海の上のヨット空母

奈良まさや

第1話

2040年。

軍備は、かつての重厚さから、もはや玩具めいた軽さに変貌していた。


とくに空母は、レジャーボードほどの大きさ。

補給に来た戦闘機は、機体に向けて燃料ボールをぽん、と投げるだけで燃料ボールを吸い込んで超音速飛行が始まる。

カモメにエサをあげるのと一緒である。

高性能レーダーは、ミサイルも潜水艦も、さらには海底の魚の群れさえ見抜く。見た目はヤマハの中古ヨットにしか見えないのがまた、時代のしゃれた皮肉だった。


太平洋のど真ん中。

その小さな「ヨット空母」は、波を割ってゆったりとクルーズのような巡回走航を続けていた。


操舵室のユウタは、片手でハイボール缶を開けながら、ほんのり赤くなった顔でモニターを眺めていた。

「……あれ?なんか動いてる」


最初は、酔いのせいで見間違いかと思った。

だが、レーダーの画面には確かに高速で移動する物体があった。


「ナミ、これ……ビール持ってきてくれる?」

「うん、まってまって〜」ナミは鼻歌混じりでクーラーボックスから缶ビールを取り出しながら、「あ、ミサイルだぁ〜♪」と軽やかに言った。


レーダーの識別コードが赤く点滅する。トマホーク。狙いはC国本土の中枢都市。

しかしハイボールとビールのおかげで、二人の反応は妙にのんびりしていた。


「本部に連絡したほうがいいかな〜」ユウタがぼんやりと呟く。

「え〜、でもあの速度だともう間に合わないよね♪」ナミはビール缶をプシュッと開けながら、まるで天気の話をするように言った。


頭の中で、横須賀港での出航前の会話がよみがえる。

整備士が渡してきた細長いケース。

「これは試作品なんだけどさ。電磁展開式の高強度ナノファイバー網だ。分子レベルで編まれた糸が、展開と同時に直径二キロの半球を形成する。衝突した物体の運動エネルギーを瞬時に熱と電磁波に変換するから、弾頭も推進系も同時に無力化できる――理屈の上ではな」

「理屈の上では?」と聞き返したとき、整備士はニヤリと笑っていた。


指令は出ていない。

試射したこともない。

試作品で、本当に機能するのかも分からない。

まとめると、

職務放棄・職務怠慢

指揮系統違反・命令違反

兵器の無許可使用

懲役15年とみた。


「現在位置、北緯35度12分、東経140度33分〜。トマホークの速度マッハ2.3、高度150メートル〜♪」

ナミが鼻歌交じりでデータを読み上げる。酔った勢いで妙にリズミカルだった。


「予想到達地点まで……31秒だって〜」


ユウタは缶を傾けながら、「あ〜、やっぱ使ってみるか〜」とつぶやいた。レーダー画面の赤い点を見つめて、「なんかゲームみたいだなあ」


「軌道予測〜、今のペースなら、北緯35度27分18秒、東経139度46分22秒の上空を通過するよ〜」

「そこに網張っちゃえば〜」

「間に合うかどうかは〜」ナミはビールをぐいっと飲んで、「神様がきっとなんとかしてくれるよ〜♪」


その楽天的すぎる態度に、ユウタも笑ってしまった。

「よし、やってみるか」


「座標入力〜……35度27分18秒、139度46分22秒〜」

「展開範囲設定〜……半径1キロ、高度100から200メートル〜」

ナミが陽気に設定を手伝う。

「発射まで……3、2、1〜♪」


キーをひねった瞬間——


ケースから透明な光線が空中に向かって放射された。目には見えないが、電磁波センサーが捉える微細な振動が、空気を震わせている。


「展開完了〜。ナノファイバー網、設定座標に配置〜」

「トマホーク、予想通過地点まで……5秒だって〜」


二人は缶を持ったまま画面を見つめた。


「5秒〜」

「4〜」

「3〜」


ユウタが「おお〜」と間抜けな声を出す。


「2〜」

「1〜」

「来る来る〜♪」


画面上で、赤い点が座標と完全に重なった——その瞬間。


海上の見えない空間で、何かが激しく軋んだ。

トマホークの推進炎が突然、不自然に歪み始める。

ミサイルの機体が見えない糸に絡まれたように減速し、機首が下を向いた。


「当たった〜♪」ナミが手をパチパチ叩いた。


ユウタは、言った。

「日本に帰っても15年豚箱だ、知らない国行って結婚しよう」

「……日本に帰ったら15年は豚箱だ」

一拍置き、ユウタは息を吸い込む。

「だから——知らない国に行って、俺と結婚してくれ」


ナミは缶を持つ手を止めた。

波の音とレーダーの電子音が、ふたりの間に長い間を作る。


口の端をゆっくり上げ、彼女は言った。

「……うん、いいよ」

声は驚くほど静かで、でもその瞳は海より深く澄んでいた。


その瞬間、白い閃光が空を裂いた。

熱と電磁波に変換されたミサイルは、光の粒子となって消えた。

ナミはユウタの肩に頭を軽くもたせかけ、笑った。

「じゃあ、まずパスポートからだね〜♪」

(国際指名犯にパスポートは無いな)


カチン——二人が缶を合わせた、その直後。

レーダーが再びけたたましく鳴り響いた。


「……ん?」ユウタが画面をのぞき込む。

赤い点——三つ。しかも、同じ軌道上を、完全に揃った隊列で接近してくる。

速度は先ほどと同じマッハ2.3、高度150メートル。


「三発同時かよ……」

笑いが、喉でひび割れた。

一回きりの使い捨て——整備士の言葉が脳裏にこだまする。


ナミはビールを置き、背筋を伸ばした。

先ほどまでの軽い調子が消えている。

「迎撃手段……ゼロ?」

「ゼロ」

短い答えに、室内の空気が重く沈む。


風が急に荒れ、船体がきしむ。

外では波が甲板を叩きつけ、金属音と水音が混ざり合う。

レーダー音が一定のリズムで鳴り続ける——心臓の鼓動のように速く、近く。


「到達まで……54秒」ナミの声が低く落ちる。

ふたりは視線を交わす。

その一瞬だけ、結婚を約束したばかりの温かさと、迫る死の影が、同じ空間に同居していた。


ユウタはハイボールを机に置き、深く息を吐いた。

「……やれるだけ、やるか」

ナミが頷く。

「うん。どうせ夫婦になるんだし、最初の共同作業だね」


波がさらに高くなり、遠くの水平線で稲光が走った。

レーダーの赤い三つの点は、もうすぐ網の目の中に飛び込んでくる。


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海の上のヨット空母 奈良まさや @masaya7174

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