短編 「笑う悪女 ー無敵の元金糸雀ー」
静かな夜。
高い香の匂い。
記録係の怖い顔をした副官さんが隣の部屋にいると聞いて、私は身を強張らせていた。
寝台には私と王子様が向かい合って座っている。
「……名前は?」
「エレナと言います」
まさかこんなにうまく王子様の宮に上がれるなんて思わなかったものだから、心の準備ができていない。他の子たちはうまくやっているだろうか。
緊張で固唾を呑む私とは正反対に、王子様――イルハン殿下は何とも言えない顔をして頭を掻いている。
「こんなのおかしいと思わないか?」
「こんなの、とは?」
「戦争に勝って戦利品を貰うのはいい。だが、魚人族の方からは側室なんて送られてこなかったぞ。なぜ鳥人だけ、女を出すんだ? おかしいだろ?」
「ああ」
流石後宮育ちのお坊ちゃまだ。
私が視線を窓の外にやったのを見てイルハン殿下は顔を顰めた。
「具合が良いそうですよ」
「ぐっ……!?」
やっぱり。
私が笑うと、イルハン殿下は恥ずかしそうに私から顔を反らせた。
「お前、俺と同じくらいだろ。嫁入り前の娘がなんてこと言うんだ」
「はい、側室になりこんな立派な宮に上がれるなんて光栄の極みです」
このまま放っておくと手つかずのまま朝になる。
馬車の中に放り込まれた本を私は何度も何度も同胞たちに読み聞かせた。どうすれば男が喜ぶのか。どうすれば、私たちの一筋の希望の光に見捨てられずに済むのか。
私は選ばれたんだ。ここから脱落するわけにはいかない。
手がぶるぶる震えていたけど、私は寝巻の紐を引いた。
王子様のぎょっとする顔が見えたが、辛気臭いことを言って失敗したくなかったから笑ってやった。
「やめとけ」
胸元の布に手をかけたとき、イルハン殿下は私の手をぎゅっと握った。
「清らかな乙女を食い荒らす趣味はない」
「私ではご不満ですか?」
「そんなに言うなら仕事をしてもらおうか」
恰好をつけていても、男は男。
寝転がったイルハン殿下に寄り添うように身をつけると、彼はじっと私の顔を覗き込んでこう言った。
「お前の故郷の言い伝えを洗いざらい話せ。今夜は眠れると思うなよ」
この男、まるで機能しないのかもしれない。そう思って下履きに手を伸ばしてやったら叩かれた。
こんなに美しい女を側室に迎えておいて、正気じゃない。
「しんっじらんない……」
あの男、童貞を貫きやがった。
こんなに可愛い私が一晩中胸を押し当ててやったのに、まったく触ってこなかった。
「確かに私が言い出したけど! 一晩一緒にいてこんなことある!?」
故郷を出る前に母親が三日間食事を抜いて買ってくれた鏡を覗き込む。異国風だけど一応村では『ある程度美人』を目印に選ばれたのだから間違いなく、ちゃんと可愛いのに。
生理現象だろうが構わない、と朝にもう一度挑戦しようとしたら、
ゴミを見る目で
「お前、朝だぞ? イーティバルもとっくに部屋に帰って記録に残らないのに正気か?」
と止められた。正気を疑いたいのはこっちだ。
報奨品の拳ほどもある
「てか、これからどうやって生きていけっていうのよぉ!!」
「うるせぇぞ出戻り娘! 糸でも紡いでろ!」
父親にこれでもかと怒鳴りつけられて私は宝の山から起き上がった。
泣いていてもしょうがない。山の下に糸でも持って降りないと今日も食いっぱぐれる。
宝石を持って出てもアルマク人に襲われるだけだし、こんな田舎に来る商人に見せたが最後、家が襲撃されるに違いなかった。
しぶしぶ仕事道具を持って村の広場に広げだしたとき。
「ねぇ、奥さん。この子本当に美人ですよ。王様の金糸雀にだってなれますよ」
「困ります。ウチの子はまだ十一なんですよ」
いかにも胡散臭そうな
大きい翼に黒々とした豊かな髪は、時代が時代なら国一つ滅ぼせただろう具合だ。
彼女には高級宿の女衒ばかり声をかけに来るので、まだマシな方だろう。
戦争に負けてからこの方、女衒が来れば良い方で、人さらいにも何人か連れていかれたらしい。
……むしろ女衒が村にいる今なら、人さらいにただで連れていかれるなんてことはないんじゃないだろうか。
私は仕事道具を放り出して、女衒とあの子の間に割って入った。
「こんにちは」
「え? こ、こんにちは」
私に突然話しかけられた女衒は、いぶかし気に挨拶を返しに来た。
「この子より、私と行きませんか? 私、一晩だけ王子様の後宮へ上がったんですよ」
「えぇ……? 流石に嘘でしょ。じゃあなんでこんなところに……」
女衒の目線が私の首元に移動した。青色の大きな宝石がついたそれをつけていたことに特に意味はない。強いて言うなら王子様に対する腹いせだ。みすぼらしい女にこれが似合うと思ったあの男はバカだ。
「あっ、アンタか! てっきり文官や武官に
本当だ。下賜さえもしてもらえなかったなんて、流石に私が可哀想すぎる。
「そりゃもう、『籠に閉じ込めておくのは惜しい』と」
そんなことは一つも言われていないが、まぁいいだろう。
「『傍にいられると正気でいられない』とも仰られていました」
下履きを守りながら言われた、「俺の頭がおかしくなったと思われるからやめろ」を好意的に解釈すればこうなるはずだ。
笑みを絶やさない私の背に、村一番の美女が感謝を告げて逃げていく。感謝したいのはこっちのほうだ。
「ははっ、そりゃいい! いくらがいい?」
「私の価値は私の働きで決めて欲しい。先にはした金で買われたくない」
「じゃあ……」
目の前に差し出される手。鉤爪のない弱弱しいはずのそれには、金の臭いが染みついていた。
悪いことをして、人を泣かせて、生きていく。
最高にワクワクする人生だ!
「――『白磁の金糸雀』って呼んで」
がっちりと交わした握手を通じて、私にも金の臭いが染みついた気がした。
人生、案外捨てたものじゃない。
「こらーっ! エレナー! 戻って早々自分から身売りするなーっ! 結婚先くらい何とかしてやるから~!!」
悦に浸る私の背後で、ドタバタと走ってくる足音が聞こえる。
こんな田舎の山で一生を終えるなんて絶対にごめんだ。
「まずいまずい! お父ちゃんに見つかった! 早く荷鳥出して!!」
「いい親父さんじゃないか。家に帰れば?」
「は!? この私がこんな山の中で死ぬなんてありえない! どうせ死ぬなら借金して首が回らなくなった男に刺されて死ぬ!!」
女衒の荷鳥に先に乗り込んで飛び出してやった。
村に銀貨を投げて、女衒も後を追ってくる。怒っているのかと思ったら、でっかい声で笑っていた。
「アッハッハ! お前、大物になるぞ! 男に刺されて死にてぇなら飛び切りえげつない店があるから紹介してやるよ! アッハッハ!!」
そう言えば、世話になるのに名前を聞き忘れた。
一応名前を聞いたら、「お前の記憶に残るほどじゃないさ」とのこと。
ちなみにこの女衒、私を遣り手の老婆に紹介するときに『国一番の大悪女』と言いやがった。
『白磁の金糸雀』という売り名が広まる日が来るのだろうか。
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ナーシルのお姉ちゃん、エレナさんです。
自己肯定感が鬼のように高く、悪いことが大好きです。
とんでもない悪女を作ってしまいましたね……
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