戦地メンタル
銃声はけたたましく鳴り響いて止まることを知らない。鼓膜に張り付いた悲鳴と号哭とが混ざり合って横隔膜を抓ってくる。戦場に沸き立っているのは誰一人としてここにはいない、冷静な判断と標準の正確さ以外はそぎ落としているからだ。いや、それ以外もあるかもしれない。テンガイはそう岩場の陰で絶望に耽っていると刎頸の友が光を掴みたそうに話しかけて来た。
「なあテンガイ…終わらせかた、どうすりゃいいのかな」
その台詞には共感するものがあり、自分を救うためにも彼は何か元気づけようと逡巡してると、続けざまに言われた。
「…夢の話、まだ聞いてなかったこと思い出してさ。最後に話さないか?」
最後という言葉が妙に喉奥に突っかかって、溜飲がせり上がってくる。それを忘れようと俺は夢を吐き出していた。
「…雲の上で生きていたい。きっと偏西風に流されるまま世界を見渡せる。」
俺がそう言うと、友は微かに笑った。銃声にかき消されそうなほど小さな笑みだったが、俺にははっきりとそれが見えた。
「そっか……いいな、それ。俺は……」
?
彼が言いかけたとき、ここからかなり遠くだが爆音が弾けた。鉄と血と土が入り混じった臭いが鼻腔を焼く。仲間たちの消滅を知覚した。
「テンガイ……俺はな、海が見たい。責任のいらない……あの海を」
俺は答えようとした。だけど、喉が焼けついたように乾いていて、言葉にならなかった。そんな彼を見放すように友は言い続ける。
「俺たちの戦いが終わったらな」
友の言葉が終わるより先に、岩陰の方から鎖のような足音が響いているのをテンガイは聞き逃さなかった。敵が近づいてきている方に五感を集中し、何が起こってもいいように喉奥にある逆鱗を紅く燃え滾らせて、結界の境を凝視する。確かに近づいている甲冑の音色に、自然と鼓動が早くなっているのを認識する余裕など彼にはなかった。
ここ迄攻略するのにいったいどれほど命が殺された。
同じ洞穴の仲間たちを思い出しながら、向こうにいる狩人から身を守るため重ねて焔を編み込んでいく。
「?おいテンガイ…」
!
結界の外側から波動が放たれたのと同時に、喉奥で固めていた業火を一斉に吐き出した。
双方の攻撃は拮抗して、岩で出来た塒中に亀裂が走る。
「お前は何者だ…」
しかし、その男からの返答は一切ない。
黒鉄の鎧に全身を包んだ異形の男。兜の奥で、瞳だけが赤く、燃えている。男だ持っていたのは銃ではない。巨大な杭――竜殺しの専用兵装、《魔鎖杭バジリスク・スパイン》だった。無頼漢は再びその動脈に波動を走らせ装填を開始した。
テンガイは舌打ちの代わりに、喉奥から低い唸りを漏らす。空気が焼け、岩肌が汗をかく。
「どれほどの魔物を殺した…」
「ハッ…竜族どもが」
カチリ、と杭の根本に組み込まれた封印機構が解ける音がした。テンガイの胸の奥、何百年も凍てついていた竜の本能が、音に呼応するように疼いた。
「…」
喉奥が熱を帯びる。逆鱗が完全に目覚めた。蒼炎の波動が全身を駆け巡り、洞窟の天井にまで光の鱗が反響する。
次の瞬間、テンガイは飛んだ。岩を砕き、空間を裂き、敵の眼前にその巨体を突き立てる。
雄々しく地を揺らす咆哮が、すべてを焼き尽くす夜明けの合図となる。
「テンガイ!!俺たちの戦いはどうなったんだよ!!」
やっと友の叫び声が聞こえてテンガイはハッと我に返った。
「隙あり」
狩人は生気が宿っていない声をくぐもらせ、陽動か一歩引いて《魔鎖杭バジリスク・スパイン》の先端から青白い光を輝かせた。
「あんたもやめろ!!!」
しかし男は聞く耳を持たず、殺意を表すようにエネルギーを溜め続ける。友は躍起になって果てしなく広い塒を駆けながら、男の闘志を逸らせようと叫び続けた。しかし彼の努力むなしく、青白い瞬きはどす黒い紺色に移ろっていく。友は時間がないと判断したかその場で膝をつき、両手を握って詠唱を始めた。するとみ空色の結界は紅緋に反転し、真白なインクを落としたような歯の紋様が浮き上がった。
「は?」
狩人の間抜けな残響がテンガイの耳に届いたときにはもう、狩人も友も塒の向かいにある岩に叩きつけられていた。結界の条件が反転したのだ。赤色の時は塒に人間が出入りできず竜だけができる、つまりテンガイはいまこの結界を無視出来るのだ。彼は急いで血みどろになった二人のもとに駆け寄った。
「リンシ!」
「…はは、最初に俺の名を叫んだか」
彼は言葉の真意を了解しなかったが、死なせてはならないことが大事だと癒してやることにした。
「今治してやる」
そうして竜がその巨体に宿したエネルギーを用いて彼の五臓六腑に至るまで満遍なく回復させようと呪文を詠唱していると、岩壁に飲み込まれた狩人が驚嘆した顔つきで腰から上を前屈させて彼らに問うた。
「リンシ…?お前、あのリンシなのか…?」
大いに感激したのか、まるで石灯篭のように、どす黒い甲冑の中から黄金の輝きを讃えていた。口調も柔らかくなって、固まっていた闘争の緊張が和んでいくのを皆薄々感じる。
「歴史の授業で聞いたことがある…本当にあんたがリンシなら、なんでずっとこんなとこに」
最後の好だとでも言うように彼は大きく息をついて語り始めた。
「これは30年くらい前の話だ。」
リンシは淡々と目の前にい赤竜との歴史を語りだした。
「前々から俺は竜が人語を操れるのが気になったんだ。意思疎通ができるなら対話し、人間と共に暮らすことも夢じゃない。思い立ったら即行動だ。俺はすぐさまここに討伐という名目でやってきた。始めは絶望的だった。洞窟内を震撼させるテンガイの呻き声や咆哮は、そのとき近辺で暮らしている人間や、勿論洞窟内の魔物にも精神的な閉塞感を抱かせていた。等しく人語を操る魔獣だとは到底考えられないくらい、当時のテンガイから血の匂いがしていたのも勿論ある。右も左もわからぬまま命を嬲っていったのだろう。いったいどれほど命が殺された…。しかし竜とは本来人間の死に様を道楽として食い潰す猛獣だ。元からそんなこと了解している。だけど対話しに来たのだ。そうして俺はテンガイの塒には『畏竜厄防』の結界を張った。そうして塒の外から話し始めることにしたんだ。竜は残虐だが同じように聡明だ、一年も時を共に過ごしていたら会話できるようになってきたんだ。十年経ち、俺とテンガイは…友達のようになっていった。希望の光が見えて来た。そして結界を張ってから三十年後、俺は遂にテンガイの塒に潜ることが出来た。嬉しかった。本当に、殺さないことが嬉しかった。それから今の今まで人間社会に出たときのことについて教えてやったんだ。そして俺とテンガイの三十年程前に始まった戦いが、今幕を閉じようとしている。もうテンガイは、正当防衛でない限り…人間を殺さない」
その声には郷愁も混ざった寂しげな響きを持っていた。
「狩人が来たのはイレギュラーだった。兎も角、やっとお前は大空を羽ばたける」
リンシは竜にその足に小さい手を当てて、見上げながら友に言った。
竜は決別しなければならないというこの道程に取り繕えない空虚な隙間が胸を穿っているのを分かりながらも、理性を保っていた。
こいつにはまだ救わなければならない同志がたくさん残っているのだ。勇者の冒険の歩みを止めない為、ここで決別しなければいけないのだ。非情に見えるが、厚い人情の賜物なのだ、と。
彼らは余り茶も煎る様、世間話をしながら洞窟の外までしげしげと踏みしめていった。彼らが日の光をまみえたのは走馬灯のように一瞬のことだった。竜はかつて鋭かった眼光で勇者の顔をほがらかに見、日射を全て受け止めようかという大きい羽を広く大空に向けて展開した。息吹に似た風が草原を走っていき雑草たちを静かに揺らす。そんな風の音に任せるように、竜は静かに告げた。
「…またな」
竜はかの巨体を浮かばせるのに相応しい立派な羽を舞わせ、木の葉も砂埃もついてきた。弱きそれらを先導するように上空の彼方に消えていった彼の行方は、もう誰も気にすることはない。
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