第21話 攻略開始


 ――数時間後。予定通り、金北山ダンジョンの攻略が始まった。


 万が一に備え、地上には数名を残し、俺たちは数十メートルもの深さを誇る縦穴を縄伝いに降下していく。


 底に到達すると、休憩もそこそこに隊列を整え、横穴を通じてダンジョン内部へと侵入した。


 その瞬間、空気ががらりと変わる。


 生臭い瘴気が鼻腔を刺し、肌に冷たい膜のような空気が張りついてくる。あちこちから呻き声が漏れた。


 俺の近くにいた真野が顔をしかめる。


「こんな瘴気、経験したことがない……赤坂さんは平気ですか?」


「平気ではないが、やり方次第でどうにでもなる」


「やり方、ですか? 何かコツでも?」


「呼吸を浅くして、回数を減らすんだ。吸い込む量が多ければ、それだけダメージも増す」


「なるほど……やってみます」


 真野が真剣な表情で呼吸を整える。

 俺は彼から視線を外し、周囲を見渡した。


(広いな……)


 F級やE級とは比べものにならない規模だ。通路の幅は五メートル以上、天井も十メートルを超えている。巨大な空洞が、果てなく続いているかのようだった。


 そのとき、テルミナが囁いた。


「長居はできないわよ」


「分かってる」


 俺は小さく応じた。


「隊の半分は瘴気にやられて脱落するだろう。奥まで辿り着けるのは……」


「何度も言うけど、戦闘は――」


「『誰の目にも触れてはいけない』、だろ。それも分かってる」


 吐き出すように言い、呼吸を整える。気を抜けば、あっと言う間に意識を持っていかれそうなほど、濃い瘴気だった。


 佐々木の号令が響いた。


「隊列を整えろ。一層から三層までは斥候が偵察済みだ。地図に従って進むぞ!」


 列をなした隊が動き出した。


 だが――。


 魔物の出現頻度は、予想を遥かに上回っていた。


 斥候の報告では何もなかったはずの通路から、突如として魔物が飛び出してきのだ。


「なんで魔物がこんなとこから出てくるんだッ!?」


「おい斥候ォ! ちゃんと偵察してんのか!」


「し、しました! さっきまでは確かに何も……!」


「言い訳はいい! 戦闘準備だッ!」


 佐々木の怒号が洞窟内に響く。


「支援隊は光源を持って散開! 広く展開して視界を確保しろ!」


「赤坂さん、お願いします! 私は物資の護衛に入ります!」


「分かった!」


 真野からランタンを受け取り、俺は闇へと走る。掲げた光が二足歩行の兎型魔物――ウェアラビットの姿を照らし出した。


 視界が開けると、覚醒者たちが武器を構えて突撃していく。


 その中には透花の姿もあった。


 彼女は、ほぼ初めての実戦に興奮し、冷静さを失っていた。


「う、うわああああ!!」


 声をあげながら振り回した剣は届かず、魔物は軽々と回避する。


「ああああッ!!」


 むやみやたらに剣を振り回すその動きは、もはや暴発に近い。近くにいた味方の頭上を剣先が掠め、周囲から悲鳴が上がった。


(……あのバカ!)


 舌打ちしながら、俺は透花のもとへと駆け寄った。


 背後から伸ばした手で、彼女の腕をがっちりと掴む。


「おい、何してんだ!」


「あ、赤坂さん……どうしてここに……」


「お前が味方を殺しかけてたからだよ! ふざけてる暇はねえぞ!」


「――ッ」


「父親みたいになりたいんだろ? だったら、ちゃんとやれ」


「……はい!」


 透花は深く息を吸い、剣を構え直した。


 ひゅん!


 狙いを済ました一撃が、ウェアラビットの胸元を切り裂く。まだ未熟だが、落ち着きを取り戻したその剣筋には、ようやく狙いが宿り始めていた。


 透花が落ち着いたことを確認した俺は、距離を取って戦線を離脱し、光源の確保へと戻った。


 そこへ土屋が駆け寄ってきた。


「赤坂さん、ご無事ですか?」


「ああ、なんとか」


「こちらも問題ありません。でも……何か、おかしいです。こんな通路、見たことが……」


「見間違いじゃないのか?」


「何度も確認した道です。絶対に、ありませんでした」


 俺は思案の末、尋ねる。


「聴覚感知を広げろ。近くで地面を掘る音はあるか?」


「やってみます」


 土屋は目を閉じ、静かに集中する。数秒後、目を見開き、緊迫した声で告げた。


「……隊の後方から、音がします!」


「行くぞ!」


 俺はすぐに駆け出した。土屋もすぐ後ろを追ってくる。


 物資を守る後方の覚醒者たちは、先頭集団の戦いを遠巻きに見守り、不安そうに固まっていた。


 その中には、真野の姿もある。


 俺に気づくと、目を見開いて声をかけてきた。


「赤坂さん?」


 その瞬間――真野の背後の壁が、不気味にボコリと膨らんだ。

 小さな穴が開き、その奥から爛々と輝く赤い瞳が、こちらを覗き込む。


「後ろだ!!」


 俺の叫びに反応し、土屋が短剣を投げ放つ。刃は寸分違わず穴へ吸い込まれ、直後、壁の奥から耳障りな悲鳴が響いた。


「い、いったい何が……!?」


奇襲アンブッシュだッ! 前方の戦闘は、囮だったんだよ!」


 言葉を発したほぼ同時、真野の背後の壁が崩れ落ちた。


 ぞろぞろ、ぞろぞろと――夥しい数のウェアラビットが、暗闇の中から現れた。

 その光景を前に、俺は確信した。


(これは……斥候の確認漏れなんかじゃないッ。このダンジョンは、今も魔物たちによって拡張され続けている……!)


「くそっ!」


 俺は物資の山へ駆け寄り、予備の松明を引き抜いた。指先を擦り合わせて火花を散らすと、すぐに炎が灯った。


 俺は出来た松明を、先頭のウェアラビットへ向かって叩きつけた。


「きゅ、きゅぃい!」


 炎に怯えた魔物が、甲高く鳴き声を上げる。


 その隙を逃さず、土屋がさらに短剣を投げ、前に出てきた数体を的確に仕留めた。


 俺も新たな松明に火を点け、再び群れの中へと放り投げる。


「無事か!」


 前方から数名の覚醒者が駆けつけてきた。どうやら背後の異変に気づいたらしい。

 土屋が声を張り上げる。


「魔物が横坑を掘り進めて、背後に回り込んできています! このままだと、挟み撃ちになります!」


「くそっ、小賢しい真似を……!」


 舌打ちとともに、応援に来た覚醒者のひとりが俺と入れ替わるように前へ出た。槍を構えて魔物を突き伏せ、そのまま横坑の入口を塞ぐように立ちはだかる。


(こっちは……どうにかなるな)


 俺は素早く辺りを見渡した。


 ランタンの光が届かない闇も、『暗視』の異能があれば問題ない。『危機察知』も沈黙している。今のところ、さらなる襲撃の兆候は見られなかった。


 ふと気がつけば、戦闘は収束に向かい始めていた。


 一時的に崩れた隊列も立て直され、魔物の群れはすでに制圧の流れに入っている。


「赤坂さん!」


 土屋の声に振り返る。


「大丈夫ですか!? 怪我は!?」


「ない。大丈夫だ」


 短く答えると、土屋はほっと安堵を滲ませた。


「よかった……。すみません、赤坂さんに言われるまで、まったく気づきませんでした。ありがとうございます」


「礼はいい。それよりも、地表からの深度が増すにつれて、巣穴の横坑も増えてきている。進めば進むほど、奇襲の頻度も高まるだろうし……それに」


 言いかけたところで、俺は口を噤んだ。


 巣穴に入ってからずっと、胸の内に巣食う違和感。まだ輪郭すら掴めないそれは、じわじわと意識の底を侵してくるような、そんな感覚だった。


「それに……?」


 沈黙を訝しんだのか、土屋が小首を傾げる。

 俺は首を横に振り、簡潔に返した。


「なんでもない。それより、このあたりで一度、隊列を見直したほうがいい。今回は運よく気づけたが、次は分からない」


「……分かりました。佐々木さんには私から進言しておきます」


 土屋は小さく頭を下げると、素早く隊の指揮官のもとへ駆けていった。


 しばらくして、佐々木に何かを伝えたのだろう。佐々木がちらりとこちらに目を向ける。


 その様子を見届けたとき、テルミナの声が耳元で囁いた。


「あなたの提案、受け入れられそう?」


「佐々木がまともならな」


 今の隊列は、前方に戦力を集中させた突撃陣形だ。


 地上近くのように横坑の少ない場所では有効だが、支援役バッファー回復役ヒーラーを後方に置く以上、奇襲には極めて脆い。


 まともな指揮官なら、ここで見直しを決断するはずだ。


「ふーん……まともならいいわね」


「どうだかな」


 そう呟いた直後だった。


「なにやってんだッ! こんなザマじゃ、足手まといだぞ!」


 隊列の前方から、怒号が飛んだ。


 周囲の視線が、一斉にそちらへ向かう。


 先頭では、中年の男性が、透花に対して剣呑な視線を向けていた。


「危うく死ぬところだったんだぞ! 分かってるのか!!」


 よく見れば、さきほど透花の暴走した剣が掠めた男だ。

 その怒声に、透花の小さな肩がびくりと震えた。


「す、すみません……」


 かすかな声で謝る透花に、男は苛立たしげに舌打ちする。


「謝れば済む問題じゃねぇだろ! こんなガキを連れてきた誰だよ、責任取れ!」


 言葉の鋭さが、まるでナイフのように透花に突き刺さる。まだ十二、三の子供に向けるには、あまりにも無慈悲な怒声だった。


(アイツ……)


 さすがに看過できず、俺が動こうとしたその瞬間――


「やめてください」


 静かな声が、列の前方から飛んだ。土屋だった。彼女は、灰色のジャケットを揺らしながら、まっすぐに二人のもとへと歩み寄った。


「彼女が未熟であることは、皆、承知のうえでここにいるはずです。それを責めるのではなく、どうすれば成長できるかを教えるべきではありませんか。……少なくとも、私はそう教わりました」


 普段と変わらぬ冷静な声色。だがその目は、冷えた刃のように鋭く光っていた。


 土屋の言葉に、中年の男は口を開きかけたが、周囲の空気に押され、何も言えなくなる。


 舌打ちをひとつ残して、男はそそくさと自分の持ち場へと去って行った。


 空気が緩んだのを感じたのか、透花が震える声で礼を言う。


「ありがとうございます」


「別に、気にしないで。あれくらいの失敗、誰にでもあるから」


「はい……」


 しゅんとした様子で透花が頷く。

 土屋はそんな彼女の肩をそっと叩くと、すぐに俺のもとへ戻ってきた。


「すみません、お待たせしました」


「大丈夫だ。それよりも、あいつは平気なのか?」


 俺が透花を一瞥すると、土屋は顔を曇らせる。


「あまり、良い状況ではありません。……直前の斥候で得た情報と、実際の地形のズレが続いていて、みんな神経を尖らせています。透花さんに対する不満も、出発前より大きくなっているようです」


「隊の後方に移せないのか?」


「本間さんの判断で、透花さんは後方支援に回ることになりました。……佐々木さんと少し揉めたようですが、最終的には佐々木さんが折れたそうです」


「そうか」


 俺は小さく息を吐いた。


 本間は、透花の参加に最後まで否定的だった。何かを隠しているのは確かだが、彼女を守りたいという想いだけは、どうやら本物らしい。


 今は戦うことより、まず場に慣れるべきだ。


 基礎も出来ていない段階で前線に立たせる意味はない。


「隊列の変更は?」


「はい。透花さん以外にも数名が後方支援に回されることになりました。さきほどの襲撃を受けて、警戒を強めたのでしょう」


「なるほど」


 合理的な判断だ。だが当然、先頭集団の戦力は薄くなる。

 それを指摘すると、土屋は小さくため息をついた。


「承知の上のようです。慎重に進む方針へ切り替えたんでしょう。……隊の進行速度も、さらに落ちると思います」


「深部に着くころには、正気を保ってる奴が何人残ってるか……見ものだな」


 皮肉交じりに言うと、土屋が静かに問いかけてきた。


「赤坂さんなら、どう動かしますか?」


「ん?」


「今のこの状況で、赤坂さんが指揮官だったら……どう部隊を動かしますか?」


「そうだな……。役割ごとに小隊を組んで、互いの姿をぎりぎり視認できる距離で展開させる。状況に応じて柔軟に支援、交代ができるようにな」


「機動力重視の編成ですね。高難度ダンジョンで採用される戦術だと聞きました」


 土屋は感心したように頷き、ふっと小さく息を吐いた。


「……赤坂さんが指揮官だったら良かったのに」


 その言葉に、俺は小さく肩をすくめるしかなかった。

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