第3話 玲奈vs沙織 王座奪還 電車の中でキャットファイト


「触らないで!」

玲奈の声は甲高く電車内に響いた。揺れる吊革を掴んでいた沙織の手を振り払った拍子に、その華奢な指先が沙織の頬を打ち据えた。電車は山手線の渋谷駅へと向かい、夕方のラッシュが始まりかけていた。


「あなたこそ、いつまであの人の隣にいるつもり?」

沙織の唇から血が滲む。それでも目は冷たく燃え上がっていた。「プロデューサーの新企画、私に決まったと思ったのに」


窓ガラスに映る二人の姿が歪む。玲奈のタイトドレスの肩紐がずれ落ちたままだったが、彼女は気にする余裕もなく沙織の首筋に食い込んだ爪を引いた。


「彼が最初に見つけたのは私よ」

玲奈の声には痛みが混じっていた。二週間前のオーディションのことだ。スタジオの片隅で泣いていた少女時代の夢。そして突然現れた一人の男性──大橋雅也。


沙織の白いブラウスに皺が寄った。「でも、今は私が選ばれた。それが事実よ」


「嘘よ! あなたの仕事増えたのなんてここ数カ月だけじゃない!」

玲奈の言葉は震えていた。SNSフォロワー数が40万を超えたのも、東京コレクションでランウェイを歩いたのも玲奈の方が先だったはずだ。なのに今、「次世代トップモデル」と呼ばれているのは沙織だった。


「数字だけが全てじゃないわ」

沙織は玲奈の腕を逆手にねじ上げながら言った。長い黒髪が乱れて床に落ちる。「それに……私の方がずっと長く一緒にいる。あなただけが特別なわけじゃない」


「私だけを見てほしかった……ずっと」

涙が玲奈の頬を伝う。初めて会った日の帰り道。夜景を見ながら交わした約束。それを思い出して胸が潰れそうになる。

「それがあなたの弱さよ」

沙織は玲奈の体を押し返


沙織が玲奈の体を押し返す瞬間、電車が大きく揺れた。バランスを崩した玲奈が座席に倒れこむと、周囲から小さなどよめきが起こる。しかし誰も立ち上がろうとはしない。都心の通勤電車では日常茶飯事なのか、それともモデル同士の喧嘩という非日常に足を踏み出す勇気がなかったのか。


「見てみなさい」

沙織は玲奈を見下ろし、乱れた髪をかきあげた。「この距離じゃ誰にも聞こえないわ。でも明日にはSNSであなたの醜態が拡散される」


玲奈は震える膝で起き上がり、沙織のネックレスを掴んだ。「あなたのほうが先に手を出したわよ。写真だって撮ってる人もいるかもしれない」


「撮らせてあげればいいじゃない」沙織は嘲るように笑った。「『炎上商法』って言うんでしょう? 使えるものなら何でも使って」

玲奈の目に怒りが


玲奈の拳が沙織の顎に命中し、華奢な顎の骨が軋む音がした。沙織は一瞬ふらついたが、すぐに玲奈の襟元を掴み返し、両者のタイトスカートが床に擦れるほど近づく。


「あの仕事は私に来ていたのよ!」玲奈の声は電車の轟音に負けじと叫んだ。


沙織のハイヒールが玲奈の膝を蹴り上げる。「キャンセルになった理由知ってる? あなたの態度が悪すぎたから」


玲奈の手が沙織のシルクブラウスを引き裂き、鎖骨の上でボタンが飛んだ。「あの時の打ち合わせ、あなたが先に口出ししてたじゃない」


沙織は玲奈の髪を鷲掴みにし、ウィッグがずれて地毛が露わになる。「この偽物の輝きで人気得たつもり?」


玲奈の掌底が沙織の鳩尾に入り、息が詰まる音が漏れた。沙織はすぐさま玲奈の腰を掴み、揺れる車内で無理やり体重をかけさせる。

「あの人があなたを選んだのは──」沙織の声が掠れた。「私が一度断ったから! 彼があなたを育てたのは私の代わりなのよ!」

玲奈の頬に平手が炸裂し、鮮やかな紅葉模様が浮かんだ。「違う! 私たち二人とも見出してくれたの!」

沙織の爪が玲奈の瞼を引っ掻き、血が流れ出す。「いつも優等生ぶって……本当は嫉妬しかできない癖に!」

玲奈のヒールが沙織の脛を直撃し、骨が鳴る音が響いた。「あなたの媚びる笑顔が嫌いだった!」

沙織の頭突きが玲奈の鼻柱に当たり、血が噴き出す。「私の方が先に好きだったのに……どうしてあなたなの!」

玲奈の膝が沙織の鳩尾に再び入る。「才能がないから仕方なくやってるんでしょう!」


沙織の手が玲奈の耳を強く掴み、金具が外れる音がした。ピアスが床に落ちて高い音を立てる。


「どうしてそこまで執着するの!」沙織の声は裏返っていた。「もう彼はいないのに!」


玲奈は沙織の腕を振りほどこうと身を捩るが、互いに離せない力加減で絡み合う。「あなたが一番わかってるでしょう? 私たち二人にとって彼は──」


「偶像だったわね!」沙織の言葉が電車に響く。「自分自身で輝けると思ってたの?」


玲奈の指が沙織の髪を握り潰し、「あなたこそ私を憎む資格はない!」と叫ぶ。「憧れてただけのくせに!」


周囲から小さな悲鳴が上がる。二人の爪は互いの肌に赤い痕を残すが、傷には至らない。玲奈のドレスの裾が乱れ、沙織のジャケットの襟が捻じれる。


「こんな形で決着つけたくない」玲奈の目から涙が零れる。「でも認められない……あなたが私の居場所を奪ったこと」


「奪ってなんかいない!」沙織の声が震える。「私が欲しいものは他にある!」

次の停車駅のアナウンスが流れる中、二人は最後の一押しをかけようと体を押した。


沙織の左手が玲奈の頬を捉えようとする。玲奈は寸前で顔を背け、代わりに沙織の右肘を押さえ込んだ。二人の体が密着し、互いの鼓動が服越しに伝わる。


「私だって……」玲奈の声が詰まる。「彼があなたを見るたびに胸が痛かった」


沙織の動きが一瞬止まる。玲奈の指が沙織の背中のジッパーを探り当て、一気に引き下げる。

「このドレス! あの日のために用意してたでしょう!」玲奈の息遣いが荒くなる。「私だって同じ店で買ったのよ!」


沙織は玲奈の肩紐を強引に下げ、「知ってたわ」と低く呟いた。「だから今日これを選んだ」


電車が急ブレーキをかけ、二人はバランスを崩して座席に倒れ込む。周囲の乗客が壁を作るように後ずさる中、玲奈と沙織は無意識に相手の瞳を覗き込んでいた。


「なんで私たち……こんな風になっちゃったの?」玲奈の声は微かに震えていた。

「変わってしまったからよ」沙織の返答は即座だった。「私もあなたも」


二人の手がゆっくりと離れ始める。しかし完全に解放されることはなく、それぞれの親指だけが相手の薬指を強く押さえていた。


「もう一度……一緒に仕事をしたいと思ったりする?」玲奈の問いに、


沙織は答えなかった。代わりに右手の人差し指を玲奈の唇に当て、


「それは無理ね」冷たい声で告げた。


電車が終点に到着し、ドアが開く。玲奈と沙織は同時に立ち上がり、互いに背を向けた。肩越しに見える互いの後ろ姿には、かつて確かに存在していた絆の欠片がまだ残っているように見えた。


動画はこちらhttps://x.com/nabuhero

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