第20話 守護者

 ラフィニアに誓いを捧げたあの夜から、すでに一週間が過ぎようとしていた。

 

 照り付ける陽光と、生暖かい風がこの世界の”夏”到来を予感させ、真上へと昇った太陽が、地面の影をより濃い色に染めていた。



 あの夜——激しく泣き崩れていたラフィニアも、今では以前の朗らかさを取り戻してくれている。


「ねぇ、アシュリーちゃん! この香茶こうちゃの葉、凄く良い香りだよ!」

「ん? あぁ……ホントだ。マーシーさんへのお土産はコレにするか?」

「うん! じゃあソフィアさんにも買ってこ?」

「いや待った……確かあの人、香茶にはうるさかったぞ?」


 俺とラフィニアは晴れ渡る空の下、市場通りで平和な一日を過ごしていた。


 最近の彼女は元気そのものに見える。少なくとも、俺にはそうとしか思えないほど自然に笑顔を浮かべている……。


 俺の”誓い”は彼女の支えになれたのか……。 その答えを知るのはラフィニアのみだ。



「アシュ、どうしたの? 具合悪い?」


 ——と、考えに耽っていた俺の視界いっぱいに、アメジスト色の瞳が迫っていた。


「おわっ!? ラフィ、近いって!」

「んふふふ♪ アシュってば、照れてる?」


 悪戯っぽい顔でラフィニアがさらに迫って来る。

 そのまま俺の額を頭で軽く小突いてから、ようやく一歩離れた。


「も、もう良いだろ!? それより、今日はソフィアさんに呼ばれてるんじゃなかったのかよ?」

「あ、そうだった! アシュリーちゃんとのお買い物が楽しくて、つい」


 そう言って買い物が入ったバスケットを肩にかけ、俺たちはソフィアさんの屋敷へと向かい始める。 

 少しの沈黙を挟んでラフィニアが澄み渡った青空を見上げる。

 そして足を止め、目を細めながらポツリと呟いた。


「楽しいね……。この時がずっと、続くと嬉しいな……」

「……あぁ。そう、だな」


 ここ数日、俺たちは間違いなく幸せだった。

 

 かつて、あの廃教会で俺が願った「人として暮らしたい」——その願いも叶っているはずだ。

 二人で朝の礼拝をこなし、ラフィニアは聖女修行。かたや俺はシスターたちに袋叩きにあいながらも、充実した一週間を過ごしていた。


 だが——それでも俺の胸中にはいつも、「不安」という一筋の影が落ちている。


 すると、魂の奥底で一つの存在が大きく脈打つ。


(——今は、静かにしていてくれ……アシュタロト)


 俺の思考に、クスクスと笑う声で答える。


『分かっておる。ただ、この平穏が破られた時——ラフィにも、キサマにも試練の時となろう。覚悟はしておけ、アシュリー』


 その声に俺は答えず、先を歩くラフィニアの背を静かに追った。



▽ ▽ ▽



 ソフィアさんの屋敷はデカい。当然、その庭も広大だ。

 正門を潜ってから正面玄関まで、いくつ庭園を見てきただろうか。


 ようやく大きな玄関扉に辿り着き、銀の取っ手を握ろうとした時——


「アシュリー、キミはこっちだ。ワタシに付き合って貰うぞ」


 横合いから凛とした声が届く。

 ターコイズブルーの髪から長い耳が覗き、同色の瞳が俺を凝視していた。


「ティミシアさん……どうしてここに?」 

「なに、キミに大事な用があるんだ」


 ティミシアさんは「付いてきてくれ」と踵を返すと、玄関前に佇んでいるラフィニアを見やる。


「ラフィニアは、ソフィアに呼ばれていただろう? アイツは書斎にいるはずだ。我々も後で合流する」


 そう言って、ティミシアさんは前庭にある緑のアーチを潜る。

 心なしか彼女の消えた先の生垣に、一瞬だけ影が落ちるような予感がした。


「悪い、そういう訳みたいだ。また後でな、ラフィ」

「う、うん……。また、後でね」


 そして俺はティミシアさんの後を追った——。




 緑の生垣が整然と並んだ庭。 

 それに沿って進むと、立派な純白の柱と青いラインの対比が美しいガゼボが目に入る。

 

 ふと感じた肌を刺すような感触。

 それが、ここら一帯に薄く張られた結界だと気が付くキッカケになった。


(肌がピリピリする……。この結界、ソフィアさんか?)


 周囲の音が薄らぎ、風の流れも遮断された。

 恐らく、簡単には近寄れない中庭だったりするんだろう。

 

 その庭の中央。ガゼボの中には丸いテーブルと椅子が置かれ、ティミシアさんが足を組んで座っている。

 

 俺が対面の椅子に座るや否や、彼女の口が言葉を紡ぐ。


「まどろっこしいのは無しだ。本題から入るぞ」

「は、はぁ……。分かりました」

「アシュリー、キミにはラフィニアの守護者クストスになってもらう」


 その言葉に、俺は息をのむ。

 だが、ティミシアさんの表情は真剣そのもの。冗談のようには思えなかった。


「あの? ……その守護者クストスというのは、何です?」

「……影から聖女ラフィニアを守るための”盾”であり、敵を屠る”剣”だ」

「影から……? それってどういう——」

 

 疑問を口に出そうとした時——突如、俺の胸を強い脈動がはしる。


(アシュタロト……?)


 俺の問いかけに、アシュタロトは冷笑で答えた。


『守護者、だと? ……コヤツら、キサマに『闇に沈め』——と言っておるぞ』


 その声は俺にしか聞こえない。

 だが、対面に座るティミシアさんは何かに勘付いたように笑みを深める。


「まさか、もう目覚めているのか……アシュタロト」

「……分かるんですか?」

「半分は勘だよ。もう半分は、ワタシにしか分からない”魔力の揺らぎ”からだな」


 長耳を細かく上下させながら、ティミシアさんの青緑色の瞳が俺を射抜く。


「アシュタロトは何と言っていた?」

「『闇に沈め、と言っている』、と……」

「そいつの言う通りだ。アシュリー、キミには表舞台からは降りて貰うことになるかもしれん……」


 そう言ったティミシアさんの表情は、憐憫の気配を滲ませている。


「守護者……そんな大役、俺に務まるん——」

「キミ以外には務まらん」


 ティミシアさんは俺の言葉を遮って言い切った。


「ラフィニアの力は強すぎる……。未だ覚醒していないが、それでも脅威だ。あの子に眠る”神の力”が暴走した時、抑えられる可能性があるのは——キミだけだ」


 一瞬の沈黙が落ちる。


「正確には、キミの中にいるアシュタロトだがな……」

「…………」


 その言葉を肯定するように、アシュタロトの鼓動がひときわ大きく刻まれた。


(そうか……。俺には、ラフィを守る力は……)


 俺の心境を見透かしたようにティミシアさんが鼻で笑った。


「勘違いするな? キミとアシュタロトはもはや一つに近い。あの悪魔の力はキミの力と同義なのだぞ」

「でも、俺では敵を倒せない。それに封印を破れませんし……」

「くくっ、封印か……それこそアシュタロトには絶対に無理なことだ。だが、キミなら……」


ティミシアさんが肩を揺らして笑う。

そして俺の首元にある封印具を指さす。


「ワタシの組んだソフィアの神聖魔法専用の魔法具。あれを揺るがしたのは、キミだ……アシュリー。もしかすると、キミは人でも悪魔でもない存在となって行くのかもしれん」

「意味が……分からないです」


 ティミシアさんは「今はそれでいい」と深く頷く。


 だがティミシアさんの言う通りなら、俺は“”として扱われるだろう。

 その可能性は、彼女も理解しているはずだ。

 

 それでも、俺は——


希望の象徴ラフィニアを、俺みたいな悪魔が守るなんて……皮肉な話ですね」

「強い光には、必ず闇が生まれる。それをキミが支配すればいい」


 小さく息を吐いたティミシアさんは「キミには、ある契約魔法を受け入れてもらう事になるが……」と哀れみの眼差しと言葉を向けてくる。


「……守護者のこと、ラフィニアには?」

「まだ伝えるな。あの子は優しすぎる。キミが置かれるであろう境遇を、あの子が見過ごせるとは思えん」


 賢者の言葉に、俺はわずかに拳を握った。


(ラフィにこの魂を捧げる……。俺は、そう誓ったはずだ)


 ティミシアさんは感情の凪いだ瞳で俺の答えを待っている。


 ほんの刹那の時——考えを巡らせたが、俺の答えなど初めから決まっていた。



「分かりました……俺は、ラフィニアの”盾”になってみせます」




▽ ▽ ▽



——三人称視点——



 一方その頃、聖都”サンクトゥス”の地下水路。


 湿り気を帯びた石壁に、橙色の灯りが揺れている。

 その光の届く境界で、男の低い声が響く。


「——我々、シュラングに動くように、との指令だ。聖教会にいる同士にも働くように伝えよ」


 フードを目深に被った男たちの一人が、机代わりの木箱に散らばる報告書を拾い上げる。

 その文面にはこうあった。


『対象A——魂と魔力反応に異常あり。神聖魔法に対し、何らかの干渉を確認。例の封印悪魔の可能性あり』


「……ふむ」


 老齢の男——グイードは薄く笑い、蝋燭の火を一つ吹き消した。

 そして、もう一枚の報告書を一瞥する。それこそが、彼らの目標たる少女のものだった。


「——ラフィニア・フィリウス。あの娘を孤立させるには、まず“”から折るのが早い」


 グイードの言葉に、周囲の男から報告があがる。


「聖都では既に、を各所に仕込んでいます。『修道女が悪魔に憑りつかれている』と」

「良い。ならば、あとは火の粉が燃え上がるのを待つだけだ」


 暗闇の奥で、蛇の紋章が刻まれた印章が妖しく光を放っていた。



 ——そして数日後。

 

 この帝国の暗躍こそラフィニアとアシュリーを引き裂く、最初の歯車が回った瞬間だった————。

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