第29話 見えてきたもの

「よし。決めた」

 封鎖された河川敷を見ていた三人は、思い出に浸っている。ひとしきり思い出を眺めた後で、洋次は何かを決断し、立ち上がった。

「お前のために小さいけど練習場を作る」

「えっ?」

 二人は同じような声を上げた。彼が急にそんなことを言い出すので驚いたが、彼はこう話した。

「うちは会社の敷地が無駄に広い。そこに俺がブルペンを整備する」

「え? そんなこと……」

 さすがにそれは、と鷹助は思った。

 確かに練習場がなくなってしまって困ってはいるが、そこまでしてもらうのは気が引ける。労力も金もかかるだろう。細かくわからなくとも何となくそれは理解している。

「大丈夫。うちの若い連中にも草野球やってる奴がいてな。ちょうどそいつらにも練習させてやりたかったんだ。福利厚生の一環でやつだ」

 福利厚生というのが何なのかは彼らにはわからないが、もののついでということは伝わってきた。

「完成したらやる気のあるやつを連れてきていい。バントの練習くらいはできるようにしておく」

「あ……ありがとうございます!」

「ありがとうございます!」

「少し時間はかかるが、二週間で完成を目指す。しばらく待っててくれ。それまでしっかり練習しろよ?」

「はい、ありがとうございます。今よりもっといいピッチャーになります」

 頭を下げる鷹助を見て、洋次は微笑む。

「よし。じゃあ俺は帰る。二週間くらいしたらうちの会社を覗きに来い。待ってるぞ」

 そう言って洋次は堤防を反対側に降りて行った。

 残った鷹助と友希は、二人で話をしていた。

「寺井のおじさん、ここまでしてくれるなんてほんとうにありがたいね。マジでいい人だね」

「そうだな……申し訳ない気もするけど、してもらうからにはもっと頑張らないと」

 と言って、鷹助はスマホを取り出した。

「俺、どんなピッチャーになりたいか決めた。これ見て」

 鷹助はこの間見つけた棚橋というピッチャーの動画を友希に見せた。友希はそれを食い入るように見て、「はや!」と呟いた。

「アンダースローの速球派のピッチャーならそう簡単に打たれないんじゃないかって思って」

「こんなの簡単には打てないでしょ。門前さんでも空振りするよ」

「だろ? こんなピッチャーになりたい」

 鷹助はそう言いながら、楽しそうに笑っている。

 友希は、彼と出会ってからずっとこの笑顔を見てきた。

 彼は今、父親のために甲子園に行きたい、そして因縁の相手にも勝ちたいと言って野球をやっているが、その根底には野球が好きという純粋な気持ちがある。昔からそれはずっと変わらない。野球をやっている時の鷹助は本当に楽しそうなのだ。

 この笑顔があったから、彼女は彼のそばに居続けられた。これからも居続けたいと思える。

 友希はどんなことがあろうと彼をそばで支えてこの笑顔を守る、そう心の中で決意していた。


 具体的にどうなりたいかを決めた鷹助は、翌日の練習でそれを士郎や優心に打ち明けた。彼らはその話を聞いて、納得をしていた。

 希少さをさらに上げれば、一発勝負のトーナメントでは優位になる。

 例えば……アンダースローで150キロのボールを投げられれば、それを再現できる打撃マシンなければピッチャーもいない。試合でしか実際に見ることができないということは、それは大きな武器になる……ということが言える。

「今よりカーブが生きるし、高めの球もより伸びていくだろうな」

「うん。いいアイディアだと思う。今でも球が速いから、長所を伸ばしていけばいいね」

 彼らの賛成は得られたが……そこからが問題だ。

 それは、具体的にどんな方法で練習をしていくか、である。

「あとはどんなふうにそれを伸ばすかだな。目標があった方がいいんじゃないか。例えば目標の球速を設定する、とか」

「そうだね。冬野が言ってた棚橋って選手、そこが一つ目標かもね」

「……」

 鷹助はしばらく考えた。

 動画で見た棚橋選手の最高球速は、大学時代に計測した146キロ。とてつもない数字だ。かつてそんな数字を記録したアンダースローの投手はいない。

 これは生半可に考えても達成できる数字ではない。オーバースローなどの球速が出やすい投げ方でさえ高校生では140キロ前後がほとんどで、ドラフトにかかる選手でようやく150キロ手前ぐらいの選手がいる程度だ。

 だが、そうやすやすと彼は諦めない。彼ははっきり口にした。

「150キロを投げたい」

「お……150か……」

 アンダースローでは突拍子もない数字だ。それを聞いた二人は、思わず唖然とした。

 しかし、否定はしなかった。彼は現時点で130キロを投げている。しかも、自力でそこまで上り詰めたのだ。ありえないことではない、と思わせるだけの努力を彼は積み重ねている。

「なら、具体的にどうやるか、だな。もちろんやらなきゃならないのはそれ一つだけじゃない。フィールディングや球種も増やしつつだ。できるか、冬野」

 士郎の問いに、鷹助はすぐに頷く。

「……オーケー。なら今後はもっと球を速くすることを考えて行こう。今日はスライダーを練習するぞ。優心、いくつか投げ方を教えてやってくれ」

「はいよ」

 梅雨も明けて、空は晴れ渡って蒸し暑くなってきている。彼らは甲子園に出るという目標のため、うだるような暑さの中でも、精一杯の練習を続けていくのであった。


 自主練で使っていた河川敷が使えない間、鷹助は練習として走り込みをしていた。友希は不必要そうな体型なのにダイエットがてらとそれに付き合って伴走してくれたが、すぐに挫けて自転車に乗って追いかけ回してくるようになった。

 そしてランニングが終わると、すぐに鷹助は棚橋選手の動画を見る。幸い、参考にできる動画には困らない。野球好きはどこにでもいて、調べてみればたくさんの動画で溢れかえっている。

 彼が最も現在注目しているのは、練習中の新球種、スライダーの投げ方だ。

 動画にはスロー再生のものもある。その中には、スライダーを投げている時の動画もあった。棚橋選手がどんなふうにスライダーを投げているかを参考にしようと彼は考えていた。

 そして何日か考えて迎えた練習の日、投球練習の時に優心の教えてくれたスライダーの投げ方と、自分で学習したスライダーの投げ方の両方を試した。

「今のスライダーよく曲がった。こっちの方があってるかもな」

 両方試した結果、士郎のお墨付きは優心から教わったスライダーであった。手首の向きをスローカーブと同じようにし、最後に指先で切るようにして投げる方法だ。変化しない棒球になる時が多くあるが、こちらの方が曲がった時の曲がりが良く、習得まで継続して練習することになった。

 そして自分で学習したほうはと言えば……。

「全く変化しない。何にもない」

 受けていた士郎が言うまでもない。鷹助自身がそれをはっきり分かるほど、ボールはなんの変化もしなかった。

「回転の変わったストレートだな」

 士郎が率直な感想と一緒にボールを投げ返す。

「全然ダメですね」

「スライダーとしてはな。ただ……使い道はあるかもしれん」

「使い道ですか」

 士郎はこの球を見て、あることを考えた。

 球速はほとんど速球と同じだ。彼の言うように、速球の回転が変わっただけで、なんの変化もしないボールだ。

 しかし、何の変化もない、というのが肝である。

「シュート系のボールにもなってない。落ち幅もかなり少ないから……逆にいいかもしれない」

 このボール、変化をしていない。通常の速球は投げ方の問題で、ややシンカー気味のシュートという変化をするが、それすらなく、さらには落ちていく幅もかなり少ない。まっすぐにミットに吸い込まれてくるように感じられるボールだ。

 士郎はそれが一つの武器になるのではと考えていた。隣で練習していた優心に右打席に立つように促して、そのボールを要求した。

 士郎の要求は、真ん中高め。ミットが優心の肘あたりに構えられた。鷹助はそのボールを士郎のミットめがけて投げた。 

 優心は本番の打席さながらにタイミングを取った。ボールは真ん中高めへ風を切る音共に向かってくる。

「……お!」

 優心はバット持っていないがバットを振るような動作をした。それをした後で、彼は今のがバットを持っていても空振りだったと確信していた。

「空振りだ。いつもより少しボールが伸びてく感じがした」

 そう感じたのは、このボールがただの速球とは少し違う回転をしていたからである。

 リリースの瞬間、ボールの中心をひっかくようにリリースしたわけではなく、人差し指の親指側でボールの下側を横方向に向かって切るようにリリースしていた。これによってボールはキャッチャー方向に回転軸を持つボールとなっていた。いわゆる、「ジャイロボール」である。

 ジャイロボールは、発射されたピストルの弾丸のように回転する。その回転では空気抵抗がすくなくなると言われ、バックスピンでの速球ほどの「伸び」はないが、手を離れてからミットに収まるまでの落ち幅が少ないため浮き上がるように見える、と言われている。

 アンダースローの投手はボールを地面近くでリリースする。足元から頭付近へ向かい上がっていくような独特の軌道を描くが、そのジャイロ回転が加わることでより伸び上がっていくような感覚をより打者に与える可能性を秘めていた。

「冬野! 今のボール、武器になるかもしれない。投げ方覚えておけよ!」

「……! はい!」

 自分の思った通りに実らなくとも、努力はこうして思わぬ副産物を産むこともある。このボールもまだまだ精度をあげなければならないだろうが、彼は紆余曲折しつつ追い求める姿へ着実にステップアップしていくのである。


 鷹助がなりたい姿を思い描き、洋次が裏で練習場を作っている中、草薙高校の野球部では課題を克服する努力が続けられている。

 それは、攻撃である。

 神宮学園戦でもすでにわかった通り、得点力の弱さが課題となった。甲子園に出るにはドラフト確実と言われるエース立山から点をとって勝たねばならない。さらにその過程では、大会屈指の好投手と何度も対戦するだろう。

 守りきる能力も当然大切だが、得点をいかにして取るかということも勝つ上で捨ててはおけない。どれだけ守り切っても、最後には一点が必要になる。あの試合で辿り着けなかった「1」

に辿り着くための課題克服だ。

 選手たちは夏休みを利用し、グラウンドの使用に制限がある中で精一杯の努力を続けていた。今日はグラウンドが使えるためケースバッティングをしているのだが、やはり簡単ではなかった。

「うお! 無理無理!」

 彼らは今、ワンアウト一、二塁というところからどう攻めて行くかという練習をしている。バントだけは禁止という制限付きである。

 この制限は、青嶋があまりバントを好んでいないということもあるが、投打ともに配球を考えるというところを意識しての練習である。

 このケースでは、最低限ランナーの進塁が求められる。特に成功しやすい打球方向は、一塁方向への打球。右打者は流し打ち、左打者は引っ張りである。ただし、バントができないためゲッツーの網にかからないようにする必要があるが……右打者の二年生、軽木光清は優心の執拗なインコース攻めに遭い、いつもの調子で明るく、だが弱音を吐いている。キャッチャーに入っている士郎が彼にアドバイスを送る。

「軽木、配球読めよ」

「いやいや! 堤ちゃんどんだけ球種あんのよ! 読めんでしょ!」

「こっちは引っ張らせたいんだ、わかるだろ?」

「シンカーはやめてよ! あんなん無理!」

「分かってるじゃん」

 この場面、守備側は進塁させたくない。最高のケースはゲッツーか、三振である。ならば、配球は必然的に内野ゴロ、それも三塁方向に打たせたいという意図が含まれたものになる。士郎はそれを読んだ上で来る球を見極めろ、そう言っている。

 が、それを実行することは容易くない。インコースの膝下に来たシンカーを思い切り詰まらせ、「ぎゃっ」と悲鳴を上げて走り出した。結局結果は、六-四-三のダブルプレー。見事なゲッツーである。

 それをベンチから見ていた青嶋と友希。友希は思うところを口にした。

「先生、バントって有効じゃないですか? あれを見てると、バントもありなんじゃないかって思います」

「確かにな。ただ、やたらバントというのは俺はしたくない。例えば、太一がネクストにいる時にこのケースならバントをしてもいいが、全く打てない冬野の前でバントはあまり意味がないだろ? 三塁ランナーを置いておけばとも考えられるが、上に行けば行くほどバッテリーエラーの期待値も下がるわけだしな」

「それは……そうですね。立山さんと福島さんのバッテリーエラーって滅多に見なかったですもんね」

「そう。とすれば、自分たちでどうにかするしかない。バントの多用より広い選択肢で攻撃がしたい、とは思ってる」

 ただ、それは追い求められるほど時間があるかといえばそうでもない。限られた練習時間ではある。今は次の大会……秋季大会へ向けた短い準備期間だ。その中でやれることをやるしなないのである。

「俺はな、やっぱり1にこだわりたいんだ。一球、ワンアウト、一点。一点差に泣いたからこそだ。その一点をもぎ取るために、全員が考えて動けるチームにしたい」

 一にこだわる。それは青島のあげたキーワードとして選手たちにもすでに伝えられている。彼らはそれをどうにかものにしようと努力を積み重ねている。

「俺はついでに甲子園に連れてってもらうわけだけど、黙っては見てられない。みんなのアシストをして、なんとか一個でも上に行くんだ」

 そして彼自身にも課題がある。采配の面、努力をする彼らのマネジメント、そしてチーム運営に至るまで。自分が未熟な中、どれだけチーム力を底上げできるか。これは勝利に直結する。導き方を間違えれば、結果は出ない。連れて行ってくれると宣言した彼らを少しでも支える、その覚悟を持って彼は選手たちを見ていた。

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