仏教の神様を推す、そしてバンコクへ行く
ミド
2024年5月、帝釈天について知る必要が生じる
そもそも、何故私が帝釈天に興味を持ったかというと、当時のんびりと更新していた小説に発端がある。当時の私はゲーム実況配信者の主人公が(実在しない)ゲームの体験版を毎日プレイしていくというストーリーを書いていた。作中に登場する架空ゲーム「ダルマパーラ」の主人公の父として帝釈天を登場させようと思った。
ここで、実在した人物だったり実在の架空の人物だったりを登場させるにあたっては、一応ざっとキャラクターをおさらいし直す必要がある気がした。まあ私は漫画「聖伝」も読んだし子供の頃にインド神話も読んだ、おまけに割と最近(当時)博物館で法然と極楽浄土に関する展示も見た。もっというとちょっと前(当時)、チベット仏教の小僧さんの出てくる話も書いた。だからまあ、Wikipediaを日・英と眺めるだけで話は良い感じにできるだろ……
……そうは、ならなかった。英語版の記事はそれまでの私の認識と、なにかが違ったのだ。
……なんだこれ???
なんだこれ。
いやまあ、とりあえず架空ゲーム実況の話は当初のプロット通りいくけど……
ちょっとわからないので、何が起きているのか知りたい。
そこからは暫く色々読んだ。ジャータカ、ダンマパダ、スッタニパータ、ブッダ悪魔との対話(サンユッタニカーヤ有偈篇)、大般涅槃経、原始仏典など。あと初期仏教の解説書を何冊か。
帝釈天は雨を降らせ、善人を必要な時だけ手助けし、無益な争いを好まず、人間や他の神々から敬われ、釈迦と出家者がに敬意を払う神だった。それでいて実際に戦になると必ず勝つらしいので、凄く有能な神だ。なのに自分の限界(死)を自覚しており釈迦に解脱の方法を聞きにいくのか……釈迦は人間なので寿命は百年もないし(釈迦の生命については後に仏教における解釈が変わる)ちょっと病気や大怪我があれば死ぬのに。なんだかこの二人の関係性、素敵だな。
これが、私が彼を推し始めた瞬間である。
さて、上に挙げた各本を読みながらふと思った。
……なんかこれ、私が「良い感じの異世界ってのを書いてみたいな」と思ってた(上手く書けなかった)時に必要だった気がする世界観だ。いや、今からでも遅くない。仏教で創作、やってみるか……
そして、まず「雪山奇談」が生まれた。
さらに現在連載中の「金剛の天帝」が始まった。こちらは帝釈天が釈迦と出会うまでの物語である。
(続く)
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