第018話 囮

「ああ、ヴェルク、ちょっといいかい? 少し足を止めてくれないかな」

「なんで? 早くリーネから離れないと」

「少し大事な話があるんだ。止まって話がしたい」

「歩きながらでも話せるでしょ。足を止める必要はないんじゃない?」

「少し落ち着いて、今後の話をしたいんだ」


 後ろから肩を掴もうとしたら、寸前のところでヴェルクは避けた。

 気配だけで、後ろにいる俺の動きを察知した。

 一瞬の所作は熟練の冒険者を思わせる。

 偶然の可能性を考慮して、何回も肩を掴もうとしたが、ヴェルクは空気中の埃みたいに俺の手を躱した。

 熱波は増幅し続け、夕暮れ時でもないのに空が真っ赤に焼け始めた。

 ヴェルクは、普通の子供ではないかもしれない。

 人間ですらないかもしれない。

 少なくとも、悪魔側に組みする存在には間違いないだろう。

 いざとなれば剣を抜き、ヴェルクを後ろから切る。子供だろうと容赦はしない。躊躇いなく急所を狙う。反撃の余地を与えられる余裕は、無魔の俺にはない。

 ただ問題がある。

 ヴェルクという存在がどのような状況に置かれているのか、ハッキリしないことだ。

 悪魔は人の営みに紛れ込むのは常識の範囲だが、潜伏の仕方には大きく分けて二つあって、一つは「悪魔が人間に化けている」、もう一つは「悪魔が人間に乗り移っている」パターンだ。

 「悪魔が人間に化けている」なら解決策は簡単で、そのまま戦えばいい──無魔の俺が勝てるかどうかは別として。

 「悪魔が人間に乗り移っている」場合は、体内に潜り込んでいるのか、催眠術で操られているのか、それとも遠隔操作で操っているのか判断がつきにくい。

 もしも操られているだけなら、ヴェルクの体は生身の人間ということだ。対処するには、体から悪魔を引っこ抜かなきゃならない。

 どちらにせよ、俺一人じゃ手に余る相手だ。

 とくに悪魔が体に潜り込んでいる場合は厄介で、正体がバレそうになると、人から人へ乗り移って逃げる可能性がある。

 まずは、ヴェルクが悪魔本体なのか、操られているだけなのか判別しないとな。


「ヴェルク、一日中歩き回って疲れてるだろ。これを使って」


 差し出したのは丸薬。

 丸薬は生物の体を回復させるために調合されている。体が人間なら回復効果が正常に働くはず。もしも違うのなら、丸薬は毒にしかならないだろう。


「なに、これ?」

「丸薬だよ。回復薬だ。噛んで飲み込むと体力が回復する」

「……ありがとう。実は足が痛かったんだ。これで走れるようになるね」


 ヴェルクは丸薬を口に含んで、噛み砕いた。

 体が黄緑色に光る。急速に促される新陳代謝の反応。正常に回復効果が働いている。

 答えは出た。

 ヴェルクは人間だが、中身は悪魔だ。

 あとは憑依されているのか、催眠に掛けられているのか、遠隔で操られているのかだけど……催眠や強制的に遠隔で操るといった、体に異常を来す方法なら、あの勇者一行が見逃すとは思えない。悪魔が憑依する形なら、体には異常が現れにくい。

 憑依しているタイプなら、こちらが動けば他の人に乗り移って逃げてしまう。そうなれば被害者がもう一人増えることになる。

 時間がない。リーネの魔素が暴発すれば、この街もただじゃ済まない。それならまず、悪魔の魔術の完成を阻止することが先決か。

 ……いや、違う。もっといい手がある。


「みんな聞いてくれ! あれはこの街を破壊する魔術だ! 早く街から避難するんだ! さぁ早く! 急いで!」


 俺がそう叫ぶと、只事ではないと察した人々が逃げ始め、通りはパニックに陥った。

 騒然とした人たちと共にパニック状態が過ぎ去ると、通りに静寂が訪れる。

 みんなを怖がらせてしまったけど、今はこれでいい。これで悪魔が乗り移る先を制限できる。


「ヴェルク、お前は教会へ行くべきだ」

「ど、どうして? まずはリーネから距離を取った方がいいよ」

「うん。でも熱りが冷めたら、君は教会へ預けられる」


 今までは冷静に歩き続けていたヴェルクが、ここにきてあからさまに顔を引き攣らせる。


「預けられるのは王宮でしょう? 僕、王宮がいいよ」

「お前の超能は、もしかしたら誰かに掛けられた呪いかもしれない。だから教会に行って、徹底的に体を浄化した方がいいと思うんだ」

「じょ、浄化……?」

「うん。もしもお前に害をもたらす何かが体に隠されていれば、全て消滅すると思うよ。その方がお前も安心できるだろ」

「……」

「まぁ、お前の言う通りそれは後の話だ。今は先に進むことに集中しよう」

「……邪魔だな」

「え……?」

「お前、邪魔だ」


 ヴェルクの視線が突如として鋭いものになる。

 肌が一気に青白くなり、目の下のクマが濃くなる。

 別の生物になってしまったかのように、人相が変わってしまった。

 ヴェルクは口をあんぐりと開ける。

 口内は不自然なほど暗闇に染まっていて、歯や舌などが確認できない。

 ギョロリ、暗闇から目玉が浮かび上がったかと思うと、ヴェルクの口から飛び出し、俺の視界を埋め尽くした。

 それまで聞こえていた音、肌に感じていた熱、焦げた臭い、肺の収縮や、筋肉の強張りなどの感覚が、急激に遠のいていく。

 目に映る景色が、黒に占領された。

 辺りを見渡してみるが、何も変わらない。というより、音も感じなければ、体の振動も感じないから、自分が本当に首を動かしているのかもわからない。

 これは、気を失った訳じゃない。意識はハッキリとしている。

 ただ、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、感触、全てが失われた。

 いや、乗っ取られたのだ。

 俺の体に入ってきた、悪魔によって。

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