第2話 キスは契約。出会いは運命ーー。
ゴブリンは5匹。油断なく剣を構えるミーシャに向かって、てんでバラバラに襲い掛かってくる。
そのうちの一匹が、ミーシャの間合いに入った。
ミーシャは手にした剣を大きく振ってすくい上げ、剣先の鋭い部分で、一番近くにいた大きなゴブリンの手首を切り飛ばす。
「ギャッ」そのまま流れるように一歩踏み込み、棒切れを振り上げた次のゴブリンの胸を一突き。
深く刺しながらも、肉が締まって刃先が抜けなくなる前に素早く引く。
胸を刺されたゴブリンは、わけがわからず、棒切れを振り上げた勢いでそのまま、仰向けに倒れて絶命する。
「ギャアオウ」
めいめいに得物を持ち突進してきた残り3匹の勢いを、ミーシャは踊るようにバックステップでいなす。
「遅いッ」
ゴブリンたちはいなされて拍子抜けし、体勢が崩れたところへ、ミーシャは再びぐんと踏み込み、トン、トンと2匹の胸を同じように突く。
「ギョッ?!」
「終わりだッ」
最後の1匹は、袈裟懸けに切り捨てた。
この一瞬の立ち回りで、4匹のゴブリンたちは絶命した。最初に手首を切られたゴブリンは、すでにどこかへ逃亡していた。
後に残るは、錫杖を手にした、場違いな少女が一人。
「……大丈夫? ケガはない?」
「……はい。幸い、どこも噛まれたり、引っかかれたりしてはないみたいです」
そして少女は「ありがとうございます」とミーシャに深々と頭を垂れた。
「いや、いいってことよ。にしても、キミ、攻撃魔法使えるんだろ。それでゴブリン倒せなかったの?」
ミーシャは小剣の血糊を拭いながら、少女に尋ねる。
「魔法自体は知ってるんですけど、なぜか攻撃力自体が全くなくて」少女は弱々しく笑った。
「だから、あんな威嚇にしかならないわけか」
そんなことで、よくもまあ、この森の中にいるもんだ。危なっかしいにもほどがある。
ミーシャは心中、あきれた。
「この森は、初心者向けの難易度だけど、このあたりまで入ると危ないよ」
ミーシャの言葉に、少女はこてん、と首をかしげる。
その仕草に、ミーシャは視線が吸い寄せられる。(かわいいかも)そう思ったとたん、ミーシャの胸の奥が一度大きく鼓動する。
「か、街道筋まででよければ、連れて行ってやるよ」
(なんだよ、相手は同性だぞ)そんなことを思いつつも、なんだかむずがゆさを感じたミーシャは、少女から視線を外した。
「あ、アタシはミーシャ。ソロ専門の冒険者。キミは?」
「わたしは、エリサです。それ以外は、あんまり覚えてないの。ごめんなさい」
それを聞いて、ミーシャは白い祭服の少女――エリサをしげしげと眺めた。
名前以外、覚えてないなんて、そんなことあるか。
「覚えてない……覚えてない、ねえ。その格好だと、教会関係じゃないの?」
ミーシャの問いかけに、エリサはふるふると首を横に振った。
「じゃあ、どっかのお嬢様とか? まさか、貴族のご令嬢?」
次の問いにも、エリサは首を横に振る。
「じゃあ。本当に記憶がない?」
すると今度は、ぶんぶんと縦に振る。
はっきりいって、得体が知れない。怪しい。
ふつう、こんなきれいな身なりをして、非力そうな少女が、森の中に一人でいるはずがない。
森の中にいる奇妙な女性といえば――。
「まさか、キミ、魔女?」
「……」
一瞬の間。ミーシャの問いに少しためらいを見せてから、エリサは一度だけうなずいた。
これには思わず、ミーシャはおどろき一歩後ずさる。
(いやいや、マジかよ。本当だったら、やばいじゃん)
ミーシャの顔がこわばったのに気付いたのか、エリサは、不安そうなまなざしになり、上目遣いでミーシャを見あげる。
「はうっ」
その刹那、ミーシャの脳裏に、かつて飼っていた犬を拾ってきたときの記憶が浮かび上がった。
彼女がまだ子どものころ。雨の降る日に、親からはぐれたのだろうか、森で小さな子犬を見つけた。
その子犬を抱き上げたときの、あのうるうるとした瞳。
世界中のすべてから見放されたときに、唯一やっと出会えた味方にすがるような、あの瞳だ。
なにもいわなくても、その瞳からは「たすけて!」という強いメッセージをミーシャは感じる。
(くっ、なんだこの重圧。まさか魔女の邪眼?)
うるうる。
(くそっ。体が動かない。手足がしびれてきた。なんだか、魂が吸い取られる)
じいーっ。
(ああもう。そんな目で、アタシを見るなっ)
胸のあたりがきゅうっと締め上げられて、呼吸が浅くなる。
ドキドキという心臓の鼓動が激しくなって、全身が熱くなる。
エリサを守ってあげたい、保護したい。そんな気持ちが、ミーシャの心中にふつふつと沸き起こる。
ミーシャは、気力を振り絞り、緊張で乾いた唇を動かしてこういった。
「そ、そーなんだー。あははー。アタシは、気にしないからねー。そーゆーの」
ミーシャの言葉が意外だったのか、エリサはそれを聞いて目を丸くした。
錫杖を手放すと、ミーシャに駆け寄り、ひし、と掻きついた。
「っと?!」
エリサの顔が、すぐ間近にあった。自分の首筋に顔をうずめている。
ふんわりとした、花のような、蜜のような、甘い香り。
あったかい。やわらかい。アタシとは違う、オンナノコだ。
「あの、エリサ? だいじょぶ? どうしたの?」
エリサの両肩を抱きながら、ミーシャはちらりとエリサの様子をうかがった。
エリサは頬を紅潮させながら、ミーシャの顔をじっと見つめてきた。
エリサの桃色の瞳が、艶やかにうるんで、(宝石みたいだ)ミーシャはごく自然に、そう思った。
「ミーシャさん。ごめんなさい、ひとつだけ教えてください」
「なに?」
「Ĉu vi akompanos min por vidi la finon de la mondo?」
聞いたこともない言葉をささやかれた。だが、ミーシャの口は勝手に動き、
「kompreneble」
自分の意思とは無関係に、自分の知らない言語が口から転がり出た。
この異常事態に、頭の中が真っ白になったミーシャをよそに、エリサがミーシャの耳元で、吐息交じりのささやきを告げる。
「La kontrakto estis farita ĉi tie」
そして、
ふに。
何か柔らかい感触が、ミーシャの唇に触れる。
それは、エリサの唇だった。
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