並行世界の中世日本に転移したぼくは戦《いくさ》に勝つため城を築く

パブリクパブリク

第1話 転落

 令和六年(西暦二〇二四年)九月十五日。

 トレッキングスタイルの青年がひとりで山の中を歩いていた。

 青年の名は赤城直時あかぎ なおときいい、現在二十一歳の大学生である。都内の私立大学で日本中世史を専攻している。

 背は高く、体付きもほどよく引き締まっており、頭髪は繊細で柔らかく波打っている。顔の造形もまずまず端正で美男と言ってよいであろう。

 この山の中で彼は何を見ているのであろう。


 目の前に深さ三メートルほどもある谷が横たわっている。谷底に下り、反対側を見上げると急な斜面が立ちはだかっていた。傾斜は四〇度ほど、高さは七メートルほどもありそうである。

 彼は周りに誰もいないのを確認すると、リュックを背負ったまま斜面を駆け上がった。両脚を前へ出すというより上へ上げ、両手も使って駆け上がろうとした。

 しかし、無理であった。上りきる前に脚が上がらなくなり、息が切れた。結局、直時はのそのそと歩いて斜面を登りきったのだった。

「き、きつい……やれやれ、当時ならもう射殺されているだろうな」

 ちらりと振り返ると、谷底がずいぶん下に見える。家の二階から見下ろしているようだ。

「当時はこれよりもっと深くて、急だったんだ。どんな光景だったんだろう」


 直時は谷に背を向けた。

 山の中にしては平坦で広く開けている。木々もまばらで日が射し込んでいた。

「着いたぞ。ここが一の曲輪くるわだ」

 曲輪というのは土塁や石垣、堀など、人の手によって作られた障害で囲まれた区画のことで、これがいくつも集まり、組み合わさったものが城と呼ばれる。

 つまり、ここは城の跡なのである。

 城と言っても豪壮な天守もなく重厚な石垣も見当たらない。ただ、土がうねり、樹木がそこに根を張っているだけである。

 しかし、城という字が『土から成る』と書くように、天守がそびえ、石垣が巡らされるより以前の城は土でできていた。先ほどの谷は堀の跡であり、駆け上がった斜面は土塁の跡なのである。

 彼はこの山の中に土の城の跡を見ているのだ。


 直時は一枚の紙片を取り出して広げた。

 それは地図のようであるが、どちらかというと図面であった。『縄張図なわばりず』である。

 縄張図というのは城の間取り図のようなものである。曲輪や堀、土塁などの配置、規模、高低差まで把握しやすいように描かれている。

 この図を見れば、その城の構造について大体のことはわかる。直時もこの山を訪れるまで、その図を睨んで様々なシミュレーションを施してみたものだ。

「この城は曲輪が南に向けて連なっている。つまり、南から来る敵を迎え撃つためのものだったのだろう。北側に敵が回り込まないようにいくつも堀が設けてあるし、南に向けて射角を大きく取っていることからもそれは窺える……」

 しかし、現地でしかわからないことも多々あった。直時はいままさにそれを感じている最中である。

「おお、見通しがいいな。晴れていれば南の峠まで見えそうだ。なるほど、ここはその物見の任務も帯びていたのかも知れない。やはりここは、よく言われているように、南の大名家との戦いに備えて築かれた城なのだろう。小さめだけど、高低差が思ったより大きいから、割合に長く持ちこたえられたかも知れないな……」

 直時はそのようにしてたっぷり一時間も山の中を歩き回り、最後に麓を見下ろした。

 麓には田畠が広がり、民家が点在している。アスファルトの道路を軽トラックがときおり走り抜けていく。

 しかし、いま彼の眼にはそのような景色は映っておらず、山の麓には数千数万の大軍勢がひしめいていた……。


 ……大将が重々しく床几しょうぎから立ち上がり、軍配を振り下ろすと同時に叫ぶ。

「かかれ!」

 兜の鍬形くわがたが黄金色にきらめき、色鮮やかにおどされた鎧が翻る。数多の武者が雲霞の如く城をめがけて駆け上り、我が一番乗りと功を競う。武者たちは懸命に山を登り城に迫る。

「放て!」

 無数の矢が城から放たれ、気負う武者たちを襲う。守る武者たちは敵を近づけさせまじと、狙いを定めて弓を引き絞る。

 攻める武者たちも負けてはいない。矢を射返し、味方の突貫を手助けする。味方の応援を得て攻める武者たちはさらに駆ける。しかし、そうはさせぬ。武者たちの前に深い堀が大口を開け、高い土塁が立ちはだかった。武者たちの勢いは堀に食われ、土塁に阻まれた。すかさず、守る武者たちは矢を射掛け、石を落として敵を追い散らす。さんざんに叩かれた武者たちは這々の体で山を下りていく……。


 ……どのような光景だったのだろうか。一度でいいから見てみたいものだと思うが、自分がそんな光景を目の当たりにしてもすくみ上がって、あっという間に討ち取られるだけだろう。直時はそんなことを思い、苦笑いを漏らした。

 彼は気の弱い青年だった。存在感も薄く、いつも俯いているという印象を同期生などからは持たれている。したがって、友人も多くなく、特定の異性も存在しない。

 自分に自信を持てず、決断すべき時も行動すべき時もぐずぐずとして、結局は引っ込んでしまうのだ。そのため成功体験に乏しく、なおさら自信がつかないという悪循環に陥っている。


 そんな彼にとって、城は強さの象徴だった。彼も当初は重厚な石垣と、そこにそびえる天守に目をみはったものだったが、成長するにつれ、その強さの象徴と現実の自分との落差に落胆せざるを得なくなった。威風堂々という言葉を石と木で表現したかのような城に対して、自分はどうだ。人目に怯え、縮こまってばかりではないか。

 そんなとき、彼が出会ったのが土の城である。

 土を堀り、土を盛り、天守もないそれはさぞ地味なものだったであろう。しかし、城は城である。地味ではあってもその存在感は巨大であり、いざとなれば、多数の敵を相手にびくともしない堅牢さを誇ったはずである。

「ぼくが城のように強くなれるのはいつのことだろう。もっと強さが、自信が欲しい」


 一通り山の城を満喫した直時は山を下り始めた。整備もされていない山道は、上るのも困難だったが下るのも大変である。直時は木に捕まりながら、傾斜のきつい坂をそろそろと滑るように下りていく。

 その足に黒いロープが絡み付いた。

「なんだ!?」

 そのロープには鱗があり、小さな真ん丸の眼が付いていた。その眼と視線がかち合った。

「蛇!? あっ、しまった!」

 蛇に絡み付かれたことに動転した直時は足を滑らせた。受け身を取る間もなく転倒し、直時はそのまま坂を転げ落ちた。


* * *


 どれほどの時間が経ったのか、まるでわからない。闇の中で横たわる直時は全身に嫌な汗をかいていた。自分は大けがをして山中に放り出されているのではないか。それとも、打ち所が悪くてすでに取り返しのつかないことになっているのではないか……。

 直時は身を起こそうと試みた。幸い体は動いてくれた。痛みもない。

 身を起こしてようやくわかった。直時は大きな布に覆われているのだ。それで周りが闇になっているのだ。直時はそっと布をまくり上げてみた。

 まばゆい光が直時の目に飛び込んできた。まるで太陽の光のようである。いや、事実、光源は太陽であった。空は青く澄み渡っている。

「何か変だな……」

 直時は大きな布から這いずり出て、辺りを見渡そうとして叶わなかった。身の丈の何倍もあろうかという、樹木……ではなく草に囲まれていたからだ。それに、彼が埋もれていた大きな布の山は、よくよく見ると先ほどまで彼が着ていた服ではないか。

「え? え?」

 確かに自分の服だ。靴もあるが、バスタブよりも大きい。リュックに至っては戸建ての家のようだ。

「うぇ!?」

 ようやく直時は自分が丸裸である事に気付いた。とにかくこのままではまずい。直時は布の山をかき分けて服のポケットからハンカチを引きずり出し、体に巻き付けた。このハンカチも四畳間の絨毯じゅうたんほどもある。

「な、なんだこれは。どうなってるんだ……? ぼくの体はどうなってしまったんだ? もしかして、小さくなっているのか? それとも、周りが大きいのか?」

 直時が改めて調べてみたところ、服に柔らかく波打った自分の髪の毛が絡み付いていた。その髪の毛が自分の背丈ほどもあるということは、やはり自分の体が小さくなったのだろうか。だとすると、今の身長は十五センチほどしかないのだが……。

 呆然としていると、話し声が聞こえてきた。片言の日本語である。こんなところに外国人観光客だろうか。とにかく誰かいるのであろう。直時は声のする方向に向かった。


 直時は巨大な草をかき分けて、声の主を見上げた。そこで会話を交わしていたのは異形の巨人たちであった。頭身は五頭身程度ほどしかない。手足が細く短い割に腹部は大きく張り出しており、肌の色は濁った緑色である。顔には大きく裂けた口と長い鼻が蟠踞ばんきょしている。濁った目は鋭く、下品であり、その生き物の性情が酷薄であることを雄弁に語っていた。

 直時は唖然としながらも、その生き物を見たことがあると思った。

「……まるでゴブリンみたいだ。なんだこれは。ど、どうなっているんだ!?」

 ゴブリンとはヨーロッパの伝承に登場する想像上の生き物である。その姿や性情は伝承によって様々だが、直時の印象では、彼らはそのような伝承より、幻想ファンタジー世界を舞台にしたゲームや漫画、映画などのメディアに性悪で醜い敵役としてよく登場する。

 したがって、ゴブリンという生き物はだいたいの場合、ヨーロッパ風の装備を身に着けて登場するのだが、直時の目の前に立っているこの生き物は腰にふんどしを締めていた。胴には粗末な腹当てを着けており、頭には鉢金はちがねを巻いている。腰にぶら下げているのは太刀たちであり、手に持っているのは槍である。まるで日本の足軽あしがるのような出で立ちであった。


 直感的に直時は「逃げなくては」と、思った。ところが、脚がもつれて転倒してしまい、周りの草ががさりと音を立てた。ゴブリンのような生き物たちはきょろきょろと辺りを見渡し、間もなく直時を発見した。耳障りな濁声だみごえでぎゃあぎゃあと騒ぎ始める。

「ナンダ! アノ チイサイ ヤツ! コビト! コビト!」

「ツカマエロ! ツカマエテ コロセ!」

 巨大な異形は腰に手をかけ、太刀を抜き放った。

「キッテヤル!」

 直時は慌てて立ち上がり、一目散に駆け出した。直時が全力で駆けるその後ろを建築現場の鉄骨のような太刀が追いかけてきた。この生き物は直時をいたぶっているようだ。げらげらと不愉快な哄笑を上げながら直時を追いかけ回す。

「どっ、どうしてこんな! なにがどうなってるんだ! わっ!」

 直時は崖から身を投げ出していた。足場が失われたことに気付いた瞬間、心臓が縮み上がり、呼吸が止まった。冷や汗と脂汗が同時に噴き出す不快感が全身を縛り上げた。

「あ、え?」

 直時は崖から落下しておらず、宙に浮いたままであった。眼下には岩場が広がっているが足下には何もない。直時自身はむろんのこと、ゴブリンのような生き物も喫驚した。

「トンデル! トンデル!」

「ユミ ダ! ユミ モッテコイ!」

 直時はその声に我にかえった。

「と、とにかく逃げよう!」

 直時はじたばたと手足を掻き、必死に空中に逃れた。


 宙で手足をばたつかせながら直時は至極もっともな疑問を抱いた。

「どういうことだ!? なぜぼくは宙に浮いているんだ!?」

 答えが得られないまま直時は宙でクロールのまね事を続けた。しかし、そのような激しい運動を長く続けられるはずもなかった。息が上がり、手足が動かなくなってくる。

「つ、疲れた。どこかに降りよう。でも、ど、どうすればいいんだわああっ!」

 直時が降りようと思った瞬間、彼の体は急降下を始めた。地表が凄まじい速度で近づいてくる。

「ま、待て待て待て! 止まれ止まれ止まれー!」

 直時の絶叫とともに彼の体は急停止した。

「と、止まった……」

 直時は一息ついた。

「降りたいと思ったら降りたし、止まれと思ったら止まったぞ。これは……ぼくの意思で飛べるということなのか……?」

 自分はやはり頭でも打って、夢を見ているのだろうか。先ほどの生き物といい、宙を飛んだことといい、夢としか考えられない。しかし、いくら起きようとしても、待ってみても、全く何も起きない。

「あー……」

 直時は考えることをやめた。どうせこれは夢だ。ならば、夢が覚めるまでのんびりしていればいいではないか。風はさわやかで、心地が良かった。

「サッキ ノ コビト コノアタリ ニ オチタゾ!」

「サガセ サガセ」

「ツカマエテ キリキザンデ ヤル! ギャハ ギャハ」

 さきほどの生き物が近づいてくるようだ。こうなると、のんびりしていられない。直時は確信は持てなかったが、宙の一点を見つめ、そこに向かって体を引き寄せるように念じた。

「!」

 直時の体は空中にあった。

「やっぱりそうか……なら、次はあの木に向かって飛ぼう。あの生き物から離れないと」

 直時は空中を滑るように移動し、樹木の枝葉の中に隠れた。幸い、ゴブリンによく似た正体不明の生き物は、直時の眼下を通り過ぎていった。


 直時が自らの意思で飛び回れるようになるまで、それほど時間はかからなかった。

 その飛行は重力や慣性の存在を嘲笑うかのようで、まさしく自由自在であった。鳥や昆虫、飛行機やヘリコプターとも異なる、異様な飛び方も可能だった。

 最高速度は時速で五十キロほども出るだろうか。高度の上限は地表から五十メートルほどである。

「はは……。さっきの生き物がゴブリンならぼくはフェアリーかな? はねこそ生えてはいないけど、この小さな体に飛ぶ能力。アニメにでてくるマスコットキャラじゃないか……。まあ、アニメみたいにかわいい女の子じゃないからマスコットにもなれないか……ん?」

 直時は何か影のようなものがぴったりと自分に追随しているのに気付いた。

「お、おい! なんだこれ! おい! お……い……?」

 自らの影に怯える犬や猫のように逃げ惑った直時であったが、その正体はすぐに知れた。

「なんだ、ただの小石じゃないか……小石がなんで飛んでるんだ? しかもぼくの飛行についてくるぞ?」

 飛行に任意の物体を付随させることが可能だったのである。大きさはサッカーボール程度、重さは一キログラム程度の物体であれば、直時の飛行にぴったりと着いてくるのだ。ただ、物体は付随するだけで、これを自由意思で動かすことは不可能だった。

 

 飛行と物体付随のすべを身に着けて一息ついた直時は、荷物を置いてきたままなのを思い出した。

「しまったなあ……あそこに戻るのは怖いけど仕方ない。上から様子を探ってみよう」

 直時はさきほどの場所に取って返した。上空から辺りを見渡し、安全を確認して地上に近づく。

「ああっ!」

 直時は荷物が荒らされ、破壊されているのを見て、愕然と悄然を同時に味わわされた。さっきの生き物の仕業に違いない。

「なんでこんな……。ああ、カメラが……。携帯もだめか……」

 破壊された荷物を見て、直時はがくりと膝をついた。途方に暮れるとはこういうことだろうか。気力が湧かない。立ち上がれもしない。

「一体なんなんだここは……。誰がぼくをこんなところに? どうしてこんな体に? どうして飛べるんだ?」

 疑問符の乱舞が頭の中で始まった。しかし、回答は出せなかったし、誰も答えを教えてはくれなかった。

 どのみち、ここにいるのは危険だ。さっきの生き物が戻って来ないとも限らない。直時はふわりと浮き上がってあてのない探索に出た。


 眼下の風景は日本の山野によく似ている。山がちで、そこかしこに渓流が見える。豊かな山林はそろそろ茜色や山吹色に色づき始めており、風は少し冷たかった。直時には景色を愛でる余裕などありはしなかったが……。

 ようやく、直時は一本の道を見つけた。舗装もされていない道ではあったが、道があるということは誰かいるのだろう。直時は半泣きになりながら、とにかく道に沿って飛ぶことにした。

 しばらくして、喚声が聞こえてきた。それも大人数である。催事などではなく、どちらかというと暴力的な喚声である。堅く握った拳に汗が滲んだ。しかし、行ってみないわけにもいかない。直時は慎重に、急いで声の方向に向かった。

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