女騎士団長と赤眼の魔術師
朔樂
第1話 序章
「…これはこれは。ジャンヌ・アルストロメリア騎士団長殿ではないですか」
天幕のカーテンをまくり入ってきた人物に、やけに恭しく名前を呼ばれた女性─ジャンヌは、いうことの聞かない自身の首をかろうじて持ち上げた。
息が上がり、身体が重い。
動けないのにやたらと暑くて、なのに凍えているように手先が震えてしまう。
この症状は─
「…魔力枯渇をおこしていらっしゃる」
「─!」
「珍しいですね、貴女ほどの方が。
今回の討伐はそんなに大変でした?」
ジャンヌが言い当てられて息を飲む間に、カーテンを降ろして完全にこちらへ入ってきた彼─ライル・アランジュの口ぶりは全てを見透かしているようで、反射的に否と言ってしまいたくなるが、今のジャンヌにはその気力もない。
普段なら極力関わらない、自分とは相容れないタイプの男だとは知っているが、弛緩した身体がこの男の天幕に倒れ込んでしまった以上、彼に助けを願うしかないのだ。
かわいた喉で一度むりやり唾液を飲み込むと、ジャンヌは声を絞り出した。
「夜分、にす…まない、貴殿の…言うとおり…だ」
「…」
「、ハァ、厚か、まし…のは、承知だが、聖水を…お持ちなら」
「ここには有りませんよ」
にべもない言葉が、殊更柔らかく告げられる。
「それに、貴女の症状はすでに聖水で補える域ではありません」
「っ」
「貴女ほどの方なら、お分かりだったのでは?」
しゃがみこみこちらと目線を合わせて、残酷な言葉とは裏腹に子どもに言い含めるような優しい口調で告げる。
「だってこの私に聖水は必要ありませんから。用意しようもありません。
貴女が本当に目当てにしているのは…他のものではないですか?」
覗き込んでくるその双眸は、真紅だ。
赤い眼はこの世界で最高の魔力量を持つ証。
窓からの月の光を取り込んで、ルビーのように煌めくそれに、ジャンヌは魅入られた。
魔力をもつ人間がその魔力を使いすぎると、『魔力枯渇』という症状を起こす。
軽ければ空腹になる程度だが、深刻な状態になれば息苦しさ、目眩、発熱を引き起こし、最悪には死にまで至ってしまう。
それを治す為に一般的なのは魔力含有の多い食材を食すこと、食事が難しい場合は魔力を凝縮した聖水を服用することだ。
ただし一般的ではないが、もっと即効性があり、また重度の魔力枯渇を治す方法もある。
それは「己より魔力を持つ相手の体液を摂取する」こと。
紅い双眸がジャンヌへ言外に問うているのは、その第3の方法なのだ。
確かに、至近距離で匂い立つようにライルから発されている魔力を感じ、魔力値が悲鳴をあげているジャンヌの身体は意思に反し磁石のように引き付けられてしまっている。
だが、ジャンヌは崇高なる騎士だ。
『白薔薇の騎士団』の、誉れある騎士団長を戴いている彼女が、己の意志を曲げるわけにはいかなかった。
「…そ、ぅか。…じゃま、をした」
「─!おい、」
震える脚に無理矢理力をこめて立ち上がる。天幕中央の支柱に手をつき体を支えながら、よろめき歩き出した。
ライルのいうとおり、一般摂取量の聖水の小瓶では間に合わないと思う。それなら人体が受けつける最大量まで飲んでみるしかない。
どうにか医務用の天幕までたどり着けるだろうか、どちらの方向だったか───
朦朧とする意識を叱咤して考えを巡らせていると、柱からずり落ちた手を取られた。
「死ぬぞ。魔力枯渇を舐めるな」
そのままぐんと後ろに引かれ、慣性で身体が回る。ライルのもう一方の腕で腰をぐっと支えられた。
怒っているみたいだ、と、何が起きたか処理に遅れるジャンヌは先にそう感じた。そのあとで引き止められたのだと理解し、弱々しい力でライルの肩を押し返す。
「いや、貴方を、わざわざ…傷つけて、血をもらう、わけに」
「血?…あぁ、そんなものより僕も貴方にも有意義な方法がありますよ」
「…?なに、っん!」
真剣な顔から、元の胡乱げな微笑みに戻ったライルの申し出を聞き返そうとしたジャンヌの唇が、彼に塞がれた。
口付けされていると認識する前に、湿った温かいモノが口内に侵入してくる。
舌だ。
その舌は反射的に引っ込んだジャンヌの舌を絡め取って引っ張り出し、擦り上げ、勝手知ったるというようにあらゆるところを舐っていく。
「ンう、ふ……っん!…っは」
(なる、ほど…唾液も体液、か)
どちらのものとも分からない唾液が口の端から溢れそうになったあたりで後頭部に手を差し込まれ上を向かされた。
反射的に嚥下し、思い出したように息継ぎをする。確かに血液でなくても、かきむしるような飢餓感は少しマシになった気がする。
ただ、頭は更に熱に浮かされたようになった気がするがーーー
「ーーきゃ!」
思考が定まらないうちに、体にも浮遊感を感じ思わず声が出た。何かと思えばライルが彼女を横抱きに持ち上げ、そばの簡易的な寝台に運ぼうとしている。
「思いのほか、可愛らしい声が出るんですね」
「っ何を」
「でもなるべく抑えて。僕の天幕は他と離れていますが、誰かに万が一聞かれても困るでしょう?」
仰向けに寝かされ、その上にライルが跨ってくる。普段なら体術でやすやす躱せるはずなのに今ばかりはできそうにない。
「魔力の源は丹田と云われています。そして女性は近いところに特有の臓器を持っている。魔力量の多い人間に女性の割合が多いのもその為という説がありますね」
魔術学院で教わるようなことを説かれているのに、その掌は妖しくジャンヌの下腹部を撫でる。
なぜかゾワゾワとした感覚が、背中から項を駆け上がっていった。
「ココに直接、僕の体液を注ぐのがいちばん即効性と効果が高い方法です───どうしますか?」
このまま放置すれば命も危ういジャンヌには選ぶ余地などない。
人を傷つけず、女としての矜恃や恥を捨てるだけで命が拾えるなら安いものだと思う。
あとはただ一つ確認しておきたくて、彼女は不躾と思いながら質問を質問で返した。
「…貴殿には、恋人や、婚約者は、おられない…だろうか」
目の前の男の表情が、その問いですとんと抜け落ち。
「………ははっ」
そして思わず湧き上がったというように純粋に笑った。
「そのような相手は生憎おりませんね。
貴女はそういったことは考えず、あとはただ───気持ち快くなればいい」
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はじめまして。
よろしくお願い致します。
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