沢も気まずいよな…先輩の同行とか絶対やりづらいだろうし。

俺だって後輩に同行してもらうなんて情けなくて消えちゃいたいよ……)



ため息と一緒に弁当のフタをぱかりと開ける。



激務の営業マンはその多くが外食派だ。

そんな中、俺が毎朝5時半起きでせっせと弁当をこしらえてくる理由はひとつ。


単純に節約だ。


営業成績がよろしくない俺は当然給料面もあまりよろしくないわけで。

入社してこのかたマージンなんてもの超えたことがない。

最近はもはやあれはツチノコ的存在なんじゃないかとすら思ってきた。


…まあでも自炊は嫌いじゃないし、節約にだってなる。

何より好きなおかず詰められるし。


だからこれはあえての自炊なんだ。

弁当男子って言葉があるくらいだし…!

そんなことをぼんやり考えながら箸で卵焼きを切り分けたそのときだった。



「お、相変わらずうまそー」



頭上からふわりと落ちてきた声に顔を上げる。



垂れ目に七三分けの黒髪、どこか人たらしな雰囲気をまとった優男。

目尻をさらに下げて笑うその顔は——



「三浦……!」



「おつかれさまー江島」



ふいに現れた同期の顔に、一瞬で張り詰めていた空気が緩むのを感じる。



「ひとくち食べる?」



「んー魅力的な誘いだけどやめとく。すぐ出ないとだし」



「帰ってきたばかりだろ?」



「まあね。でも向こうからのアポだから俺が出るしかないんだ」



そう言って、三浦はひらりと手を振った。

その柔らかさはいつも通りだった。



「…そっか」



「それに……今月こそ負けたくないからさ」



三浦は少しだけ笑ってから営業成績表に視線を向けた。

三浦が一体“誰に”負けたくないのか……聞かなくたって同期である俺にはわかる。



三浦は俺たち同期の中でも頭ひとつ抜けた存在だった。

入社からわずか数ヶ月で社内トップに躍り出た三浦は俺たちの希望でもあった。



——藤沢が入ってくるまでは。



気づいたら、俺は立ち上がっていた。



「三浦!」



「ん?」



その手をがしっと握る。

少し驚いたように三浦の眉がぴくりと動いた。



「俺は! あんなやつよりおまえ派だから!!」



「—————っ」



目が見開かれる。



三浦よ。

同期として近くで見てきた俺が胸を張って断言しよう。

お前はよくできた人間だ。



人としても営業マンとしても、俺はお前を本気で尊敬してる。


だからこそ、言えないぶんだけ——

握ったこの手に全力を込める。



頼む、伝われ……!



一瞬だけ戸惑った三浦がふいに笑った。

ふわりと口元が緩んで、目元がわずかに揺れる。



(……あ、伝わった)



ほんの少しだけ誇らしい気持ちをかみしめた、そのときだった。




「誰より三浦さん派ですか?」



悪魔のささやきが真後ろから降ってきた。



(こ、この声は……)


ぎぎぎ……とまるで壊れかけのロボットのように首を動かす。


案の定そこには昼食から戻った藤沢が腕を組みながら立っていた。



「お、藤沢もおつかれ」



「お疲れさまです三浦さん。——で、一体何の話してたんです?江島さん」



(! ご、ごまかされない……!!)



一瞬三浦に向いたと思った視線と意識がすぐに俺に戻ってくる。

ああこれはもう誤魔化しが効かないやつだ。


というか仮に誤魔化せたとしても、そんな咄嗟にうまいこと言える器用さ俺なんかにあるわけなくて。

あれば今ごろ少しはマシな営業成績になっていたわけで……

……う、なんだか言ってて悲しくなってきた。


けど正直に“おまえはちょっと気に食わないし三浦のほうが優しくていいやつだから俺は三浦を推します”なんて言おうものなら、俺とこいつの関係は爆散待ったなしだ。



(な、なんて言えば……!?)



焦る俺の隣で、三浦がふっと笑った。



「なんでもないよ。ただ俺が、同期の中で一番になりたいって話を江島にしたら応援してくれただけ」



「……その暑苦しい握手は?」



「ただのエール?」



「………」



にこやかに言い切る三浦の隣で、藤沢がほんとかこいつ?と言いたげな視線を俺によこしてくる。

その視線に俺はぶんぶんぶんぶん!! と首を振った。



「……そうですか」



なんとも取ってつけたような返事をする藤沢だったが、それでも俺は心の中で全力で手を合わせた。



(ありがとう三浦……! そのとっさの機転と柔軟性、さすがは俺たち同期のホープだ……!!)



だが三浦のおかげで取り戻せた安寧の時は長くは続かず。

三浦が再び営業に出てしまうと、俺は再び身構えるしかなかった。



(…絶対来るよな)



藤沢は昼前、「午後イチで出ますんで」と言っていた。


慇懃無礼なこの後輩のことだ。

まだ半分残ってる俺の弁当になんて目もくれず「じゃ、行きましょうか」なんて飄々と促してくる可能性は充分ある。


だから俺は——



(今言われたらかっ込んで出るしかない……)



と腹をくくっていた。



…だが藤沢は何事もなかったかのように席へ戻り、カタカタとキーボードを叩き始めてしまった。


その姿に俺は思わず拍子抜けしてしまう。



(なんだ……まだ仕事あんじゃん…)



身構えて損した。

だったらのんびり食ってやろーと、俺はいつも通りのペースで食事を再開させた。




最後のひと口を飲み込んだ俺をちらりと横目で見た藤沢はすぐにパソコンを閉じて、鞄を手に立ち上がった。



「行きましょう」



「お、おう!」



藤沢のかけ声に俺は慌てて弁当箱をしまいながら、(ナイスタイミング……!)と内心ホッとするのだった。

なぜなら俺が食い終わると同時に藤沢の仕事が終わったから。

偶然にしては上出来すぎるタイミングの良さに、俺はちょっとだけ得した気分になった。



そんなこんなで俺たちは「外回り行ってきます!」と部長に声をかけ、ふたりでオフィスを出た。

出る間際後ろから「藤沢さん……」と名残惜しげな女性社員の声が聞こえてきたが、藤沢はそんな声にも熱視線にも気にするそぶりすら見せなかった。


そしてエレベーターを待っている間なんとなく流れる気まずい空気に耐えきれなくなった俺はしどろもどろに藤沢へと問いかけた。



「そっ、そういや出る間際なんの仕事してたんだ?」



「…A社の立案っす」



「そ、そっか」



何気なく頷いて——

ふと、違和感に気づく。


(……A社との商談って今月末じゃなかったか?)



立案書をまとめるには少し早すぎる気がする。



そして、もう一つ気づいてしまった。



——到着したエレベーター。

藤沢がボタンを押す横を通り過ぎるとき、ちらりと目に入った耳元。



「ッ!」



その瞬間、電流のように走った予感。



「ども」



小さく頭を下げて、エレベーターに乗る藤沢。

その顔は普段通りむかつくほど涼しい顔をしていて。


(やっぱりそんなわけ——)



俺の胸に過ったひとつの憶測。


それはあまりにバカバカしく思えて、俺は目の前の男を盗み見る。

そんな俺の視線に気づいた藤沢がほんの少しだけ首を傾げた。

……その仕草も妙にサマになっていて、俺は恨めしく思ってしまう。


そして俺は小さくため息をつき、さきほど浮かんだ予感を静かに心の奥へと押し込んだ。



(ないない、ありえない。……まさかこいつが——)


俺が食べ終わるのを待っていたなんて。

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