第43話 異形の解放


「お、ここだ」


大きな牢獄の前で、夏樹がゆったりと立ち止まる。


夏樹とかがりは蛮と別れたあと、スマホで地図を見ながら薄暗い廊下を歩いていた。

ふたりとも地図を読むのが壊滅的に下手なのか、進んでは戻り、トラップにひっかかったり、警備員と鉢合わせしては逃げるのを繰り返していた。

その度に篝が抱えている熊のぬいぐるみに何事かを呟く。

すると空間から裂け目が現れ、そこに逃げ込むことでやり過ごしていた。



「ここまで来るのに大変だったなあ。

インディー・ジョーンズみたいに、

いくつものトラップを掻い潜って、警備員に捕まりそうになって、何度死にかけたか…」


やれやれと肩を竦める夏樹。


「夏樹、何もしてない。後ろで見てただけ。

全部、私がなんとかした」


篝が半眼でにらむ。


「えー、そうだったっけ?」


夏樹はへらっと胡散臭い笑顔を向けた。

その軽薄さとは裏腹に、目だけがどこか笑っていなかった。



夏樹は目の前の檻に向きなおる。


「さて、と」


その顔にはもう、笑みが浮かんでいなかった。

冷めた表情で檻を観察する。


檻の中は暗く、様子が伺えない。

扉には錆びついた錠前がつけられており、呪文の書かれた札が貼られている。

夏樹は錠前を手に取った。


古くボロボロの札を指先でなぞりながら、ぶつぶつと何かを呟く。

すると札が端のほうから黒く焼け焦げ、最後には炭になって落ちてしまった。

夏樹はそれを確認すると、犬神の虎徹に命じて、錠前を破壊した。


檻に手をかけ、扉を引く。


檻の中に一歩足を踏み入れると、人型の“それ”がいた。

壁に両手首を固定され、足には杭が打ち込まれ、胴体は鎖で縛り上げられている。


全身にびっしりと呪符が貼られ、表情が伺えない。

ただ、頭部と思わしき部分からは、角のようなものが二本生えていた。


人の形をしていながら、人ではない。



「やあ、気分はどうかな?」


夏樹はまるで、学校で友達に話しかけるように声をかけた。


「ぅヴヴヴ……」

獣のような低いうなり。


夏樹は小さく笑う。


「あれ。長いこと閉じ込められて、人の言葉、忘れちゃった?」


彼は事前に聞いていた話を少し思い返す。

――百年前。十三課の前身組織が封じた、悪鬼どもの頭領。


その成れの果て。


かつては言葉を操ったが、今は正気を失った憐れな怪物。


そいつは、じっとりと身体にまとわりつくような、禍々しい気配を発していた。


夏樹が近づくと、鬼の赤い瞳がゆらりと開く。

「……コ、ロス」


「よかった。喋れるじゃん」


夏樹は口元に笑みを張り付けながら鬼に近づく。

鬼の額に張られていた札に手をかけた。

そして、


――ぐしゃ。


と、札を握り潰すように破り捨てる。


「―――嗚呼ぁあ嗚呼嗚呼ぁあああ!!!」


絶叫。


鬼の咆哮が夜を裂く。

その声により地面がひび割れ、部屋全体が震えだす。

周囲のライトが赤く点滅し、警報が一斉に鳴り響く。


夏樹は「うるさ」と顔をしかめ、耳をふさぐ。


鬼が雄叫びを上げ、胴体を縛る鎖をちぎった。

次に足に刺さっていた杭を引き抜いた。

手枷を強引に引っ張ると、壁がガラガラと崩れた。

体中の傷口からは黒い霧が噴き出す。


夏樹はその様子を眺めながら、嗤っていた。


「あはは、やば」


目を見開き、興奮した様子で、鬼を見上げる。


「行けよ。

お前を閉じ込めた奴らに、報いを受けさせろ」


夏樹の目は仄暗く、笑みを含んだ声は心底愉快そうだった。


檻の外で、その光景を無表情に眺めていた篝が、クマのぬいぐるみを顔の高さまで掲げる。

そして、クマの手をにぎり、ふるふると振った。


「鬼さん、いってらっしゃい」


その刹那、

空間に裂け目が現れ、鬼が消える。


周囲はしんと静まり返り、警報が止まった。



だがすぐに、遠くで職員たちの悲鳴があがる。


夏樹と篝は、その声が響き渡ったのを聞き届けると、

誰もいない廊下に足音を響かせ、薄暗い非常灯の中を歩き出した。


「――さあ、俺たちの世界の始まりだ」

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ブラッディ・チェイサー 猫山はる @haru-neko

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