第020話 主導権

 目の前に景色が戻ってきた。

 現実の、王都の景色だ。

 音と、微かに温度も感じる。

 燃え盛る火の音、熱気。

 リーネの魔素が、より一層勢いを増して暴走し続けている。

 ……あれ? なんだこれ。

 俺の意思とは関係なく、景色が動く。

 これは……俺の腕?

 服装からいって間違いない。

 でも、俺は動かしているつもりはない。




 勝手に動いている俺の右手が、鞘から剣を引き抜いた。

 足元に向けられた切先。

 そこに倒れていたのはヴェルクだった。

 眠っているのか気絶しているのか、目を閉じている。


「世話になったな。人間の目を欺くのに、子供の体は役に立った。貴様は、いい隠れ蓑になったよ」


 言ったつもりはないのに、俺の声が骨や筋肉から伝わる振動で聞こえてくる。

 おい、なんだこれ……どうなってる!?


 俺の右手が剣を逆手に持ち直して、倒れているヴェルクに突き刺そうと振り上げた。

 まだ意識の世界にいる?

 いや、それなら俺の意識にないことは起こらない。

 これは現実だ。

 悪魔が俺の体を使って、ヴェルクを殺そうとしている。

 俺の意識は、俺の体の中にある。

 だが、まだ意志が足らない。

 自分の体の感覚を必死になって思い出した時、左手の皮膚感覚を確かに感じとることができる。

 咄嗟に、歪ながら、剣から左手を離すことができた。


「……!?」


 でも、まだだ。

 振り上げた剣は自重でヴェルクに落ちていく。

 右手の感覚を探したけど、動いてくれない。

 もう時間がない。


「──ぅぁああああああああああ!」


 鈍い感触を手繰り寄せ、辛うじて動く左手で剣の刃を押すようにして掴み、軌道をずらした。

 剣の切先はスレスレのところでヴェルクの体を掠め、地面に突き刺さる。

 叫び声が出た。これは俺の意志で出せた。


「な、なんだ……? 左腕ガッッッファ!! ドフェッ!? ブファッ!? デハッ!?」


 俺は持てる意志を全力で振り絞り、左腕で自分の顔面を何度も殴りつけた。

 顔面の感覚はなかった。

 だから気兼ねなく何度も殴ったのだが……徐々に、じわじわと痛みが湧いて出てきた。

 どうやら殴られたことにビックリして、悪魔が顔面の主導権を半分明け渡したらしい。


「この! バカ悪魔が! 人の体を! 勝手に使いやがって!」


 声も出せる。正真正銘、俺の声だ。半分だけ、味覚も戻ってきた気がする。

 よし、この調子でどんどん殴り続けよう。

 結構痛いけど、今は二の次だ。


「き、貴様……!?」


 俺の喉を勝手に使って声を出した悪魔が、俺の右腕を使って、俺の左腕を掴む。


「まさか……ルーファスか!?」


 意外と対応が早いな。

 落ち着かれる前に、もう少し先手を打とう。

 俺は右腕を振り払い、右側に柄が出ているサバイバルナイフを左腕で無理やり引き抜く。

 そして、左右の太ももを即座に突き刺した。


「ぬぐぁあああああああ!?」


 俺の声で、俺ではない絶叫を上がった後、鋭い痛みが遅れてやってくる。

 悪魔が両足の主導権を放棄した。

 馬鹿野郎。

 この痛みこそが、命の証だっての。

 所詮は悪魔。

 命を冒涜する奴に、痛みを受け止める度胸なんてあるはずない。

 足に力が入らず、跪く。

 ナイフを地面に刺して、ベルトポーチから取り出した丸薬を口の中に放り込んだ。

 ガリッと噛み砕いだ瞬間、中に入っていた回復薬が体に浸透し始め、顔面や足の傷を癒していった。

 立ち上がる。

 自分の意志で、立ち上がる。

 一度主導権を取り戻したら、こっちのもの。

 両足は完全に、俺の支配下にある。


「き、貴様……どうやって!? 貴様の意識は完全に封じ込めたはず!」

「ああ……お前はやってくれたよ。完全に、俺から全てを奪ってくれた。仕事という生き甲斐の、何もかもを……」

「ど、どういう意味だ……」

「俺は絶対にお前を許さない。仕事の邪魔をする奴は、誰であろうと排除する」

「ヒィイイイイイ!? 何だお前!? 新種の悪魔か!?」

「……そうだな。俺は仕事をこなすためなら、悪魔にでもなる男だ」


 俺の声で、俺と悪魔が交互に喋る。

 端から見てる人がいたら、腹話術にしては下手すぎるから、多重人格者と思われるかもしれない。

 取り戻せたのは下半身と左上半身。あとは悪魔が主導権を守っているようだ。

 でもそれでいい。

 悪魔は自分の居場所を守っているつもりだろうけど、俺はこいつを手放すつもりはない。

 他の人に乗り移らないよう、掴んでおく。


「おい、お前! そこで何をしている!?」


 炎の光を反射させ、夕日色に輝く甲冑が五人。

 その先頭に立っているリーベルは、眉間にしわを寄せ、威嚇する時のダークウルフのように怖い目をしていた。

 上級騎士。

 それがどれくらい凄い階級なのか、正直、俺にはよくわからない。

 俺が無魔の冒険者風情の平民だからって、何もそんなに邪険にすることないのに……と、差別や偏見の類だと決めつけてしまったが、どうやら違った。


 自分の現状を改めて確認してみる。

 倒れたヴェルク。

 近くの地面に突き刺さった剣とナイフ。

 見ようによっては俺がヴェルクに襲い掛かっているようにも見えなくもない。

 というかそれにしか見えない。

 両足に残った血の跡は、もちろん自分の血なんだけど、現状だとヴェルクのものだと勘違いしても仕方がないかもしれない。


「ああ、いや、違うんですよ。ヴェルクは無事で、この血は……」


 ズカズカと怒りをたっぷりと込めた足を踏み鳴らし、近くまでやってきたリーベルは右手で俺の肩を突いた。

 別の騎士がヴェルクの安否を確認する。


「地面に突き刺さった剣で、子供の体に切り傷が……」


 報告を聞いたリーベルは、確信を抱いた怒りの顔で、俺を見る。


「どういうことだ!? 説明しろ!」

「ん~、信じて貰えるかわからないんですけど……俺の……」

「……? なんだ?」

「だから、俺の……」


 『俺の中に悪魔が潜り込んでいる』

 たったそれだけの簡単な言葉が出てこない。

 言おうとすると、糊で貼り付けられてしまったみたいに、上下の唇が張り付いてしまう。

 左手でどうにか開こうとしたけど無理だった。

 左の顔面は主導権を取り戻したと思ったのに、唇は別かよ。


「何をしている!? ふざけているのか!?」

「いえ、ふざけているつもりはないですよ」

「なら、今すぐに我々にわかるように状況を説明しろ!」

「そうですね。確かなことは、そこに倒れている子は、誰かの助けを必要としているっていうことだけですね」


 俺は後ろへ足を引いて、リーベルたちから距離を取る。


「おい待て、どこへ行く?」

「ヴェルクのこと、よろしくお願いしまぁぁす!」

「あっ!? ちょっと待てぇええええー!」


 ヴェルクに二人の騎士を残し、三人の騎士が俺の後を追いかけてきた。

 地図よりも精密な街の情報が頭に入っている。

 探査の上手い魔術師でもない限り、単純な追いかけっこで俺に勝てるはずもない。

 騎士はすぐに撒くことができた。

 体の中の悪魔をどうにかするなら、まずは聖堂へ向かうべきだろう。

 聖職者なら悪魔を閉じ込める結界とかを扱える人がいるはずだ。


「ん……? く……くぬ……くぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬっ……!?」


 足が止まった。

 石像のように、膝を曲げた状態で不自然に硬直している。

 でも、後ろへ下がると簡単に動いた。

 悪魔が止めてるのか?

 唇に続いて、足も完璧には支配できてなかったのか。

 大部分は主導権を取り返しているのに、神経の一本、筋肉の繊維の一本が制御を失うと、自分の体を壊さないように本能が条件反射的に止めてしまう。


「下がるのはいいのに、聖堂に向かうのはダメ。こういう話は口に出して言えるのに、俺の……」


 俺の体の中に悪魔がいるという情報は、口に出して言えない。

 悪魔に都合の悪いことだけが妨害されている。


「往生際の悪い奴だなぁ……」

「はははっ! それは俺にとって、最高の褒め言葉だよ」


 同じ体に意識を同居させているせいか、ある程度は俺の考えが悪魔にも聞こえてしまうのかもしれない。

 ほんの僅かでも悪魔を攻撃しようとする意志を持てば、とりあえず邪魔をしてくる。

 厄介だな。正攻法は使えない。


「……まぁ、そうだな。それでいい。俺はいつも通り、自分の仕事に集中するだけだ」


 誰の目も届かない、太陽の光も、リーネがともす炎の光も届かない、路地裏の先へと進む。

 スラム街。

 職業不明な人たちが道端に座り込んでいる。

 普段は沈み切った様子の彼らだけど、炎の柱が招いた王都の混乱が心地いいらしく、妙に上機嫌なのが不気味だった。

 状況は今も最悪だけど、いいこともある。

 確実に、背後の火の柱が弱まっていくのを感じる。

 ヴェルクの進行が止まったことで、悪魔の魔術は、失敗に終わったらしい。

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