2050年、僕たちの「踊り」の記録
@jaispark
第1話
2050年、僕はまだ17歳だった。僕の腕に巻かれたライフログ・バンドは、朝の光を反射して青く光っている。
「おはようございます。ユウキさん。本日のコンディションスコアは92点。推奨される朝食メニューは、大豆ミートのソテーとプロテインスムージーです。昨夜の睡眠データから、今日の学習効率を最大化する組み合わせを提案します」
冷蔵庫のドアに埋め込まれたAIアシスタントが、滑らかな合成音声で僕に話しかける。僕は迷うことなく、その提案を受け入れた。大豆ミートのソテーは、口に運ぶとわずかにゴムのような食感があるが、タンパク質の含有量は最適化されている。プロテインスムージーは、甘さがちょうどいい。
僕は、これまで一度もAIの提案を断ったことはなかった。それは、僕のライフログ・バンドに記録される**「信用スコア」**を、常に最高の状態に保つためだった。信用スコアが高ければ、スーパーで食料品を買うときも、電車に乗るときも、あらゆる場面で優遇される。逆に、スコアが低いと、同じものでも高い対価を払わなければならない。いや、「対価」という言葉はもう古い。お金はもはや、この社会に存在しない。
僕たちは、自身の行動データ――食事の好み、読んだ本、誰とどんな会話をしたか、さらには心拍数の変化や脳活動の記録――その全てを「資本」として生きている。
僕のバンドのデータは、クラスの中でも常に上位をキープしていた。学校の成績はもちろん、ボランティア活動への参加率、SNSでのポジティブな発信量、そして「創造性スコア」も平均を上回っていた。僕は、アルゴリズムが描く「模範的な高校生」を、忠実に演じていた。演じているという自覚は、ごく最近になって芽生え始めたものだ。
通学中のホバーリングバスの中で、僕は窓の外を眺める。街頭の巨大なホログラム広告では、国民的インフルエンサー「ライ」が、まるで天使のように宙を舞っていた。彼のバンドのデータは、過去最高記録を更新したと表示されている。彼の「踊り」――つまり、彼の生活そのものが生み出すコンテンツ――が、どれだけ多くの人々に影響を与え、社会に貢献したかを示す数値だ。
僕は、ライのような「逸脱」した天才ではない。アルゴリズムが示す地図の上を、ただひたすらに歩くだけの凡人だ。そう思っていた。
学校に到着すると、クラスメイトたちが教室の大型ディスプレイの前に集まっていた。画面には、今日のアルゴリズム民主主義の最新版が映し出されている。
「本日決定された政策は、『高齢者のライフログデータを用いた医療・福祉サービスの最適化』です。この政策は、国民の無意識データから導き出された最も効率的かつ公平な解決策として、99.8%の市民から支持されています」
ディスプレイに映し出されたのは、人間の政治家ではない。それは、人間のような顔をしたAIアシスタント**「ポリティカル・ゴースト」**だ。昔は人間が政治家をやっていたらしいが、今はもう、アルゴリズムの決定を読み上げるだけの「マスコット」だ。
僕は、その説明を聞きながら、隣に立つ少女の横顔を見つめた。
ミオは、僕の幼馴染だ。彼女の腕にも、もちろんライフログ・バンドは巻かれている。だが、そのデータはいつも安定していなかった。ある日は驚くほど高いスコアを叩き出すかと思えば、次の日には急降下している。彼女は、AIの提案に逆らって、毎日違う服を着て、奇妙な歌を口ずさんでいる。
彼女のバンドは、僕のとはまるで違う光を放っているように見えた。それは、アルゴリズムが予測できない、制御できない、不安定な光だ。
「ねぇ、ミオ」
僕が声をかけると、彼女はディスプレイから僕に視線を移した。その瞳は、まるで遠い宇宙を見ているかのように澄んでいた。
「なに、ユウキ」
「今日の授業、どれぐらい夢中になれると思う?」
僕は、思わずそう質問していた。学校の授業は、一人ひとりの学習レベルに合わせて最適化されている。教科書や宿題はなく、タブレットが個々の興味や能力に合わせて最適なコンテンツを提示してくれる。だから、授業中に眠くなることも、退屈することも、ほとんどない。アルゴリズムは、僕たちから「退屈」という感情を奪い去った。
ミオは、少し考えてから、僕にこう答えた。
「さあね。だって、AIが決めた授業なんて、しょせんAIの最適解でしょ? 夢中になるのは、いつも私が自分で見つけたものだけだもん」
その言葉は、僕の胸の奥深くに突き刺さった。僕は、彼女の言う「自分で見つけたもの」が何なのか、ずっと気になっていた。
放課後、僕はミオに誘われて、放課後特別教室へ向かった。そこは、普段は使われない、古びた体育館だった。ミオは、僕に何も言わず、ただまっすぐに体育館の真ん中へ歩いていく。そして、唐突に、踊り始めた。
彼女の動きは、流れるように滑らかでありながら、どこかぎこちなく、不規則だった。それは、ホログラム広告で見るライの完璧なダンスとは全く違う。音楽に合わせて踊っているわけでもない。まるで、自分の中にだけ聞こえる音に合わせて、体を動かしているようだった。
僕は、ただ呆然と彼女のダンスを見ていた。その時、僕は無意識のうちに、彼女の動きに合わせて、右手を少し上げた。そして、左足で地面を軽く蹴った。ほんのわずかな、無意識の動きだった。
その瞬間、僕の腕のライフログ・バンドが、これまでにないほど強く光り輝いた。
「…何これ」
僕は、自分のバンドのデータに目を落とした。そこには、今まで見たことのない数値が表示されていた。「創造性スコア:1089」。通常時の僕のスコアが平均300程度であることを考えると、これはありえない数字だった。
その時、ミオが僕の元へ歩み寄ってきた。
「見てたでしょ?」
彼女はそう言って、にこりと微笑んだ。その笑顔は、僕が今まで見てきたどんな顔よりも、眩しく輝いて見えた。
この瞬間、僕の「模範的な日常」は、音を立てて崩れ去った。そして、僕の知らないところで、僕のデータは、新しい「踊り」を始めていた。
僕のバンドが示した異常な数値は、一時的なバグだと思った。しかし、その夜、僕のスマートフォンが鳴りやまない。SNSの通知、企業のコラボレーションオファー、そして見知らぬ人からのメッセージ。すべてが、ミオのダンス動画に僕が映り込んだ、わずか数秒の映像をきっかけとしていた。
「あの動き、すごい。無意識の逸脱って感じ」
「AIが生成した模範的なダンスとは全然違う。新しい時代の予感だ」
「ユウキっていう名前のこの子、もしかして…」
僕の行動履歴はすべて公開されている。だから、僕がどんな人間で、どんな生活を送ってきたか、誰もが知っている。これまで「完璧な優等生」だった僕が、ミオという「予測不能な存在」と交わった瞬間、僕のデータは「逸脱」の可能性を秘めたものとして、アルゴリズムに評価されたのだ。それは、僕の意志とは無関係の、純粋なデータとしての評価だった。
翌日、僕はミオに問い詰めた。
「あの動画、どうして僕を映したんだ?」
「だって、ユウキが一番面白かったから」
ミオは悪びれる様子もなく、そう答えた。
「面白かったって…」
「だって、ユウキはいつもAIの言う通りに動いてる。でも、あの時だけは違った。AIの予測を超えた、ユウキ自身の動きだった」
ミオの言葉は、僕の胸に深く突き刺さった。僕はこれまで、自分の意志で動いていると信じていた。しかし、実際はアルゴリズムという見えない鎖に繋がれた操り人形だったのかもしれない。ミオは、その鎖を断ち切るように、僕に新たな選択肢を提示した。
「ねえ、ユウキ。一緒に『ネオ・トーキョー』に行ってみない?」
ネオ・トーキョー。それは、現実の東京を模倣した仮想空間だ。現実世界とは違い、そこでは身体の制約も、お金という制約も、すべてが解き放たれている。僕は、ミオに連れられて、初めてネオ・トーキョーへと旅立った。
VRゴーグルを装着すると、目の前には現実の東京よりも鮮やかで、色彩豊かな街が広がっていた。空には奇妙な形をした建物が浮かび、人々は重力に縛られることなく空を舞っていた。そして、皆が思い思いの姿で、それぞれの「踊り」を披露していた。
僕たちは、ネオ・トーキョーの中心にある「クリエイターズ・スクエア」へと向かった。そこでは、様々なクリエイターたちが自作の映像や音楽、アートを発表していた。その中には、車椅子に乗った現実の体を持つ少女が、仮想空間では華麗なダンサーとして活躍している姿もあった。
「彼女はイベリン。難病を抱えていて、現実世界ではほとんど外出できないんだ」と、ミオが教えてくれた。
イベリンのダンスは、僕が今まで見てきたどんなものよりも、美しく、そして力強かった。彼女は、仮想空間というもう一つの物差しの中で、彼女自身の「踊り」を見つけていたのだ。
僕のバンドの「創造性スコア」は、ネオ・トーキョーに入った瞬間から、再び急上昇し始めた。この空間での「逸脱」した経験が、アルゴリズムに「価値あるもの」として評価されたのだ。
ネオ・トーキョーでの時間は、僕の価値観を根本から揺さぶった。僕は、いかに自分が狭い世界に閉じこもっていたかを知った。アルゴリズムの提示する「最適解」は、決して僕自身の「最善」ではなかったのだ。
現実世界に戻った僕は、これまでのようにアルゴリズムの指示に従うことをやめた。朝食は、AIの推奨メニューを無視して、冷蔵庫の奥に隠されていたインスタントラーメンを選んだ。登校は、ホバーリングバスを使わず、敢えて少し遠回りして歩いてみた。学校の課題も、効率的な方法ではなく、敢えて手書きでノートにまとめるという非効率な方法を試した。
僕の行動は、周囲から奇異の目で見られるようになった。
「ユウキくん、どうしちゃったの?」
「最近、信用スコアが急降下してるって聞いたよ」
「親御さんも心配してるんじゃない?」
僕のバンドの信用スコアは、見る見るうちに下がっていった。朝食にインスタントラーメンを選ぶと、その食品の価格は通常の2倍になっていた。遠回りして歩くと、交通費は通常の1.5倍になった。アルゴリズムは、僕の「逸脱」を「不合理な行動」と見なし、僕に経済的な不利益を与えた。
しかし、僕はもう、それを気にすることはなかった。信用スコアが下がるたびに、僕は自由になっていくような気がした。
そして、僕はミオに、一つの提案をした。
「僕たちで、パフォーマンスをしないか」
「パフォーマンス?」
「うん。僕たちのダンスを、現実世界と仮想空間、両方で披露するんだ」
「面白そう!」
ミオは、目を輝かせて賛成してくれた。
僕たちのパフォーマンスは、学校の体育館とネオ・トーキョーのクリエイターズ・スクエアで同時中継された。僕は、これまで抑え込んできた自分の中の感情を、すべてダンスにぶつけた。ミオは、僕のダンスに合わせて、自由に、そして大胆に踊った。
僕たちのダンスは、決して洗練されたものではなかった。しかし、そこには、アルゴリズムの支配から逃れようとする、僕たちの純粋な情熱が満ち溢れていた。
パフォーマンスが終わった瞬間、僕の腕のバンドが再び光り輝いた。信用スコアは、過去最低を記録していた。しかし、創造性スコアは、前回の比ではないほどの急上昇を見せた。
「逸脱」から生まれた新たな価値。それが、この世界の新たなルールだった。
僕たちは、もうアルゴリズムの評価を気にすることはなかった。僕たちは、自分自身の「踊り」を見つけたのだ。それは、誰かに見せるためのものでも、誰かと比べるためのものでもない。ただ、僕たちが僕たち自身であるために、僕たちが「夢中」になるために、必要なことだった。
物語は、ユウキとミオが、新しいダンスを創作する場面で終わる。彼らの「踊り」は、これから始まる新しい時代の「逸脱」の象徴となるだろう。お金が消滅し、データが資本となった世界で、僕たちは僕たち自身の「踊り」を見つけ、僕たち自身の人生を歩み始めた。それは、ディストピアでもユートピアでもない、僕たち自身の未来だった。
2050年、僕たちの「踊り」の記録 @jaispark
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます