第10話 「光のカウンター」

その夜、「Bar Luminous」は

いつもより賑やかだった。

店の奥の棚には色とりどりのボトルが並び、

天井から吊るされた小さなシャンデリアが淡く光っている。

グラスの中の氷がカランと鳴る音、笑い声、

シェイカーを振る軽快なリズム。


——今日は麗子の誕生日だ。


 常連客たちが次々とやって来て、

カウンターは色とりどりの花束や小さな包みで埋まっていた。

派手な帽子をかぶった女性、スーツ姿の会社員、外国人カップル。

みんな笑顔で「おめでとう」と言い、

麗子はそのたびに肩をすくめながらも嬉しそうに受け取っていた。


 そんな中、少し遅れて悠が入ってきた。

「こんばんは、坊や。遅かったじゃない。」

「……仕事が長引いて。でも、これ。」

悠は紙袋から、ワイン色の小箱を取り出した。

「開けてもいい?」

「もちろん。」


 箱を開けると、中には銀色の小さなペンダント。トップには小さな星がひとつ刻まれていた。


「星……?」

「はい。ママの名前が“麗子”だから、光るものが似合うかなって。」

麗子はしばらく黙ってそれを見つめ、そっと指で撫でた。

「坊や、あんた……泣かせるじゃない。」


 二人の間に一瞬だけ静けさが落ちた。

周囲の賑わいは変わらないのに、そこだけ別の空気が流れているようだった。


 麗子はペンダントを手のひらに包み、グラスにシャンパンを注ぎながら言った。


「坊や、あなたはもう平凡じゃないわ。

平凡な人はね、こんな場所を自分の居場所にしないものよ。」


 悠は笑った。

「いや、自分はまだまだ普通ですよ。」

麗子は首を振る。

「違うわ。あんた、前はここに来た時、目が曇ってた。でも今は違う。ちゃんと、相手の顔を見て話してる。」


 悠はその言葉に、胸の奥がじんわり熱くなるのを感じた。

この一年、仕事で迷い、恋に敗れ、家族や友人と距離を測りながら——

そのたびにこのカウンターで、麗子の言葉に救われてきた。


「……俺、ママに会えてよかったです。」

「私もよ、坊や。」


 その瞬間、店の奥で誰かが

「ママ、ケーキ!」と叫んだ。

運ばれてきたのは真っ白な生クリームの

ホールケーキ。

中央には赤い文字で「Happy Birthday Reiko」と書かれている。

ろうそくの火が、シャンデリアの光と重なって揺れた。


 「さ、坊やも一緒に吹き消すわよ。」

「え、俺も?」

「そうよ、私だけの誕生日じゃないの。

 今日まであんたがここに通ってくれた記念日でもあるんだから。」


 二人は顔を見合わせ、笑いながらろうそくの火を吹き消した。

小さな煙が、ふわりと空に溶けていく。


 ケーキを切り分けながら、麗子がぽつりと言った。


「人はね、光の当たる場所に行こうとするものだけど……本当に大事なのは、自分が光を持って帰れるかどうかなのよ。」


 その言葉は、甘いケーキよりも深く悠の胸に染みた。

店を出ると、外の夜は相変わらず冷たかったが、

胸の奥には、カウンターの光が静かに灯っていた。




——これからも、この場所は自分の帰る場所だろう。

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