夢で恋人、現実で下僕な僕

舞夢宜人

第1話 新学期とクラス委員長、そして僕

 新しいクラスの、まだ糊の効いた真新しいカーテンが、春の優しい風に揺れていた。県立富岳高校の三年一組。受験を意識した進学校ならではの、少し張り詰めた空気が漂う教室で、俺は自分の席に着き、窓の外に広がる校庭をぼんやりと眺めていた。今日から高校生活最後の年が始まる。志望校である地元の国立大学に合格すること、それが俺の唯一の目標だった。いや、もう一つ、誰にも言えない秘密の目標があった。


 その目標の対象は、俺の斜め前、窓から三列目の席に座る人物。


 月島咲良。


 バストラインまで伸びる真っ直ぐな黒髪と、凛とした佇まいが印象的な、三年一組のクラス委員長だ。書道部員らしい、一点の曇りもない澄んだ横顔は、まるで一枚の絵画のようで、時折、風に揺れる髪が、彼女の完璧さに少しだけ親近感をもたらす。彼女はいつもクールで、誰とも馴れ馴れしく話すことはない。しかし、その内面に秘められた、他人の頼みを断れない不器用な優しさを、俺だけは知っているつもりだった。そう、俺は彼女に、高校二年生からずっと片思いをしている。


 高校二年生の時、初めて同じクラスになった時から、俺は彼女に惹かれていた。周囲からは近寄りがたいと思われがちな咲良だが、頼まれたことは決して断れない。そんな不器用な優しさを知っているのは、俺が彼女の「便利な下僕」だからだ。


「西山くん、ちょっといい?」


 午前の授業が終わり、昼休みに入る直前、担任の先生が声をかけた。ショートホームルームの残り十分間、先生はクラス委員長と副委員長を選ぶと言った。


「月島、クラス委員長を頼む」


 先生の指名に、クラスの生徒たちは納得したように頷いた。咲良は成績優秀で、クラスの中心的な存在だ。誰もが彼女が適任だと考えていた。


「はい、先生。承知いたしました」


 淡々とした声で返事をした咲良は、表情一つ変えずに立ち上がった。彼女の視線が、一瞬だけ、俺の方を向いたような気がした。気のせいだと自分に言い聞かせようとしたその時、彼女は先生に向かってこう言った。


「副委員長は……西山くんを指名してもよろしいでしょうか?」


 教室がざわめいた。まさか、咲良が俺を指名するなんて。俺は驚きのあまり、自分の名前が呼ばれたことを理解するのに少し時間がかかった。


「え……俺?」

「うん。西山くんが一番、仕事を頼みやすいから」


 彼女はそう言うと、俺をまっすぐに見つめた。その瞳には、一切の感情が宿っていないように見えた。


「西山くん、頼めるか?」


 先生の言葉に、俺は戸惑いながらも頷いた。断る理由なんてない。彼女の頼みを断り切れないのは、彼女が俺の好きな人だから。そして、彼女の隣にいることができる、そんな奇跡のようなチャンスを逃したくなかったからだ。


 それからの一週間、クラス委員の仕事で、俺と咲良は自然と関わる機会が増えた。書類を運んだり、連絡事項を伝えたり、時には先生の代わりに雑務をこなしたり。


 そして今日、昼休み時間、俺は彼女に頼まれて、職員室に書類を届けに行くことになった。


「西山くん、この書類、職員室に持っていってくれる? 提出期限が今日までなんだ」


 彼女はそう言って、分厚いファイルを手渡した。そのファイルには、何かの計画書のようなものが挟まれていた。


「わかった。すぐ持っていくよ」


 俺はファイルを受け取ると、彼女に笑顔を見せた。すると、彼女は少しだけ戸惑ったような表情を見せ、すぐにいつものクールな顔に戻った。


「ありがとう。助かる」


 そう言って、彼女は自分の席に戻っていった。


 ああ、俺は結局、彼女の「便利な下僕」なんだな。


 そう自嘲しながらも、俺の心は高揚していた。彼女が、俺に頼ってくれた。俺にしか頼めない仕事だと言ってくれた。たとえそれが、彼女にとって一番仕事を頼みやすい相手だからだとしても、俺にとっては、それが嬉しかった。


 職員室に向かう廊下で、俺は分厚いファイルを抱えながら、咲良の後ろ姿を思い浮かべていた。彼女は、俺のことなんて、何とも思っていないだろう。ただのクラスメイト、ただの便利な道具。そう、思っているのだろう。


 でも、いつか、いつか俺は、君の隣に並びたい。


 俺は、心の奥底でそう願っていた。そんな俺の願いが、まだ見ぬ未来の二つの世界を紡ぎだすなど、知る由もなかった。

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