ブラッディ・チェイサー

猫山はる

第一章 吸血鬼編

第1話 目覚め

 ——ここは、どこ?




ぼんやりとした意識の中、最初に目に入ったのは、アンティーク調の照明と古い木の天井だった。

そして芳しいコーヒーの香りが部屋全体に満ちていた。

ゆっくりと身体を起こす。身体が鉛のように重い。どうやら古びた革張りのソファで眠っていたようだ。

視界に入るのは、くすんだ木目のカウンターと、飴色のステンドグラス。

レトロな喫茶店のような場所で、私は目覚めた。


「……誰か、いるの……?」


声が掠れていた。

喉が、焼けるように渇いている。

ひどくお腹が空いている。

でも、それ以上に自分の置かれた状況が理解できず困惑していた。



自分の体へと視線を落とす。

高校の制服――黒地に白襟のセーラー服を着ている。

体には、深緑色のコートが掛けられていた。

明らかに自分のものじゃない。

男物だ。なぜか見覚えがあるような気がした。

誰かが、ここに私を寝かせた?


テーブルには、冷めたコーヒーと、金色の懐中時計がぽつんと置かれていた。懐中時計には見覚えがあったが、持ち主が誰か思い出せない。

手にとって緻密な細工が施された表面を撫でる。

次に、コーヒーに視線を移す。薄青色の蔦の模様が入った上品なカップとソーサーが置かれている。

私が目覚めたら飲むようにと誰かが置いたのだろうか。

コーヒーの香りが、やけに濃く甘い。


不審に思ったが激しい喉の渇きに抗えず、誘われるようにカップを持ち上げ、ひとくち飲む。

 ——途端に、喉の渇きが少しだけ引いた。


「……これ、何……?」


心の奥で警鐘が鳴るのに、体が勝手に次の一口を求めていた。

何かおかしい。けれど、心地いい。

今まで飲んだどの飲み物よりもおいしく感じた。


(コーヒーの中に、何か混ざってる?)



とても濃厚で、バターのようでいて、果実のように甘く爽やかな香りがした。

コーヒーを飲み干し、周囲を見回した。



外は夕方。

懐中時計の時刻は午後17時を指していた。

飴色のステンドグラス越しに、赤い陽射しが差し込む。

その光にそっと手を伸ばした瞬間——


「……痛っ」


肌がじりじりと赤く焼けたような感覚。

慌てて手を引っ込める。


(なんで……)



腕は火傷のように赤く腫れていた。しかし、ものの数秒でその傷あとはきれいに治ってしまった。

信じたくない。

けれど、疑う余地もない。

私の身体に起きている異変は——人間のそれではなかった。



必死に記憶をたぐり寄せようとするたびに、頭の奥が心臓の鼓動に合わせてどくどくと痛む。

浮かぶのは、橙色の照明に照らされた、誰かの背中。



今にも消えてしまいそうな、どこか寂しげな雰囲気。

深い後悔と、悲しみが同居しているようだった。


でも——

顔が、思い出せない。

まるでもやがかかったように、どうしても。


『僕を許さなくていい。ただ——』



悲しむような慈しむような声だけが、やけに鮮明だった。


 彼は、誰——?


 ——ギィィ……


扉の鈍い開閉音がした。

誰かの気配を感じた気がして、振り返る。

カウンターへの入り口の扉がゆらゆらと揺れていた。

……でも、そこには誰もいなかった。


あたりは、静寂だけを湛えていた。





声の主が誰だったのか、私にはもうわからない。

でも、ひとつだけ確かなのは——

私はもう「普通の女子高生」ではないということ。

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