第15話 勇者来訪の知らせ
まぶたの裏に、白い光が滲んでいる。
遠くで鳴る鐘の音が耳をくすぐり、微かに届く花の香りが嗅覚に訴えかけてくる。
「ん……ここ、は?」
目を開けると、そこは修道院の施療室だった。
白い天井と壁が陽光を反射して淡く輝いている。
—―と、首筋に鈍い痛みが走る。
反射的に手をやると、首の封印具がわずかに熱を帯びていた。
まるで心臓の鼓動のように規則的に仄かな熱を放っている。
「ようやく気が付きましたか、アシュリーさん」
静かな声がした方へと顔を向けると、椅子に腰かけたマーシーさんが俺を見ていた。
彼女の藍色の瞳がゆっくりと細められ、その表情はどこか安堵しているようにも見える。
マーシーさんが手に持った書類を机とへと静かに置いて立ち上がり、俺のいるベッドへと歩み寄る。
その顔には珍しく疲労の色が浮かび、凛とした表情を繕ってはいるが隠せていない。
それでもマーシーさんの姿勢は一分の乱れもなかった。
「マーシーさん、俺……あ、いや—―わたし」
「封印具の異常は見られません。ですが、わずかに揺らいだのです」
「——へ? 揺らいだ?」
マーシーさんの視線に力が籠る。
「はい。封印の構造自体は健在ですが……一時的にアナタの魔力が漏出しました。決して悪魔では干渉できない封印であるはずなのに……」
彼女は言葉を濁し、俺の首元—―封印具へと視線を落とす。
普通の首飾りのように白銀の小さな装飾の付いた封印具は、今では静かに沈黙している。
「ソフィア様の施した封印は絶対です。ですが、確かにあの時……」
マーシーさんの瞳が困惑したように揺れている。
そして、ほとんど独り言のような声音で呟いた。
「……悪魔では触れられないはずの封印魔法、それを超えた……。まさか、魂が変質し始めている……?」
俺にはその小さな声は、耳に届かなかった。
ふと視線を動かすと、傍らで眠るラフィニアの寝顔に気付く。俺は自然と安堵の息を吐いた。
「ラフィ……無事でよかった」
そう呟いた瞬間、胸の奥がかすかに疼いた。
まるで“誰か”が、心の底からこの感情を共有しているような……そんな感覚が胸の奥で小さな鼓動を刻む。
マーシーさんは踵を返し、書類を手に取りながら小さく微笑んだ。
「アシュリーさん。アナタの選択は間違いではありませんよ。……ただし、次は無茶をしないことです」
そう言い残し、机に散らばった書類と看病のための道具を片付けて背を向けた。
部屋の扉が閉まる直前、彼女の横顔に一瞬だけ影がさす。
その藍色の瞳は、修道女や指導役というよりも“監視者”の光が宿っていた。
▽ ▽ ▽
—―翌朝。
窓の外では、聖都の鐘が朝もやと共に朝を告げていた。
だが、それよりもラフィニアが手を握ってくる感触で目を覚ました。
ゆっくりと瞼を上げると、アメジスト色の瞳が俺を覗き込んでいた。
「アシュ、もう平気? マーシーさん、すごく心配してたよ?」
「あ、あぁ……。わた—―ごほんっ! 俺はもう平気だぞ? ほら!」
と、力こぶを見せるポーズを取るが、ラフィニアが笑いを堪えて肩を揺らしていた。
「もう、無理に”俺”って言わなくても良いのに~。可愛いアシュリーちゃん?」
「んなっ!? 可愛いとか言うなよ……。ラフィニアのが可愛いくせに……」
「ふぇ!? ちょ、ちち、ちょっとアシュ!?」
顔を真っ赤にしたラフィニアが動揺で目を回している。
—―と、そんなやり取りをしていると、扉がノックされる。
つい最近聞いた、男の声が優しく耳に触れた。
「失礼いたします。聖騎士団”第一小隊長”、グレイン・アルマンです」
現れたのは、駐屯所で出会った騎士だった。
今日は鎧姿ではなく、黒と白で纏められた軍服のような姿だ。
灰色の髪が歩みにあわせて緩やかに揺れ、穏やかな青い瞳が俺たちを見て細められる。
「アシュリー嬢、体調のほどは?」
「あ! はい……なんとか。昨日はとんだご迷惑を」
「いや、貴女が命を張って救った人々に代わって礼を言いたい。本当にありがとう」
そう言ってグレインさんは深々と頭を下げた。
彼は手に持っていた果物カゴを「良ければ貰ってくれ」と机に置いた。
俺はどうにも居心地が悪く感じ、無意識に頬を掻いている。
「い、いや……そんな大したことしてねぇ――」
「……アシュリーちゃん?」
「あっ、いえっ! わ、わたしは、ただ守りたかっただけでございます!」
慌てて言い直したものの、口を押えてラフィニアが「ふふっ」と吹き出している。
そして、いつの間にか部屋に戻っていたマーシーさんが静かに口を挟んだ。
「彼女、少々言葉遣いに難がありまして」
「……なるほど」
グレインさんは軽く笑い、優しく言葉を重ねる。
「けれど、その心は立派だ。どうか自分を責めないで欲しい」
「……っ!」
その声と言葉に、俺は一瞬だけ胸を衝かれる。
なぜか、妹を気遣ってくれる兄のような優しさと、頼もしさを感じていた。
その感情の理由を考えるより前に、グレインさんは軽く会釈をして踵を返す。
「また何かあれば、いつでも駐屯所に来てくれ。……お大事に」
静かに扉が閉まり、部屋に静寂が戻る。
「優しい人だね、グレインさん」
「……ああ、そうだな」
ラフィニアに向き直り答えてから、首元をそっと押さえる。
手の平の下で、封印具がかすかに脈打っている気がした。
だがその鼓動は妙に優しく、暖かさを感じるものだった————。
▽ ▽ ▽
施療院から無事、退院してから数日後の昼下がり——。
修道院の中は慌ただしく走る人たちの足音で満ちていた。
「どうしました? 騒々しいですよ?」
マーシーさんが底冷えするような低い声音で問いかけると、前を通ったシスターの肩が跳ね上がる。
「し、失礼しましたっ!」
「以後、気を付けなさい。……それで?」
「あ、はい! 実は、先ほど帝国から先触れの使者が来訪したらしくて……」
マーシーさんの目が
「レギアレン帝国、ですか……。要件は?」
「はい。何でも聖女ソフィア様への謁見を要求しているとかで……」
「ソフィア様に? 相手が誰かは聞いていますか?」
「えっと、エッケハ、エックハ? そんな感じの——」
「エッケハルト・ノーデンですか?」
「そうです! そんなお名前でした」
声音こそ平静を保っているが、マーシーさんの動揺が伝わって来る。顔色が急に悪くなり、瞳が細かく揺れていた。
「あの? マーシーさん。そのエッケハルトって人、ご存じなんですか?」
ラフィニアもマーシーさんの変化に気付いたようだ。心配するように顔を覗き込んでいる。
「……エッケハルト・ノーデン。レギアレン帝国が誇る特級戦力『四方の勇者』の一角です」
絞り出すようなマーシーさんの声に、横合いから声がかかる。
「氷壁の勇者。北の守護者。他にも通り名の多い奴でな——」
白髪に鋭い紺色の瞳——剣聖ドノバンが歩み寄って来ていた。
その後ろには、先程と同じ服装のグレインさんも帯同している。
ドノバンさんの、ただでさえ低い声がより重さを増して言葉を発する。
「奴がこの聖都サンクトゥスに来るらしい。しかも聖女を名指しでな……。
「ソフィア様は、応じるのですか?」
「応じざるを得んだろう。この聖都を氷河に閉ざす訳にもいかんからなぁ」
「…………そう、ですね」
ドノバンさんは俺とラフィニアを一瞬だけ見やると、すぐに光の差し込むステンドグラスへと視線を流した。
「カイの調べによると、かなり良くない話らしい」
「
「同席はするらしい。だが、すべてはエッケハルトと——」
剣聖の鋭い視線がコチラを——いや、ラフィニアを見据えた。
「嬢ちゃん次第になるかも知れん……」
ドノバンさんの言葉に、何かを察したマーシーさんが息をのむ気配がした。
ラフィニアは首を傾げて疑問符を頭に貼り付けている。
「え、え? どうして私? ねぇアシュ何か知ってる?」
「俺、さっきまで寝てただろ!? 俺だって聞きたいよ」
「それもそっかぁ」
「相変わらず天然だなぁ、お前……」
いつものやり取りだが、俺の胸中には嫌な予感が渦を巻いていた。
——北の勇者。
その単語に魂の奥底——アシュタロトの魂がざわつき、僅かな波紋を立てていた。
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