2050年の僕らが、データを捨てた日

@jaispark

第1話 僕らの出会いと、この世界の始まり

 2048年、4月。東京未来学園の入学式は、澄み切った青空の下、無機質な静寂の中にあった。僕たちの腕に巻かれたライフログ・バンドは、朝の光を受けて静かに輝き、一人ひとりのパフォーマンス予測や信用スコアを、無言のうちに映し出している。お金という概念が消滅し、個人の行動データが価値の源泉となる「データ資本主義」が浸透した社会において、このバンドは僕たちの存在証明そのものだった。歩く、話す、考える、そのすべてがデータとして記録され、僕たちの未来を形作っていく。これは、成田悠輔氏の思想に基づく、社会システムの根本的な転換が実現した世界だった。




 講堂に集まった新入生たちは、皆一様に真新しい制服に身を包み、未来への期待と、データに支配されることへの漠然とした不安を胸に抱いていた。僕、ハルトもその一人だ。僕のバンドが示す今日の「幸福度スコア」は85点。入学式の緊張と、新しい生活への期待が入り混じった、ごく平均的な数値だった。しかし、僕は知っていた。このスコアが、僕の心のすべてを映し出しているわけではないことを。


 僕の隣に座るミナミは、腕にバンドを巻いていない。彼女の腕には、代わりに祖母から受け継いだという、古い銀色のブレスレットが光っていた。この時代には珍しい、紙の小説を愛する彼女は、データに縛られることを何よりも嫌う。「AIが描いた物語なんて、読んでも面白くないよ」、そう言って、彼女はいつも、古い本に夢中になっていた。そんな彼女の横顔を、僕は時折盗み見る。僕のバンドがそのたびに心拍数の上昇を記録し、「恋愛スコア」をわずかに押し上げていく。アルゴリズムが僕たちの相性を分析するたびに、僕は胸の奥がざわつくのを感じていた。


 少し離れた席には、ハヤトがいた。サッカー部のユニフォームに身を包んだ彼は、入学式が始まる前から、真剣な表情で腕のバンドを眺めている。「ハヤト、今日のコンディションは92点。パスの精度を3%向上させるためのメニューを提案する」。バンドから聞こえるAIの声に、ハヤトは静かに頷く。彼は、カントクAIの指示を忠実に守り、日々「サッカー・スコア」を上昇させることに心血を注いでいた。完璧なデータサッカーを実践する彼は、データ至上主義のこの世界で、まさに模範的な存在だった。


 しかし、そのハヤトとは対照的な存在もいた。同じくサッカー部に入部したリョウマは、式の最中にも関わらず、ぼんやりと天井を眺めている。彼のバンドは、おそらく「集中力低下」と警告を発しているだろう。彼は、カントクAIが「無駄な動き」と判断するような予測不能なプレーを好み、アルゴリズムが描く完璧な世界を「面白くない」と一蹴する。彼のような「ノイズ」こそが、この世界の均衡を乱す存在なのかもしれない。


 そして、そのリョウマの隣には、アオイとハルキがいた。彼らは、AIが「騒音」と判断するような不協和音と予測不能なリズムで音楽を奏でるバンド「ノイズ・ドリフト」を組んでいる。ライブハウスの予約もままならない中、彼らは仮想空間「ネオ・トーキョー」での活動に活路を見出そうとしていた。アオイのバンドが示す「クリエイティブ・スコア」は、時にAIの評価によって急降下し、彼らの生活を脅かす。それでも彼らは、データに縛られない「自分たちの音」を追求し続けていた。



 僕たちの後方には、体操部に入部するアヤカがいた。彼女は、膝に巻かれたサポーターを、制服のスカートで隠すようにして座っている。2年前に右膝の前十字靭帯を断裂し、アスリート・スコアは急降下した。主治医のAIは「選手生命は断たれるだろう」と厳しい現実を突きつけたが、彼女は諦めなかった。データに現れない痛みや恐怖と闘いながら、彼女は再び、オリンピックという星を目指していた。


 入学式は、やがて終わりを告げた。講堂を出た僕たちは、それぞれの未来へと向かって歩き出す。データに縛られることに疑問を持つハルト。古いものを愛し、データに縛られない恋愛を夢見るミナミ。データ至上主義のハヤト。予測不能なプレーを愛するリョウマ。AIに抗うバンドマンのアオイとハルキ。そして、怪我を隠して練習に励むアヤカ。それぞれの価値観が交錯する中で、僕たちの未来への第一歩が始まった。


 この物語は、データとアルゴリズムが支配する世界で、自分たちの「踊り」を求め続ける少年少女たちの、ささやかな反逆の記録だ。僕たちは、これから何を見つけ、何を失い、どんな未来を創っていくのだろうか。僕たちの青春は、始まったばかりだった。

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