K君を追いかける怪談
K君が走り去るのを呆然と見送ったあと。
しばらくして、私はふと思い出したように隣を見る。
あの小学生が、まだそこにいた。
誰にうながされたわけでもなく、小さく口を開いた。
「その遠足で行った池でね、その池のところをね、夜に歩いてたらね――」
その口ぶりに、私は思わず背筋が寒くなった。
「それで、どうしたの?」
私は恐る恐る続きを促した。
だが、小学生は途中で言葉を飲みこんだ。困ったように顔をそらす。
ふと、遠くから声が飛んでくる。
「おーい、もう行くよー!」
友達の呼ぶ声に、子どもは「あっ」と顔を上げた。
私を見て、何か言いかけるようにして……やめた。
そして、くるりと背を向けて、跳ねるように駆けていった。
私はふっと息をついた。
急に怪談話を始めたと思ったら、走っていってしまった。
何かもう語る必要がなくなったかのようだった。
足元を見ると、さっきかかったしぶきが乾かずに残っていた。
その小さな水たまりの中に、私の顔がぼんやりと揺れていた。
そう時間を置かずにバスが来た。
私は何度も背後を振り返ってしまったが、もちろんK君が戻ってくるはずもない。
家に帰っても、胸のあたりに重たいものが残っていた。
K君の苦悶の表情が頭から離れない。あの叫び声も、耳にこびりついて取れない。
居ても立ってもいられず、夕食の準備をしている母のそばに座った。
「今日、バス停でK君に会ったよ」
「K君? 懐かしいわね。元気だった?」
母は包丁を動かしながら答える。私は、どう説明したらいいか迷った。
「うーん……なんだか、様子がおかしかったんだ」
「そう……」
母は手を止めて、思い出したように振り返った。
「そういえば、K君と仲のよかった子が亡くなったわね。池でおぼれたんだって。ほら、あんたも遠足で行ったことのある池よ」
心臓がドクンと大きく鳴った。
「去年の夏休み中だったかしら。二人で泳いでいて、一人だけ戻ってきたのよ」
「……」
「まあ、中学生じゃ仕方ないわよね。でも、K君はそれからずっと塞ぎ込んでるって聞いてるわ」
私は母の言葉を聞きながら、だんだん顔が青くなっていくのを感じた。
聞いたことがある気がした。確か、去年の夏休みに起きた事故だったはずだ。でも、その時はまさか知り合いが関係しているなんて思わなかった。
K君は、きっとひどく落ちこんだことだろう。親友を失って、しかも自分だけが助かってしまったという罪悪感。そんな彼に、よりによって池の怪談を語ったなんて。
でも……なぜ、話してしまったのか。
話すつもりなんてなかった。なのに、なぜか、あのときだけは話さなければいけないような気がしたのだ。
それが当然のように感じられた。
それにしてもあの池の怪談……私は、どこで知った? 誰に教えてもらった?
不安になって、地元の友達に何人か連絡を取ってみた。
「K君に最近会った?」
「ああ、ちょっと前に遊んでるとき友達と街で見かけたよ。なんか、変な話しちゃったんだけど」
「変な話?」
「なんつーのかな、池の怪談? 気づいたら勝手に話してたんだよ。おかしいよな。おしゃべりに夢中になってたら、口からよだれを垂らしちゃってさ、『ばっちいなお前!』って総ツッコミされて……で、なんでかその後ずっと池の話してた。あれ、なんだったんだろ」
心臓の鼓動が速くなる。まさか。
「どんな話?」
友人が語った内容は、私が話したものとまったく同じだった。水面に立つ少年、「見捨てたな」という呟き、「お前も水で死ぬ」という予言。
「他にも何人かが同じ話をK君にしてるみたいなんだ。雑談のつもりだったんだけど、気がつくと池の話になってて……変だよな」
別の友人に電話をかけた。
「もしもし、K君のことで聞きたいことがあるんだ」
「K? ああ、この前会ったよ。なんだか申し訳ないことをしちゃったんだけど」
「申し訳ないこと?」
「怪談話をしたんだ。池の……って、なんで俺はあんな話をしたんだろう。K、すごく嫌がってたのに」
同じだった。みんな同じ話をK君にしていた。
さらに何人かに連絡を取ったが、結果は変わらない。誰もが口を揃えて、そう言った。しかも、その怪談を「どこで知ったのか」「誰から教えられたのか」までは誰ひとり覚えていなかった。
語った理由も、出どころも、はっきりしない。けれど、みんながそれを語ってしまっていた。
まるで、その怪談が私たちを操って、K君を追い詰めているかのように。
しばらくして、風の噂でK君一家が引っ越したと聞いた。遠く離れた土地で、静かに暮らしているといい。
あの池の話を、もう誰からも聞かされることがない場所で。
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