俺を見て
放課後の美術室は、窓から差し込む西日のせいで壁が淡く夕色に染まっていた。
カーテンがひんやりとした風に揺れ、光が机の上を静かに滑っていく。
文化祭でホログラムフィールドを借りられることになり、ロマはミカソ先輩に提案した。
「みんなでライブペイントしてみませんか?」
ミカソ先輩は微笑んで言った。
「面白そうね、今までにないことができそう!」
こうして、美術部全員でのパフォーマンスが決まった。
けれどその日、ロマの心は絵とは別のところにあった。
シキが絵の具を調合している。
筆を持つ指先、色を混ぜる動き、キャンバスに浮かぶ新しい色。
そのひとつひとつに目を奪われた。
体育の授業でシキに助けられたときのことを思い出し、頬が熱を帯びる。
でも、こんな気持ち……もしばれたら気持ち悪いと思われる……。
シキの所作はどれも美しく、欠けたところがひとつもないように見えた。
気づくと筆が止まっていた。
慌ててキャンバスに向き直るが、今描いていた線の意味が思い出せない。
胸の奥がざわついて、絵に集中できなかった。
* * *
少し離れた席で、ルキはその様子を静かに見ていた。
視線は冷静を装っていたが、胸の内は波立っている。
ロマの微笑みが、自分ではなくシキへ向かっていることに気づいてしまったからだ。
「ルキ君、今日も描くのはやいね」
ロマの声に、ルキは小さく笑って頷いた。
「まあね。それだけが取り柄みたいなもん」
「そんなことないよ、細かい描写も得意じゃん」
俺はいつも通り、ロマにうまく笑えているだろうか……。
* * *
その夜。
ルキは洗面台の鏡の前に立ち、自分の前髪を見つめていた。
長めの前髪が目元を隠し、伊達眼鏡が光を反射する。
それは“守るため”の仮面だった。
だが今、その仮面の下で息苦しさを覚えていた。
「……ロマは俺の全部を認めてくれるって言ってくれた。それなのに、俺自身が俺を認めなくちゃ何も変われないじゃないか!」
そう呟き、ハサミを手に取る。
ジャキン、と髪が切れる音が次々と夜の静寂に消えていく。
眼鏡を外すと、ラベンダー色の瞳が真正面から自分を映す。
鏡の中の顔は、父に似ていた。
自分の顔なのに、見るのが怖い。
「前髪切ったのね。すごく素敵よ」
母の優しい声が背後から聞こえた。
けれど鏡に映る笑顔の奥に、母が“父”を見ているように思えた。
誰も、俺のことを見てくれない。
誰かに認めてほしくて始めた、キールとしてのライブペイント動画の投稿。
声も出さず、後ろ姿や横顔だけの配信なのに、ありがたいことに今の登録者は数千人を超えた。
けれど、それでも心は満たされなかった。
一番に認めてほしかったのは、両親だった。
でも、初期の頃からずっとコメントをくれたり応援してくれていた人がロマだと知ったとき――胸の奥が熱くなった。
俺のライブペイント動画で元気をもらったと言ってくれて、本当に嬉しかった。
無愛想だし、長い前髪のせいで表情が見えにくい俺を……それでも気にかけてくれて。
ロマには俺を見ていてほしい。
その気持ちは、今も強くなっていくばかりだ。
* * *
翌朝。
パルフェ学園へ向かう道を歩きながら、ルキはまだ伊達眼鏡をかけていた。
眼鏡を外す勇気が、あと少し足りなかった。
このお守りがないと、なんだか落ち着かない。
しかし、教室に入る前にそのお守りを外した。
そして教室の扉を開けた瞬間、ざわめきが広がった。
「えっ、ルキ君だよね……?」
「前髪切ったんだ!!」
「眼鏡してない!」
「雰囲気、全然違うな! かっこいいー!」
頬が熱くなる。
やっぱり恥ずかしい。
それでも、ロマに振り向いてもらうためにここまで頑張ったんだ。
周囲の視線が集まり、クラスメイトたちが次々に話しかけてくる。
ほんの少し前まで気味悪がっていたくせに。
見た目が変わっただけで、こんなにも態度が違うのか。
……虫唾が走る。
そんな思いが胸の奥を掠め、苦笑いが漏れた。
早く、ロマの席へ行きたいのに。
クラスメイトの間を抜け、ロマと目が合う。
「おはよう! ……ルキ君、前髪切ったんだね。格好いいよ! 隠さなくて大丈夫になったんだね」
「おはよ。大丈夫ってほどじゃないけど、前に進まなきゃって思えたから」
「そうなんだ」
ロマは微笑んだ。
「うん」
全部、ロマのおかげなんだよ。
その言葉は、飲み込んでしまった。
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