第18話 異変
土屋が静かに話し始める。
「まず、ダンジョンについてお伝えします。あの場では言えませんでしたが、金北山に出現したダンジョンの調査中、内部で〝奇妙な音〟を聞きました」
「音?」
「地中を何かが這いずっているような音でした」
「魔物が地下を掘り進める音じゃないのか?」
ダンジョンの中で奇妙な音が聞こえることなど珍しくない。
かつては「ダンジョン内で死んだ人間の霊が彷徨っている」とも噂されたが、今ではそれが、ダンジョンを拡張する魔物の音であると判明している。
今となっては新人をからかうネタ程度のものに過ぎなかった。
しかし、土屋は首を横に振る。
「違うと思います。普通のダンジョンなら珍しくない音ですが、あの音は……金北山でしか聞こえないんです」
「なぜ、それをあの場で共有しなかった?」
「本間さんに止められました。『不安を煽るな』と」
俺は眉をひそめた。
「どういう理由で?」
「分かりません。ただ……」
土屋は一瞬、言葉を探すように間を置き、それから続けた。
「まるで、あの音が〝ただの雑音ではない〟と、知っているかのような口ぶりでした」
俺は小さく舌打ちする。
「……何かを隠してるな。分かった、俺の方でも警戒しておく」
「お願いします。私も、できる限り耳を澄ませておきます」
土屋の顔に、淡い緊張が走った。
俺は頷き、話題を切り替える。
「それで……佐々木洋平について、だったな?」
「はい。赤坂さんは、彼について何かご存知ですか?」
「詳しいことは知らない。ただ、氷室が覚醒するまでは島で一番の覚醒者だったらしい。今は透花に、妙なライバル意識を抱いている。……それくらいだ」
土屋は、静かに息を整える。
「――それで十分です」
短いその言葉の裏に、重い含みを感じた。
「彼は今、透花さんを前線に立たせようとしています。理由は『実戦経験を積ませるため』……一見正しいことのように聞こえますが」
そこまで言って、土屋は小さく首を振った。
「本当の狙いは、違います」
「……違う、ね」
俺が言葉を重ねると、土屋は口を引き結び、低く続けた。
「彼女が、自分より上なのかどうか。それを、あの人は確かめたいだけです」
土屋の声には、抑えきれない憤りが滲んでいた。
「そして、もし透花さんが前線で失敗すれば、『やはり実戦経験が足りなかった』と堂々と言える。あくまで透花さん自身の責任にして、己の立場を守ろうとするはずです」
俺は小さく鼻を鳴らした。
勝っても負けても、自分の地位だけは傷つかないように仕組まれている。
あまりにも浅ましいやり口だった。
しかも、その相手はまだ子供だ。
「……あいつ、本気でやるつもりか」
「はい」
土屋は静かに頷いた。
「透花さんは、佐々木さんにとって――いずれ自分を追い越し、立場を脅かすかもしれない存在です。今のうちに、その芽を摘んでおきたい。……たとえ、どんな手を使ってでも」
土屋は静かに言った。
その瞳には、確かな怒りと憂いが混じっていた。
「私は、透花さんを守りたいと思っています。ですが、私一人では力が足りません。どうか……赤坂さんも、力を貸してください」
彼女の真摯な声を受け止め、俺はゆっくりと息を吐いた。
「その前に、ひとつだけ聞かせろ」
俺は視線を鋭く向ける。
「お前は、本当に氷室透花の味方か?」
「味方……ですか?」
土屋は一度、言葉を飲み込むようにして応じた。
「惚けるなよ。お前たちは、あいつがA級覚醒者だと知っていながら、ずっと戦わせようとしなかっただろ」
その行動が、俺はずっと引っかかっていた。未熟だから、では説明がつかない。不自然なまでの遠ざけ方だった。
「何を隠している?」
土屋はしばし俺の視線を受け止め、それからようやく重い口を開いた。
「……あの子は、この島の〝英雄の娘〟です」
「英雄の娘?」
「ええ。十年前、近海に魔物が現れたとき、迎撃に立った覚醒者たちの中に、彼女の父がいました」
そう言うと、土屋は静かに語り始めた。
――十年前。
島を襲った魔物の群れに対し、島に残る覚醒者たちは命を懸けて戦った。その先頭に立っていたのが、氷室透花の父だった。島で唯一のB級覚醒者だった彼は、最後まで戦い抜き、そして命を落とした。
生還したのは、当時まだ若かった本間五郎ただ一人だったという。
「島の人々は、透花さんの父に命を救われたんです。だからこそ、彼女が覚醒したとき――喜びよりも、戸惑いが勝った」
土屋は静かに言葉を継いだ。
「命の恩人の娘を、また戦場に立たせていいのか。……その葛藤が、島の覚醒者たち全員にあったんです」
それは「守る」という大義で取り繕われた、過去の呪いだ。彼らは透花を戦わせないために、あらゆる手を尽くしてきた。
だがそれは、彼女自身の意志とは無関係なものだった。
「……本間さんは、彼女を守ることで、自分の贖罪を果たそうとしているんです」
土屋は目を伏せ、微かに拳を震わせながら続けた。
「でも私は、透花さんを〝未来を担う覚醒者〟として見ていたい。彼女に与えられた力を、眠らせたままにしておくのは、何よりも残酷なことだと思うんです」
彼女の指先が、小さく震えている。
かつて、守れなかったものへの痛みが、彼女の言葉を支えているのだと、そのときふと感じた。
そんなことを考えていると、ふいに、土屋はぽつりと零す。
「……昔、守れなかった子がいたんです」
その声はかすかだったが、確かな重みを持っていた。
「あの子も、『誰かの役に立ちたい』って、同じことを言っていました」
それ以上、彼女は語らなかった。
だが、それだけで十分だった。
過去の悔いと少女への想いが、彼女の中で確かに重なっている。
土屋は、透花を〝誰かの代わり〟としてではなく、〝透花自身〟として見ている――それが、痛いほど伝わってきた。
土屋は、静かに前を向く。
「透花さんが戦いたいのは、誰かに称賛されたいからでも、自分を誇示したいからでもありません。ただ、誰かの力になりたい――それだけなんです。……未熟だからと、その想いごと否定してしまったら、彼女を二度、傷つけることになる」
土屋の声には、迷いのない決意が宿っていた。
俺はしばし黙考し、それから小さく息を吐く。
「……分かった。できる範囲でな」
「ありがとうございます」
土屋は深く頭を下げた。
俺は視線を逸らし、話題を切り替える。
「ところで――ひとつ頼みがある。金北山に向かうまでの間に、オーガかトロールの死体を用意できないか?」
「魔物の死体、ですか? 理由を訊いても……?」
「保険だ。俺なりの準備がある」
土屋は少し思案してから、静かに頷いた。
「分かりました。最善は尽くします。ただ……あのクラスの死体はそう簡単には手に入りません。約束はできませんが」
「出来ればでいい。無理なら別の手を考える」
そう言いながら、俺はゆっくりと腰を上げた。
(……今できるのは、これくらいか。何もせず突っ込むよりは、ずっとマシだ)
月明かりに照らされる土屋に一瞥を送り、俺は夜の闇へと歩み出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます