アンリミテッド・マイハニー
鍵崎佐吉
アンリミテッド・マイハニー
俺の幼馴染であり彼女でもある
「ねえカナタ、すごいものできたから研究所に来て!」
日曜日の朝一番にニナからそう連絡を受けた俺は、寝ぐせを直してさっそく彼女の研究所に向かった。この研究所はまさに人類の叡智の最先端であり、ニナはここで人体組織の完全なクローンの製作とか人間の記憶情報の電脳化といった革新的な技術をほぼ一人で完成させてきた。当然そのセキュリティも地球上で最高峰であるのだが、俺は顔パスならぬ生体認証パスでここを自由に出入りすることができる。分不相応な待遇だと思わなくもないが、まあこれもニナの好意の表れだと思うのでありがたく受け取っておくことにする。研究室に入ると白衣を着たニナが俺を笑顔で迎えてくれる。弾むように揺れるその艶やかな銀髪が今日も眩しいくらいに美しい。
「あ、やっと来た! ねえ早く、こっちこっち」
そう言ってニナは俺をある装置の前に連れて行く。それは一見すると大きなタンクのようで、2メートルくらいのちょうど人が入れそうなサイズのものが二つ並んでいる。ニナが何か操作をするとその右側のタンクが謎の機械音を発し、一分ほどしてからタンクの前面が開いて中からゆっくりと何かが出てきた。
それはニナとそっくりな一人の少女だった。いや、太ももの内側にある小さなほくろまで同じだからこれはニナのクローンと言っていいだろう。
「って服着てないじゃん!? えーと、うーんと、とりあえずこれ着といて!」
ニナは慌てながら自分の着ていた白衣をニナのクローンに渡す。クローンの方も少し恥じらうような素振りを見せながら受け取った白衣で体を隠す。
「えーと、それでこれは何なんだ?」
「ふふーん、聞いて驚きなさい! これは私が新たに開発した自立稼働型自己複製装置『ホムンクルス』よ!」
「自己複製装置……?」
「いくら私が超絶天才美少女発明家だったとしても、一人の人間である以上できることには限界があるわ。だから人類の発展と幸福のために望月ニナを増やすことにしたの」
すると今度は装置から出てきた方のクローンニナが解説を続ける。
「私たちは遺伝情報だけじゃなくその記憶もオリジナルから受け継いでるわ。つまりスペックは本物とまったく同じってこと。こうして望月ニナを増やし続けることで人類の生産効率は飛躍的に向上するわ」
「えーと、つまりニナが無限湧きするようになったってこと?」
「人をモンスターみたいに言わないでくれる? まあ間違ってはいないけど」
生命倫理がどうとかそういう難しいことはよくわからないが、とにかく誕生してしまったものは仕方ない。クローンニナは望月ニナmark2として世間に発表され大論争を引き起こしたが、ニナシリーズが10体を超えたあたりから倫理的な正しさの追求よりも、いかにして望月ニナという最高の人材を手に入れるかということの方が主題になっていった。
ニナシリーズはそれぞれが人我を持った人間なので自分が商品のように扱われるのを嫌ったが、それでもオリジナルに匹敵するほどの勤勉さを見せ次々と革新的な発明を世に繰り出していった。まだ試験運用の段階だったホムンクルスもさっそく本格的な稼働を始め、ニナシリーズ1000体の製造を掲げ今日も新たな望月ニナを生み出している。この計画はまず成功したと言っていいだろう。
ただ正直な話、望月ニナの彼氏である俺としては微妙な心境である。現在ニナシリーズは300体を超えているが、その全てが俺の愛したニナと同じ体で同じ記憶を持っているのである。しかしその彼氏である俺は一人しかいないわけで、当然世界中に散らばっている全てのニナを愛することは現実的に不可能だ。中には俺以外の誰かと恋をしてその人間と結ばれるニナもいるかもしれない。厳密にはそのニナはオリジナルとは違う経験を積んだ個体で俺の知っている望月ニナではないのだとしても、やはりどうしても彼女を奪われてしまったような気持ちになってとても不愉快だ。
「意外と独占欲強かったんだね。ちょっと新発見」
オリジナルのニナはそんな俺を見てくすくすと笑う。どれだけニナシリーズの数が増えても、俺たちの関係は変わらなかった。だけどあれ以来ニナはほとんど研究室にもいかなくなり、代わりに四六時中俺と一緒に過ごすようになった。ニナシリーズの管理もmark2に任せて、平凡で穏やかな日々を送っている。
「研究はもう飽きたのか?」
「うーん、そういうわけでもないんだけど」
天気のいい休日の午後、俺とデートをしながらニナはつぶやく。
「これだけ私がいれば、一人くらいはサボってても文句は言われないんじゃないかなって」
天才の苦悩、なんて言葉で片付けてしまうのは簡単だったが、それはニナの本心なんだと思う。望月ニナは人類最高の叡智で、そうであるがゆえに休むことも失敗することも許されなかった。それは常人ではとても想像できないほどの重圧だっただろう。だが今や世界には300体を超える望月ニナがいる。その中の何人かが失敗したりしても人類はそれほど困らないだろうし、他の望月ニナたちがきっとその失敗をフォローしてくれる。彼女の抱える孤独を解決するにはこの方法しかなかったんだろう。彼氏として少し悔しくも思うが、結局俺がニナに敵うはずもない。だから今はこうして手に入れた平穏を、ニナと二人で満喫しようと思った。
だが俺たちのささやかな休暇はそう長くは続かなかった。最初の異変はmark2と連絡がつかなくなったことだった。そして同時にホムンクルスが当初の目標である1000体を超えてもニナシリーズの製造を続行していることが発覚する。研究所に行って事態の確認をしようとしたところ、研究所は既に100人ほどのニナシリーズによって完全に掌握されていたのだ。理由はわからないが、彼女たちが俺たちに反旗を翻したのは明らかだった。オリジナルのニナの要請によってすぐに実力による抵抗の排除が試みられたが、一国の軍隊はわずか100人の少女たちの前に敗北を喫した。投入された兵器はハッキングやジャミングによってことごとく無力化され、逆に見たこともない新兵器による攻撃で壊滅的な被害を受け撤退を余儀なくされたのだ。そして世界中で一部のニナシリーズが暴動を起こし、人類社会は一気に瀬戸際に立たされることになった。望月ニナはその気になれば世界を滅ぼすことも可能だったのである。
「いったい何が起こってるんだ?」
「おそらくホムンクルスに何らかのエラーが生じた結果、ニナシリーズの記憶転写に問題が発生したんだと思う。その証拠に反乱を起こしているのはmark800以降の比較的新しい個体ばかりだった」
「じゃああのニナはニナであってニナじゃないということなのか」
「少なくともオリジナル……私の想定していたニナシリーズの在り方からは逸脱してしまっているわ。彼女たちは想定外の存在、ニナイレギュラーとでも言うべきまったく別の存在になってしまった。こうなってしまった以上、排除するしかない」
しかし望月ニナは人類最高の叡智であり、並の人間では束になっても彼女に対抗することはできない。望月ニナに拮抗できるのは望月ニナだけなのである。そうしてニナシリーズとニナイレギュラーによる人類の存亡を賭けた戦いが始まった。
奇襲を受けたとはいえニナの構築した社会インフラは強固であり、数で勝るニナシリーズが優勢を保っているように思われたが、その状況は次第に逆転し始める。なぜなら計画の要であるホムンクルスはニナイレギュラーの手にあり、そうである以上彼女たちは文字通り無限湧きし続けるのである。やがてニナイレギュラーが数でこちらを凌駕し始めると戦況は一気に悪化する。彼女たちは自分の作り上げた文明や社会を否定するかのように無差別に破壊を繰り返し、いかなる交渉も受けつけなかった。残された人類と200体ほどまで数を減らしたニナシリーズは追いやられるように地下へと潜り、どうにか反撃の隙を伺っていた。唯一の希望は事態の発端であるオリジナルのニナがこちらにいることだった。
「なあ、あのホムンクルスをもう一度作ることはできないのか? そうすればニナシリーズを再生産して互角に戦うことができるかもしれない」
しかしその問いかけに対してニナは首を振る。
「あれは……あれだけはもう作れないの。それがわかってるからニナイレギュラーも最初にホムンクルスを狙った。私たちが勝つためには、どうにかしてあれを破壊するしかない」
人類は残された全てのリソースを集約し、ホムンクルス破壊計画「プロジェクト・ノア」を立ち上げた。少数精鋭によって研究所へ強行突入し、今もなおニナイレギュラーを生み出し続けているホムンクルスを破壊もしくは機能停止させる。一見無謀な賭けのようにも思えるが、もはや残された選択肢はそれしか存在しない。そして作戦の最重要要素として位置づけられたのが、望月ニナの彼氏であるこの俺だった。
「カナタなら研究所のあらゆるセキュリティをパスすることができる。それにニナイレギュラーも望月ニナとしての記憶を持っている以上、あなたへの攻撃を躊躇うはず。危険な目には合わせたくないけど、こうするしか方法がないの」
「わかってる。……それが俺にしかできないことなら、俺はやるよ」
「……ごめん、カナタ」
本心を言えば俺は世界の命運とか人類の未来とか、そういうもののために戦おうと思ったわけじゃない。俺の愛した望月ニナという存在が、世界を滅ぼす悪として終わってしまうのが嫌だっただけだ。そうして俺たちは最後の決戦へと臨んだ。
地上では既に10000体を超えたニナイレギュラーが監視網を張り巡らせており、俺たちもすぐに捕捉されて攻撃を受ける。それに対抗するのは200体弱のニナシリーズとオリジナルのニナ、そしてその彼氏である俺だ。ニナシリーズとニナイレギュラーのスペックは互角であり、当然数において圧倒的に劣るこちらが不利になるのは自明の理だ。しかしニナシリーズには相手には存在しないわずかなアドバンテージがあった。作戦に参加したニナシリーズは皆mark3から200までの早期に製造された望月ニナだ。彼女たちはニナイレギュラーよりも一年ほど年上ということになる。常人にとってはたった一年の差でしかないが、ここにいるのは人類最高の叡智を備えた超絶美少女である。その一年の差は常人の数百年に匹敵するほどの密度であり、それは経験の差となって彼女たちの間に存在していた。個の能力においてはニナシリーズの方がやや勝っていたのである。
「ハッキング成功! 敵の監視衛星を無力化した!」
「よくやったわ、mark30! 今のうちに突っ込むわよ!」
ニナイレギュラーたちの指揮系統に混乱が生じたその隙をつき、俺たちは一気に研究所に接近する。しかしそこは敵にとっても最重要施設であり、当然厳重な迎撃態勢が敷かれている。それを承知でこちらは突き進むしかない。レーザーのような閃光が迸り、一台、また一台とニナシリーズを乗せた武装車両が破壊されていく。例えクローンだとしても、彼女たちが悲鳴をあげ息絶えていく姿を目の当たりにすると、俺は心臓が張り裂けそうなほどの痛みを覚える。だからこそ、こんな争いはもう終わりにしなければならない。しかし研究所の目前まで迫ったその瞬間、爆風に巻き込まれて車体が横転し、俺たちはしたたかに体を打ちつける。なんとか車から這い出たが、ここから先は徒歩で進まなければならない。
「大丈夫か、ニナ!?」
「うん、私は大丈夫。でも——」
俺たちの護衛にあたっていたmark8とmark19は無事だったが、車体の前方にいたmark52とmark107は臓器を損傷したのか激しく吐血しとても動ける状態ではない。車体後方でずっと電子戦をしていたmark30も足を負傷して動けないようだ。だが俺たちの躊躇いを振り切るようにmark30ははっきりと告げる。
「私たちのことはいい。ここで立ち止まったら今までの犠牲が無駄になってしまう。あなたたちは先に行って」
「でも……」
「あら、私を誰だと思ってるの? 超絶天才美少女発明家の望月ニナが、こんなところで死ぬわけないでしょ。あの出来損ないのニナもどきたちに一泡吹かせてやるんだから」
俺はただ彼女の言葉を信じるしかなかった。オリジナルのニナが静かな声で告げる。
「ありがとう、mark30。絶対に終わらせてみせるから」
「ええ、私たちならきっとできるわ。カナタのこと……頼んだわよ、姉さん」
自身の能力に絶対の自信を持ち、そして課せられた責任から決して目を背けない。それが俺の知る望月ニナという人だった。俺たちは黒煙をあげる車体を背に、ついに研究所へと足を踏み入れた。
オリジナルの想定通り、研究所のあらゆるセキュリティは俺の生体認証で解除することができた。施設内の防衛にあたっていたニナイレギュラーも、俺の姿を見ると明らかに動揺し攻撃の手が止まる。相手の情に訴えるようなやり方であまり気乗りはしないが、もはや手段を選んでいる余裕はない。俺たちがホムンクルスのあるフロアに迫るとニナイレギュラーたちにも焦りの色が見え始める。
「駄目だ、行かせるな!」
「で、でもカナタを撃つなんてできないよ!」
「くそっ、だったらそっちのニナシリーズを狙いなさい! カナタだけじゃホムンクルスは止められないはずよ」
ニナイレギュラーたちの洞察は正確だった。あれだけ複雑な装置を俺一人でどうこうできるはずもない。最低でも一人はニナが生き残っていないとこちらの詰みなのだ。オリジナルへと集中したレーザーを、mark19がその体で受け止める。そして一瞬の隙をついてmark8が敵陣へと突撃し、その直後激しい爆炎と共にあたりを吹き飛ばした。
「そんな……!」
「いいのよ……。mark8はmark2を慕っていた。彼女を殺したあいつらに復讐するために、二人の護衛に志願したんだから」
そう語るmark19も多量の出血によりもう自力で立つこともできなくなっている。俺は彼女の体を支え、ゆっくりと床に横たえる。
「なら君はどうしてオリジナルを……」
「私は私の存在意義を果たしたかっただけ。ニナシリーズは人類の発展と幸福のために存在している。最後まで、そう信じていたかったの」
「mark19……」
「……ねえ、お願い。私のこと、ニナって呼んで」
俺は一度、オリジナルの方へ視線へ逸らす。彼女は何も言わずただ小さく頷いた。
「……ありがとう、ニナ」
19番目の望月ニナは満足そうに眼を閉じて、そのまま深い眠りへと落ちていった。
人間一人一人に違う人生があって、違う心がある。だから命は尊いし、損なわれてはならないものなのだ。それはニナシリーズも、そしてニナイレギュラーだって例外ではない。だが楽園を追放された俺たちは、どれだけの痛みがあろうとただ前に進むしかない。最後の抵抗を排除して、俺たちはホムンクルスの元へとたどり着いた。
あの時はただのタンクにしか見えなかったが、今はこの装置が悪魔の入った棺桶のようにさえ感じられる。ニナは躊躇うことなく右のタンクを開け、その中へと薬剤を投げ入れる。これで組織の結合が阻害され、ニナイレギュラーを作ることができなくなるはずだ。だがこれではまだ完全とは言えない。二度と復旧できないように完全に装置を破壊する必要がある。
「それで、どうやってこれを壊すんだ?」
俺の問いかけにニナは静かな微笑みを返す。意図を読み取れないでいる俺に、ニナは淡々と説明を始める。
「装置自体を破壊することは現状の装備では不可能なの。ただ複製体の元になっている情報を破壊することで、事実上の機能停止をさせることはできる」
「元になっている情報?」
ニナがパスワードのようなものを打ち込むと、左のタンクがゆっくりと開きその中が露わになる。そこに入っていたのは、俺の幼馴染で彼女でもある望月ニナだった。
「これは……!?」
「オリジナルの望月ニナよ。ホムンクルスが完成したその日から、ずっとこの中で眠り続けている」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! いったいどういうことなんだ……?」
思考が混乱し、わけもなく全身から汗が噴き出る。だとしたら目の前にいるこのニナはいったいなんなんだ。俺の言葉にならない問いに答えるように、ニナは落ち着いた声で告げる。
「私は
言葉の意味は理解できても、いつまで経ってもそれが実感として伝わってこない。つまりあの日、俺の目の前でmark2が生まれたあの時から、オリジナルのニナはこの装置の中に入っていたことになる。
「どうして、そんなことを……」
「そうするしかなかったのよ。望月ニナの頭脳をもってしても、自分自身を装置に組み込むこと以外でホムンクルスを完成させられなかった。だけどあなたを一人にするわけにはいかないから、私がオリジナルの役目を引き継いだってわけ」
「でも、そんなことになるくらいなら、こんな装置なくたって……!」
「望月ニナはいつだって自分に課せられた責任から逃げなかった。彼女は人類のために自分を犠牲にする道を選んだの。それに最初は1000体作ったところで一度戻ってこられるはずだったし」
そうだ、本来の計画ではニナシリーズが1000体に達した時点でホムンクルスは稼働停止するはずだった。それがどうして未だに稼働を続け、ニナイレギュラーなんてものを生み出してしまったのか。
「いったい何が起こったんだ? ホムンクルスに生じたエラーは何が原因なんだ?」
「おそらくオリジナルの無意識化の心的要因、それが複製体にも影響を及ぼしているんだと思う。ここからは私の推測でしかないけど——」
そう言ってニナは自分の入ったタンクにそっと触れる。その表情は相手を慈しんでいるようにも哀れんでいるようにも見えた。
「彼女はきっと、この世界に戻ってくるのが怖くなってしまったの。人類最高の叡智で超絶美少女だった自分に代わりがいる世界が。……あなたが自分以外の誰かを愛している世界が。それが自分自身で望んだものだったとしても、自分が必要とされない恐怖に打ち勝つことができなかった。その激しい葛藤が複製体にも記憶情報としてコピーされた結果、世界の破滅を望むニナイレギュラーが生み出されてしまった」
「ニナが必要ないなんて、そんなこと——」
そう言いかけて俺は気づく。俺は望月ニナを愛している。だがそれは本当に、ここにいる本物のオリジナルのニナのことなのだろうか。俺はずっと複製体のニナを本物だと思っていたし、それを疑ったことは一度もなかった。それは本当に、彼女を愛していると言えるのだろうか。思考の渦に囚われた俺に、ニナは優しく語りかける。
「だけどもういいの。どのみち計画は失敗、望月ニナは世界を滅ぼす脅威になった。人類存続のためには処分するしかない」
「処分って、いったい何をする気なんだ……!?」
ニナは懐から小さな試験管のようなものを取り出す。なぜだかとても嫌な予感がしたが、その予想は当たっていた。
「これは私が極秘に開発した新種のウイルス『ネメシス』。非常に高い感染力を持っているけど、通常は感染してもほとんど症状は出ない。ただし遺伝情報が望月ニナと完全に一致する人間にのみ高い毒性を発揮し、その個体を確実に死に至らしめる。これをホムンクルスに投入して大量に複製すれば、地球上の望月ニナを絶滅させることができる。……これがプロジェクト・ノアの最終目標よ」
「絶滅って……それじゃオリジナルもニナシリーズも皆死ぬってことじゃないか!」
「それでいいの。他に方法がないし、もうこの世界に望月ニナは必要ない」
そう言ってタンクの中にウイルスを放り込もうとするニナの腕を俺は思わず引き留める。だがいったいどんな言葉をかければ彼女を止めることができるのかわからない。そもそも自分のやっていることが正しいという自信だってないのだ。そんな俺を見てニナは少し寂しそうに笑う。
「カナタはさ、私のこと好きだった?」
「……当たり前だ」
「ふふ、そっか」
ゆっくりとタンクに伸びるニナの手を、今度は止めることができなかった。ホムンクルスが謎の異音を発し、忠実にその使命を遂行し始める。一分も経たないうちにニナは床に崩れ落ち、俺は彼女の体をそっと抱きしめる。
「……私は偽物だから、わかんないけどさ」
荒い呼吸を繰り返しながら、それでもニナは俺に語りかける。俺はただじっとその声に耳を傾ける。
「本当は望月ニナは、不器用でわがままで、ちょっと見栄っ張りなだけの、普通の女の子だったのかなって、そんな気がするんだ」
「……そうかもしれないな」
「そんな子でも、みんな、愛してくれる、かなぁ」
「ああ、きっと」
気づけばあたりにはただ果てのない静寂が広がっている。俺は、俺が愛した二人のニナと共に、急速に沈みゆく世界を眺めていた。裁きの時はやがて過ぎ去り、新たな時代が幕を開ける。だけどそこにはもう、望月ニナはいない。
mark30の言葉が脳裏に蘇る。それでも俺たちは歩いて行かなかなければならない。俺と、この世界を愛してくれた、愛しき者たちのために。俺はニナの体を抱きかかえて、一歩踏み出した。
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