悪役のプロローグ〜原作開始前の悪役に転生しました……ところで、悪役の過去なんて知らないんですが?
黒猫
第1話:プロローグ
「──ッ!?」
ガバッと勢いよくベッドから飛び起き、肩で息をする。
全身から吹き出た汗のせいか、身体はじっとりしていて気色が悪い。
ボクはゆっくりと深呼吸して、息を整える。
混濁した記憶が少しずつ整理され、次第に意識も完全な覚醒を果たす。
そして理解した。
自分が死んだという事実を。
では、今のボクはいったい誰なのか。
その答えも、既に頭の中にあった。
鈍く痛む頭を抑えながら、天幕付きの大きなベッドから抜け出し、部屋の片隅に設置されている鏡の前へと移動する。
そこに映っていたのは、少し幼さの残る子供。
仕立てのいいパジャマ。
艶のある綺麗な金髪。
吸い込まれそうな引力を持つ蒼い瞳。
要するに、とてつもなく整った顔立ちをしている少年がいた。
ボクが見たものとは背丈が違うし、髪色などのデザインも違う。
しかし、確信があった。
「やっぱこれ、ノーグ・ウィルゼストだよな……」
それは、ボクが前世でやり込んでいたRPG──『オルトシア・クロニクル』に登場する悪役貴族の名だ。
豪華絢爛な学園。
そこに集まるのは、多くの才を秘めた
実力主義の学園で、良くも悪くも平凡な主人公。
しかし、シナリオという名の運命にボロボロになるまで振り回され、プレイヤー達による
クエスト。
悪の組織。
ダンジョン。
数々の冒険。
ヒロインや悪役、友人、ライバルとの会合。
友愛織り成す、笑いあり、涙あり、感動ありの超大作。
学園という小さな箱から始まり、やがて世界へと進む少年少女たちは後に──『英雄』へと至る。
これが『オルトシア・クロニクル』──通称『オルクロ』のあらすじだ。
先程も言った通り、今のボク……ノーグ・ウィルゼストは紛うことなき『悪役』である。
ウィルゼスト侯爵家の三男で、その実力は作品屈指のもの。
悪役陣営──『邪神教団』の幹部だった。
周囲には多くの女性や配下を侍らせ、主人公にネチネチ絡む嫌味なヤツ。
怠惰傲慢属性も当然のように装備しており、学園外では教団幹部として猛威を振るっていた。
闇魔法による『洗脳』が得意で、監禁、凌辱、殺人などやりたい放題。
ウザイ判定をしたヤツには、授業中にケツの穴を緩める『洗脳』を掛けて、恥をかかせるという遊びをするほどだ。
そんな頭のぶっ飛んだ男ではあるが、教団の任務はしっかりとこなす。
教団に多大なる利益をもたらし、邪神復活にも貢献していた。
しかし、邪神復活の直前に主人公と戦い、美しいまでに瞬殺される。
原因は当然、慢心による油断と、怠惰による努力不足だ。
類稀なる才能を持っていても、
そんな原石くんが、プレイヤーによって研ぎ澄まされ、ある種の魔改造が施される主人公に勝てるわけがない。
「ふむ……」
一度死んだにもかかわらず、また死んでしまう可能性が出てきた。
しかし、悲観しすぎることはない。
このままいけば死ぬ。
だけど今の僕は12歳。
原作開始は15歳から。
まだ時間はある。
そして幸いなことに、ノーグは悪役陣営の幹部にまで登り詰めるほどの素質を持っている。
主人公の成長と、ヒロイン達との絆を深めるために生み出された強い悪役。
そんな人物が原作の知識を得た。
原作開始まで三年。
環境は良好。
スペックも十分。
知識はチート。
不足は無い。
「──勝ったな」
悪い笑みを浮かべながら、お決まりの言葉を発してみる。
とその時、扉の向こうからノックが響いた。
開け放たれた扉と共に、失礼しますと言いながら誰かが入ってくる。
その人物はコチラに視線を向けて軽く目を見開くと、すぐさま綺麗な所作で腰を折った。
「これは失礼しました。もう起きられていたのですね」
現れたのはメイドさんだった。
歳は……14、5歳くらいか。
感情の起伏が少なく、淡々とした印象を受ける。
綺麗で長い銀髪。
クールな印象を受ける切れ長の目。
深紅に染まった左目がコチラを射抜く。
右目は前髪に隠されていて見えない。
スラッと通った鼻筋と、艶やかな桃色の唇。
メイド服に身を包んでいるが、貴族の令嬢のような儚さを感じる。
なんだろう。
見たことある気がするぞ……この子。
誰だっけ……?
ノーグの記憶によれば、彼女の名はヘレナ・バロールというらしい。
ははっ、まったく冗談はよしてくれ。
ヘレナ・バロールといえば、悪役陣営の主力幹部の一人。
主人公の前に立ちはだかる強敵の名前そのままじゃないか。
「………は?」
待て待て。
ヘレナ?
なぜここに?
……ていうかメイド?
マジで?
ボクの脳内に幾つものクエスチョンが現れる。
それも仕方のないこと。
本編において、悪役の詳しい過去話は存在しない。
それが制作陣の狙いなのか、それとも今後実装予定だったのか、今となっては分からない。
確かなのは、彼らは悪役として生まれ、悪役として幕を閉じていったこと。
一応、公式設定資料集の人物紹介に、ある程度の人となりは記載されていたが、本当に限定的なものだった。
例えばヘレナの場合。
彼女は常に夢を見ている。
己が望む楽園を求めて。
彼女の瞳は幻想を映し、後には何も残らない。
耳を傾けることなかれ。
彼女の言葉に意味は無い。
本編のヘレナはこの紹介の通り、出会った対象に──『私と生涯を共に歩んでくれますか?』と、祈りを捧げるように胸の前で手を組み、透き通るような美声で聞いてくる。
黒を基調としたドレス。
美しい銀髪。
そして、両目を覆う眼帯の姿で。
この問いにYesを選んだ場合──『あぁ、よかった。これで私も救われます。これから幸せになりましょうね?』と告白され、その人物は神隠しにあったかのように
その後ヘレナは悲しみの表情で──『あぁ、また違う。いったいどこに……』と口にする。
この問いにNoを選んだ場合──『あぁ、そうですか……やはり私はこの世にいてはいけない存在なのですね』と言い、その人物は爆散。
対象を消すか爆散させるかの違いだけで、結局殺すことに変わりはない。
そんな彼女に与えられた称号は──『姫』
邪神教団の幹部──『ファルネラ』の序列2位。
正真正銘の怪物だ。
ゲームでは、その悪魔的強さで何度ゲームオーバーさせられたか分からない。
そんな歩く自然災害みたいな人物が、なぜボクの目の前にいるのか……。
原作でも、ノーグと特別親しい雰囲気はなかった。
ただの同僚……いや、赤の他人。
そんな風にすら感じた。
「ノーグ様、どこか具合でも悪いのですか?」
完全に固まっているボクを、心配そうに見つめてくるヘレナ。
「なぁ、お前は……ヘレナだよな?」
「はい、ノーグ様の専属メイド。ヘレナ・バロールです。……やはりどこか具合が?」
「そうだな、頭が痛いからもう少し寝る」
「かしこまりました。朝食の時間になりましたら、またお迎えにあがります」
綺麗なカーテシーを行った彼女は、スタスタと部屋を出ていった。
それを確認したボクは、すぐさまベッドにダイブ。
大の字の状態で天井を見上げながら、一度深呼吸する。
うん、ちょっと待ってくれ。
ボクの計画が一瞬で崩壊したぞ?
悪役とはいえ、ハマっていたゲーム世界への転生。
ハッキリ言って最高だ。
先程も言ったが、ノーグの才能は一級品。
侯爵家という最高峰の環境。
原作開始までは三年もある。
ゲーム知識を活用して鍛え上げれば、死亡フラグも何とかなるだろうと安易に考えていた。
しかし、現実はそう甘くないらしい。
「……落ち着け、まずは情報の整理だ」
原作と先程のヘレナの変化からして、彼女はまだ邪神教団に入っていない。
まずはそう仮定しよう。
ボクの持っている情報は……ノーグが生きてきた12年間の記憶。
そして、15歳から始まる原作の知識。
「重要なのは、原作が始まるまでの空白の三年間だな……」
その三年のうちに、教団がウィルゼスト家を襲う可能性がある。
目的は、ボクとヘレナの誘拐だろう。
原作のノーグは、登場時から嫌なヤツだったし、悪役に相応しい思考回路をしていた。
しかし、過去のノーグの記憶を見る限り、危ない思考回路はしていない。
なんなら優等生らしい振る舞いをしている。
つまり、学園が始まる前に何かがあり、その影響で人格が変わったと見るべきだ。
ノーグの被害に
簡単なシナリオを考えればこんなところだろう。
「なぜボクは原作が始まるまでは安全だと思ったんだ……。てかそう考えると、原作開始まで三年しかないってヤバくね?」
何より重大なのが、教団がいつ襲撃に来るか分からないことだ。
ん、待て。
それだと今日の可能性もあるのか……。
「いやいや、そんなまさかな……」
ないよな?
「……」
今すぐ侯爵家を飛び出して逃げるか?
……いや、無しだな。
孤立無援の状態で何ができるだろうか。
瞬殺で教団に連れて行かれる未来しか見えない。
それに、現代社会というぬるま湯にどっぷり
魔物に喰い殺されるか、山賊なんかに身ぐるみ剥がされて奴隷になるのがオチだ。
やはりダメだ。
逃げるのは却下。
なら、現状を受け入れてただ待つ?
──論外だ。
原作をなぞったとしても、ノーグの性格が原作開始前後で変化している事実から、ボクがボクでいられる保証はない。
結局、どれを選んでもリスクは存在する。
一歩間違えれば、死ぬ可能性すらあるリスクだ。
結局のところ────。
「戦って勝つしかない、か」
ボクが真の意味で生き残るためには、抗うしかない。
なぜボクがこんな状況になっているのか。
それは分からない。
だが今すべきことは、当初の計画と変わりはない。
──強くなること。
他を寄せ付けない圧倒的な武力を身につける。
とにかく時間との勝負。
原作開始まで生き残るために。
「やるか」
──コンッ、コンッ。
と、ドアをノックする音が響く。
「ノーグ様、朝食の準備が整いました。いかがなさいますか?」
「すぐ行こう」
方針は決まった。
あとは対策だが、それもある程度思いついている。
朝食を食べたら早速行動するとしよう。
ベッドを抜け出し、鏡の前で身だしなみを軽く整え、いざ外へ。
扉の前で待っていたヘレナについて行き、食堂へと向かう。
食卓には既に料理が並べられており、五人の人物が座っていた。
「おはようノーグ。ヘレナから頭が痛いと聞いたけど、大丈夫なの?」
美しく長いブロンドの髪を巻きおろした髪型。 柔らかく細められたノーグと同じ蒼い瞳。
見るからに穏やかな雰囲気を持つ美女。
ノーグの母。
名をエルナ・ウィルゼスト。
「はい、もう大丈夫です。ご心配をおかけしました」
「そう、気をつけるのよ」
ボクは軽く一礼して、母から視線を外す。
次に視線を送ったのは、上座で腕を組み、目を瞑った状態で座っている男。
分厚い礼服に身を包んだ美丈夫。
後ろで纏められた長い銀髪。
荒々しくも洗練された魔力。
この男こそ、当代のウィルゼスト家当主──ガレウス・ウィルゼスト。
ボクの視線に気づいたのか、ゆっくりと開けられた瞼の下から覗くのは黄金の瞳。
瞬間、突き刺すような視線が僕を射抜いた。
「ノーグ、お前が体調不良を起こしたことで、我々の行動に遅れが生じている。お前の行動一つが、多くの人間に影響を与えることを忘れるな。常に万全の状態であれるよう心掛けなさい」
「はい、申し訳ありません」
僕は本日二度目のお辞儀をして待つ。
少しの沈黙の後──
「……座りなさい」
そう許可が降りる。
これが貴族の生活。
ノーグとして生きた記憶と経験があるから何とかなっているが、普通に見破られそうで怖い。
漏れそうになるため息を、必死に飲み込んで席に着く。
そうして
ウィルゼスト家の食卓には、基本的に私語は存在しない。
食器と食器が重なり合う音だけがこの場を支配する。
強いて話し合いが生まれるのは、母であるエルナが話す時、もしくは──
「アルス、本日お前は何を成す?」
──父が一日の目標を聞く時のみ。
「私は、これまでに習ったことの総復習を行う予定です。午前中に剣術の見直し、昼食後に魔力操作の鍛錬、夕刻以降はダンジョンについての復習を行おうと考えています」
「そうか……お前には期待している。その調子で励みなさい」
「はい、もちろんです父上」
銀髪
アルス・ウィルゼスト。
ウィルゼスト家の長男で14歳。
家庭教師からの評価は軒並み高く、文武両道を地で行く天才とのこと。
剣術と魔法、両方の才に秀で、家庭教師が五回も交代したとか。
人生二周目の人かな?
「ではマルスよ、本日お前は何を成す?」
「私もアルスと同様、午前は剣術の研鑽を。そして、午後からは雷の上級魔法を習得したいと考えています」
銀髪をオールバックにした厳つい風貌の男。
マルス・ウィルゼスト。
ウィルゼスト侯爵家次男の14歳。
お察しの通り、アルスとマルスは双子だ。
本当によく似た顔つきをしているが、アルスが優等生系、マルスがオラオラ系なので見分けるだけなら問題はない。
家庭教師からのマルスの評判は、シンプルに優等生らしい。
少し高圧的な態度はあるものの、授業は真面目に受けていて飲み込みも早い。
どの分野の成績も優秀なため、特に言うことがないとのこと。
「ではセリアよ、本日お前は何を成す?」
「私は午前中のうちに氷と毒魔法の研究、そして雷の上級魔法を習得する予定です。午後は友人にお茶会へ誘われていますので、家庭教師の授業が終わり次第、そちらへ参加しようかと」
セリア・ウィルゼスト。
ウィルゼスト家の長女で13歳。
魔法の天才と称され、既に幾つかの魔法を創出している。
母親と瓜二つの容姿。
お淑やかで美しく、侯爵家にふさわしい期待の令嬢──という皮を被った腹黒女。
人の前ではいい顔をしているが、計算高い一面を持つ。
キャラが濃いなぁ、この家族。
さすが侯爵家と言ったところだろうか……。
今の状況を整理してみろ。
飛ぶぞ?
未来では死ぬ予定のノーグに転生したボク。
闇堕ち予定のメイド。
迫り来る邪神教団。
本編で何の情報も無い、謎多きウィルゼストファミリー。
唯一の癒し枠は母。
……おっふ。
「最後にノーグ、お前は本日何を成す?」
ボクが現実の理不尽さに嘆いていると、父から声がかかる。
しかし、焦ることなかれ。
さっきまでベッドの中でいろいろ考えていたから問題ない。
「午前中はいつものように、体力訓練と魔力制御訓練を重点的に行う予定です。そして、午後からは闇魔法の研究をしたいと考えています」
「……そうか。各自、
こうして、ウィルゼスト家の朝食は進んでいく。
精神的に全く休まる気がしないが、今のボクには好都合に思える。
このくらいの緊張感が、丁度いい。
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※本日より、カクヨム様にて投稿開始しました。
『毎日、午後19:00』に更新。
一応、中編ということで20話程度で完結予定です。
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