第013話 聖堂
フレーデル教の総本山、マーテル大聖堂は王城に寄り添うように築かれ、城壁の一部を拡張して囲まれている。
大聖堂から王城へ至る道は厳重に閉ざされ、許可なく門を通ることはできない。だが反対に、城下町へ向かう門は参拝者に開かれており、人々は絶えず聖堂を訪れていた。
純粋な信仰心で魔素を奉納する人、もしくは、生活費を稼ぐために、自分の魔素を換金する人など、参拝する理由は様々だ。
王城を背にするように建てられた聖堂は、いくつもの尖塔を天に伸ばし、荘厳な鐘の音を響かせている。
左手には聖職者たちの居住区、右手には怪我人や行き場を失った者を迎え入れる
聖堂の中は余計な仕切りなどが一切なく、吹き抜けの大きな空間。
左右の壁と天井にある細かく彩られたステンドグラスが、静寂に包まれた光に色を与えている。
正面に、巨大な両扉の『神の門』がある。
神が通る道とされているので、祭壇と参拝者用の通路と椅子は、中央の道を避けるように設けられている。
横の道から、神の門の向こう側へと行くことができる。
紺色の淡い照明しかない空間は、聖堂とは打って変わって薄暗い。
大きな柱に、ガラス窓が埋め込まれていて、内部の液体が緑色に光っている。
これは液体化された魔素で、女神フレーデルに捧げる供物だ。
俺たちは信者は、信仰の証明として魔素を捧げ、女神はその対価に蘇生の機会を与えてくれる。
つまり、蘇生は本来、タダではない。
蘇生に必用な魔素を事前に奉納するか、肩代わりしてもらった魔素の料金を支払わなければならない。
今は魔王騒動の真っ最中。
蘇生に掛かる費用は全て、王宮が工面してくれている状態なので、言葉を選ばすに言ってしまえば、死に放題である。
異様に静まり返る空間の先に、一台の椅子が、床に刻まれた魔法陣の光に照らされている。
透明で、七色に変化し続ける椅子。
現在の魔術では解明できない物質で作られているそれは、製作者自身と、製作者の恩恵を授かった者しか座ることが許されない『神の椅子』だ。
「次の
神の椅子に強い光が降り注ぐと、壁際に控えていたシスターが慌ただしく動き出す。
光が弱まると、神の椅子に全裸の女性が座っていた。
「キャァアアアア!!」
「落ち着いて、もう大丈夫ですよ」
目覚めた途端に悲鳴を上げた女性の体を、シスターたちが布で覆い隠し、
ここは――
あの世とこの世の境目で女神フレーデルに魂を送り返された人間は、神の椅子に座った状態で蘇生される。
女性の反応から察するに、魔物か何かに襲われて死んだのだろう。冒険者や騎士なら死に対する耐性も少しはあるだろうから、農民か商人の可能性が高い。
ある程度の病気は
ここはもっぱら、遠征に出る機会の多い冒険者が通う場所だったけど、魔王騒動が始まってからというもの、連日連夜、遠くから人が蘇生されてくる。
「何してるんですか? ルーファスさん。うら若き女性の裸を見て、情欲を持て余しに来たんですか?」
粛々とした場所には似合わない言葉を、背後から掛けられる。
淡い緑色の修道服を着たシスター。名前はロルシュ。歳は俺と同じくらいで、十代後半。
ここで下働きしている人たちは孤児から引き取られた人が多く、苗字もなければ、ハッキリとした年齢もわからない人が多い。ロルシュもその一人だ。
俺は三百回以上もここで蘇生させられてるから、シスターからも顔を覚えられてしまっている。
下の毛が生える前から、俺の全てを見られてしまっている。
「ああ、ロルシュ、いいところに。実はちょっと頼みたいことがあって。生還者の記録を見せて貰いたいんだ」
「遠征中にパーティとはぐれたのですか?」
「いや、迷子の家族を探してるんだ」
神殿で復活した生還者は、一時的に別室に通される。
慣れないうちは──というか大多数の人たちが──温かい紅茶が飲みながら、シスターさんのカウンセリングを受けることになる。
恐怖心が拭いきれない、食事も喉を通らない人は、慈善療院で長期的に保護される。
大体はその時間に身元の確認が行われ、名前や出生地、死亡理由などの記録が残される。
記録が保管されるのは、神殿から出てすぐの書館室だ。
部屋は無数の棚に記録書が並べられているが、受付台のランタンしか灯りがなく、奥は真っ暗になっている。
記録は膨大だ。
過去数百年間で女神が蘇生した人間の数は、優に数千万人を超える。その中から特定の人物を割り出すには、技術を持った人が必要になる。
「お忙しいところ、すみません、ウェルネスさん。照会をお願いいたします」
「はい、わかりました。おはようございます、ルーファス様」
「おはよう。お願いします」
書館室でロルシュは、受付のシスター、ウィルネスに声を掛ける。
水色の丸みを帯びたショートカットの女性で、丸眼鏡を掛けている。
俺らが声を掛ける前も、聴取した生還者の情報を、ランタンの下で記録し続けていた。一日何人の人を記録しなきゃならないんだろう。骨の折れる作業だ。声を掛けたロルシュも、どこか申し訳なさそうだった。
そんな忙しい最中でも、ウィルネスは一抹も嫌な顔をせず、客人を迎え入れるように微笑む。
「お名前と出生地、生還した日時をこちらにご記入ください」
ロルシュがこちらに振り向くことで、記入の役目は俺に引き継がれる。
「あの……こちらで保護している子供なんですが、記憶がなくて名前しか手掛かりがないんです。性別は男で、年齢は7歳から10歳。ヴェルク・シュビットという名前らしいですが、
「そうなると、見つけ出せたとしても確証は得られないかもしれませんね。色々な綴りで名前を書いて、同時に検索をかけてみましょう。少々お待ちください」
業務に慣れているウィルネスは、嫌な顔もせず淡々と仕事に当たる。
取り出した紙に製図用のコンパスで円を描き、さらさらと魔術文字を記して、手作りの魔法陣を作り上げる。
「
ウィルネスが手を翳して魔術名を唱えると、紙が四枚に複製される。
そのうちの三枚に、ヴェルク・シュビットの発音で違う綴りの名前をそれぞれ記入する。
検索に使う魔術は「
文字を記入した紙を飛ばして、周囲にある同じ文字を光らせる。大量の資料から照会する時に便利で、この効果をわかりやすくするために書館室は暗くしてある。
ウィルネスの魔素で力を得た紙は、書館室を飛び回り、やがて使用者の元へ帰ってきた。
部屋の奥は暗いまま。反応がない。
「……どうやら該当する記録がなかったようです。別の綴りで試してみましょう」
残っていた一枚の魔法陣をさらに複製して、綴りに変化を加えながらさらに三度試してくれた。
四階目でようやく反応が現れ、奥の暗闇に青い光が現れる。
「……どうぞこちらへ」
ランタンを持ったウィルネスと共に、反応のあった紙を取りに行く。
「該当する名前はありましたが、おそらくこちらは違う方でしょう」
棚から取り出した紙をシスターが手渡してくれた。
確かにヴェルク・シュビットの名前があったけど、今から二十年前の、当時十五歳の農民の記録だった。
死因は「恋人に刺殺された」と記されている。
蘇生後はどうしたのだろう。復讐したか、喧嘩別れしたか……自分を刺した相手と仲直りするって可能性はあるんだろうか。
いや、今は関係ない話か。
「最近の記録では、該当する方はいないかもしれません。もう少し詳しい情報があれば、見つけ出せるかもしれませんが……」
「そうですか……お手数をお掛けしました。何か情報が見つかったらまた来ます。ありがとうございました」
俺は書館室を後にし、慈善療院の方へ移動した。
「進展がなかったですね。大丈夫ですか?」
「なんでついてくるんですか? 仕事はいいんですか?」
「ちょっとくらいサボったってバレませんよ。それに、迷子の家族探しに協力するのは慈悲深いことではありませんか」
悪戯っぽく笑うロルシュ。
生命を司る女神は、迷子探しのためなら仕事をサボっても許してくれるらしい。
慈善療院では精神的な苦痛が癒えない人や、身寄りのない人が保護されている。
少し前なら、親のいない子供たちが集まる孤児院的な場所でしかなかったのに、今は心に傷を負った大人たちが一杯だ。
「どうするつもりですか?」
「ここには地方から蘇生されてきた人たちが大勢いる。ヴェルクの名前に心当たりがないか、聞いて回ろうかと思って」
「それって、確率的にはとても低い可能性ですよね」
「すぐに見つけられるとは思ってない。ここがダメなら、避難民が集まっている仮居住区にいって聞き込みする」
「相変わらず仕事熱心ですねぇ」
ロルシュは俺よりも先に一歩前に出た。
「何を……」
「慈悲深いフレーデル様なら、困っている人を見過ごすはずはありません。私も神に仕える身として、協力しないと」
「サボりたいだけじゃないのか?」
「さて、答えは神のみぞ知る、といったところでしょうね」
こういった時、他人の善意を疑ってしまうのは俺の悪い癖だな。
感情を仕事に持ち込まないことを徹底している俺としては、見返りもなく人助けをしている人を信用することができない。何か目的があるはずだと、勘繰らずにはいられない。
ロルシュと共に、ヴェルクのことを聞いて回った。
療養中の人たちは出生が多岐に渡って、全国各地から集まってる。でも、誰もヴェルクのことも、シュビットという家名も聞いたことがないという。
「誰もご存知ないようですね。難民の仮居住区に向かいますか?」
「さすがにそれは自分一人でやるよ。手伝ってくれて、ありがとう。これ、少ないけど」
俺は、ポケットに入っていたコインを全て渡した。
ヴェルクの家族捜しの名目でリシアから先払いして貰った報酬、銀貨二枚と銅貨五枚、そして、リシェルがカラスから取り返してくれた傷だらけの銅貨一枚。
もっと渡したいところだけど、軍資金は俺の金じゃないので渡せなかった。
「え、いらないですよ。お金のためにやったんじゃないんですから」
「仕事を手伝って貰ったんだ。報酬を渡さなきゃ、俺の主義に反する。まぁ、寄付だと思って受け取ってくれ」
「はぁ……本当に堅物ですねぇ。しかし、お小遣い制の身としては有難い収入です。謹んでお受け取りいたしましょう。ルーファスさんに、フレーデル様のご加護があらんこと」
たった二枚の銀貨を両手に握りしめ、ロルシュは俺に祈りを捧げてくれた。
適当ではなく、所作の一つ一つに丁寧な緩急をつけた祈りだった。
実際に女神と会って思うことだけど、神は、慈悲とか同情で命を選別しているようには見えなかった。シスターの祈りが何の役に立つのか、正直、俺にはわからない。
気休め。
仕事に感情は必要ない。
目に見えない不確かなものに頼っていたら、不十分な俺じゃ仕事を完遂できない。
そんな現実主義的なことが頭に過ると、ロルシュに祈って貰うのも申し訳なく感じる。
それに、俺は既に、女神には散々お世話になっている。
死ぬほど、お世話になっている。
この上、加護まで貰ったら罪悪感が湧いてくる。
「祈りは、不要でしたか? こんなのは、仕事の役には立ちませんか?」
そんな俺の心境を読み取るように、ロルシュは残念そうに微笑む。
「え、いや……」
そんなことはない。と、言えない俺がいた。
「あら、ルウちゃん。こんなところで何をしているのですか?」
「エ、エルフィーデ様!?」
目を丸くしたロルシュの視線の先に、エルフィがいた。
「それはこっちのセリフです。なんでエルフィさんがここに?」
「生還者の記録だけじゃなく、慈善療院や仮居住区に住んでいる方にもお話が聞けないかと思って、こちらに来てみました」
「慈善療院には行ってきました。収穫は何もなかったです」
「え……一人で、聞き込みをしていたのですか?」
「一人じゃありません。ロルシュも手伝ってくれました」
「え、あ、わ、私は特に大したことは……」
エルフィに見つめられたロルシュは、急に畏まって肩を強張らせていた。
そういえばエルフィは大司教だったか。シスターのロルシュからすると、上司の上司の上司になる。
「まぁ! 手伝ってくれて、ありがとう! ロルシュちゃん! でも、どうしてロルシュちゃんが?」
「ル、ルーファスさんとは、前からお友達で……困っているのは見過ごせなかっと言いますか……」
友達だったとは初耳だが、聞き込みを手伝ってもらっておいて否定するのは不義理ってものだな。
「その……ここにいるシスターたちで、ルーファスさんのことを知らない人はいませんから」
「え? ルウちゃんって、そんなに有名な方だったのすか?」
「不名誉な名声ですけどね」
「不名誉……?」
「彼の生還回数は三百回を越えていて、現在の信徒たちの中でも最多なんですよ」
「さ、三百回………………? 三百回も、死を乗り越えてきたというのですか?」
その回数は女神フレーデルに蘇生された回数なので、現地での蘇生を加えたらもっと多くなるということは、恥ずかしいので秘密だ。
死を乗り越えた、という表現は少し違う。
死ぬしかなかっただけだ。
こんなのは何の自慢にもならない。積み重ねるだけ、恥の上塗り。
周辺の人たちもざわめいていた。
彼らは何らかの死因でトラウマを抱えてしまった人たち。たった一回経験しただけでも恐怖で身動きが取れない人たちからすると、俺は頭のおかしい人に見えたかもしれない。
少し驚いた様子のエルフィが、長い息を吐く。
「それだけの回数亡くなっていると、女神様との交友も、並ではないでしょうね」
「交友……っていうほど、会話もしてないですけど」
「名前を呼ばれたことは?」
「……そういえば」
「あるのですか!? 女神様に名前を覚えてもらっているのですか!? そそそ、そんなのって一大事でしゅよ!?」
甘噛みしながら、エルフィがグイッと顔を近づけてくる。牢屋にぶち込まれて居たときも優雅に紅茶を飲んでいたのに、女神のこととなると興味津々だ。
「ふぅううう!」と大きく息を吐いて、自分を落ち着かせてから、エルフィはしみじみと言う。
「ルウちゃんは、とっても凄い冒険者さんだったのですね……」
「名前を覚えてもらうってだけで、そんなに凄いことなんですか?」
「私は精霊さんを通じてフレーデル様の声を聞くことがあります。ですが、いまだに名前を間違えられてしまうんです……名前を覚えてもらっているのは大主教様くらいじゃないでしょうか……」
大主教──枢機卿の上の主教のさらに上。フレーデル教の宗派を統括する人だ。
意外と本当に凄いことだった。
女神が俺の名前を呼ぶようになったのはいつ頃からだったか……もう忘れちゃったな。
「三百回死んだら、名前を覚えてもらえますよ?」
「…………無理です無理です! そんなの絶対に無理ですよぉ!」
ちょっと真剣に考えた後、エルフィは悲しい顔になって、体を揺らしていた。
女神に会うために自殺するっていう修行があってもおかしくないなと思ったけど、考えてみると、フレーデルは生命を司る女神だった。命を粗末に扱うことは、それ自体が背信行為だ。
「ルーファスさん! 大司教様とお知り合いだったんですか!? どうしてもっと早く言ってくれなかったんですか!?」
ロルシュはエルフィに聞こえないよう、俺の耳元で囁く。
「俺だって知り合ったのは一昨日の昼ですよ」
「えええぇ!? なんでですか!? どうやって出会ったんですか!?」
「勇者一行の案内役に選ばれたんです」
「ええぇ!? ルーファスさんが!? 無魔で魔術も使えなくて、死んでばかりいるルーファスさんが!?」
「自分でも不相応なのは理解してるけど、他の人に言われるのは腹が立つな……」
「二人で何をコソコソ話しているのですか?」
「い、いえ!? 別に!」
「ここでの調査は終わりました。場所を移しましょう」
ロルシュと手を振り合い、俺とエルフィは城下町へと移動した。
ポケットの中に異物感がある。
手に取ってみると、全部渡したと思っていた銅貨が一枚、まだポケットに入っていた。
リシェルがカラスから取り返してくれた、傷だらけの銅貨だった。
「お前か……。全部渡したと思ったのに、まだ入ってたのか。今さらこれだけ渡しに行くのもな……まぁいいか」
俺はまた、銅貨をポケットにしまった。
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