誕生
次の瞬間、私と大ジィ様は人間界にいた。
白亜の大きな建物を透り抜けた先には
「分娩室」
そして目の前にはあの、鏡に映っていた女性が分娩台のシートに身体を預け、踏ん張っている。
プレートの名は『澤井 奈緒』
彼女が母親なのか。
「澤井さん! もう少しですよ、もう少しで頭が出ますから頑張って!」
「呼吸して!」
子宮口を確かめながら、看護師が声をかける。
奈緒は顔を真っ赤にして、浅く息をしながら次のいきみに備えた。
「ん、んんんーーーっ!」
「出て来ました、もう一息ですよ!!」
おそらく奈緒にとっては痛みと苦しみのピークであろう。
私は子供を産んだことがない。だからこうして人のお産を見るのは初めてだ。
上下する胸、苦しげな息遣い、アームを握りしめる腕。見ているだけで力が入る。
「はッ、はッ、はッ、、、」
奈緒は健気に呼吸法を繰り返すが、相当疲れているようだ。
もう少しで出て来そうなのに、最後の一息が難関であった。母体も疲れているが、産道を通っている赤ん坊も苦しいと聞く。
何か私にできることはないのか。
「はッ、はッ、はッ、、、母さん」
そのとき。奈緒が呟いた
「母さん、、、助けて」
そのとき。奈緒の傍にゆらり、女性が現れた。 ワンピース姿の、奈緒に目元がよく似た女性である。
『奈緒、ここにいる。母さんはここにいるよ』
「母さん、、、」
奈緒は目を瞑って、母を呼ぶ。
『ちゃんと見てるから。ここにいるから頑張って』
奈緒の腹部に手の平をそっと滑らせる。それが合図のように、大きな波が来た。奈緒は息を吸い込んで、
「澤井さん、はい、いきんで!!」
・・・一瞬。奈緒の下腹部が輝いたように見えた。そして、
「生まれましたよー!!」
けほっ、けほっと咳き込んだ後、小さいが力強い、赤ん坊の泣き声が部屋に響き渡った。
「おめでとうございます! 2850グラム。元気な女の子ですよ」
安堵と歓喜。看護師に抱かれたその子の遥か頭上から、暖かな光が羽のように降る。
…これは。 天からの祝福。
くしゃくしゃの赤い顔のベビーが奈緒の腕に渡された。
「あぁ…。」
「奈緒!」
入って来たのは夫だろう。夫の隣には、小さな男の子が立っている。
「寛くん。洸」
「奈緒、お疲れさま。ありがとう」
「女の子よ。洸、妹だよ」
奈緒の瞳は充血していたが、満ち足りて潤んでいた。
三人が新しい家族を取り囲み、一歩離れて私たちが見守っている。
奈緒の母親は無事に産まれた赤ん坊と、慶びに浸る三人を静かに見守った後、私に向き直った。
「あの。あなたはあの子の?…」
「はい、守護に付きます」
「そうですか。どうか奈緒の娘を…私の孫を、よろしくお願いします」
深々と頭を下げた。
私は恐縮し、慌てて頭を下げた。
「産まれるまで…生きていられたら良かったんですが。けれど無事、産まれてよかった」
奈緒の母親は病気で、先だって産まれた孫の誕生を待たずに逝ってしまったのだ。
「間に合ってよかった」
隣に着物姿の男が立っていた。裾を端折り、下に股引きを履いている。被っていた編傘を外しながら、
「奈緒ちゃんを元気付けてもらおうと、史緒さんを呼びに行ってて」
汗だくの顔を首元の手拭いで拭く。
「あたしは五郎八です。奈緒ちゃんに付いております」
歳の頃は三十五、六の、町人風の男である。
挨拶を終えると、吸い寄せられるように取り囲まれた赤ん坊に目がいった。
生まれた直後は気づかなかったが、何やらぼんやりとこの子の周りが色づいている。いや、あの子が発しているのか。あれは。
「見えるか。あれはオーラだ」
私の後ろから大ジィ様が言った。
オーラ。オーラだったのか。 …いや、修行していた時も見えてはいた。だが、こんなに小さい時から発せられるものなのか。
そして、私が目を惹かれたのはその色。
透き通った薄紅色がゆらゆらと揺らぐ。
真っ赤ではない、ほんのりとピンクがかった美しい、優しい色。
「…おまえに、似ておるな」
大ジィ様が言った。
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