【筋力S++】脳筋賢者の成り上がりっ!〜魔法?いいえ、フィジカルです。脳まで筋肉だと誰が言った?〜

境界セン

第1話 賢者とゴーレムと理想の負荷

「――ハッ!」


静寂が支配する賢者の塔、その最上階。

床に描かれた複雑怪奇な古代魔法陣の中心で、一人の男が奇妙なポーズをとっていた。

名をジン・アームストロング。人々が畏敬と尊崇を込めて『大賢者』と呼ぶ、この国で最も偉大な魔法使いである。


彼の姿は、しかし、世間のイメージする賢者像とはかけ離れていた。

ローブはとっくに脱ぎ捨てられ、露わになった肉体は、まるで彫刻家が精魂込めて削り出したかのような筋肉の鎧で覆われている。

片足で立ち、両腕を水平に広げ、天を仰ぐその姿は、祈りや瞑想というよりは、むしろ苦行に近い。


「……またやってる」


部屋の隅のソファで本を読んでいた少女、リリアが呆れを隠せない声で呟いた。

白銀の髪を持つ美しいエルフである彼女は、ジンの弟子であり、監視役であり、そして唯一無二のツッコミ役だ。


「ジン様、お願いですから、その古代遺物の上で変なポーズをとるのはやめていただけませんか? それ、一万年以上前の超危険な封印魔法陣なんですけど」

「む、リリアか。これは変なポーズではないぞ。『大胸筋と広背筋に同時に語りかけるための究極の体幹トレーニング』だ。この魔法陣の傾斜が、実に絶妙な負荷を生み出してくれる」

「傾斜なんてありません! ただの平らな床です!」


私の視力がついに狂ったのだろうか。いや、狂っているのはこの人の方だ。

リリアはこめかみを押さえた。この師にして賢者である男は、世界を救うほどの魔力を持ちながら、その力の源が全て「筋肉」にあると信じて疑わない、正真正銘の『脳筋』なのだ。


「そもそも、そんなことしなくてもジン様の魔法があれば……」

「魔法は小手先だ、リリア。真の力とは、己の内なる筋肉との対話から生まれる。さあ、お前もやってみるか? この『天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)ポーズ』を」

「絶対にお断りします! そんな恥ずかしい名前のポーズ、できるわけないでしょう!」


リリアが叫んだ、その時だった。

バタバタバタッ!

けたたましい足音と共に、息を切らした王宮の伝令兵が部屋に転がり込んできた。


「た、大変です、大賢者様!」

「む? どうした、そんなに慌てて。さては貴公、走り込みの後のクールダウンを怠ったな? 良くないぞ、筋肉が悲鳴をあげている」

「筋肉はどうでもいいんです! それどころではありません!」


伝令兵は涙目で訴える。

その必死の形相に、ジンはようやくポーズを解き、真面目な顔で向き直った。


「エンシェントゴーレムが……古代の兵器が、王都に向かって……!」

「ゴーレムだと?」


リリアの顔色が変わる。エンシェントゴーレム。それは、古代文明が作り出した自律型の破壊兵器。その硬度は生半可な魔法や物理攻撃を一切通さない、まさに歩く要塞だ。


「よし、リリア、行くぞ」

「はいっ!」


ジンは床に脱ぎ捨てていたローブをひょいと肩にかける。

その瞬間、彼の雰囲気が変わった。ただの筋トレ馬鹿から、人々が頼る『大賢者』の顔へ。

(……この切り替えの早さだけは、本当に尊敬できるのよね)

リリアは心の中で少しだけ感心しながら、彼の後に続いた。



王都の城門前は、地獄絵図と化していた。

高さ20メートルはあろうかという巨大な岩の巨人が、のっしのっしと大地を揺らしながら迫ってくる。

ゴーレムの腕が一振りされるたびに、衝撃波が走り、騎士たちが木の葉のように吹き飛ばされた。


「だ、だめだ! 攻撃が全く通じない!」

「総員、退避ー!」


騎士団が誇る精鋭たちも、なすすべなく後退していく。

その絶望的な光景の最前線に、一人の男が立っていた。


「くっ……! 我が王国最強の魔法、受けてみよ! 『プロミネンス・バースト』!」


王宮筆頭魔導士、ゼクス・フォン・エリート。

プライドだけはエベレストより高いエリート魔術師である彼が放った極大火炎魔法が、ゴーレムに直撃する。

凄まじい爆炎が巨体を包み込んだ。


「やったか!?」


騎士たちの顔に希望が浮かぶ。

だが、煙が晴れた先に立っていたのは、表面が少し黒ずんだだけの、無傷のゴーレムだった。


「ば、馬鹿な……私の魔法が……」


ゼクスが膝から崩れ落ちる。絶望が、その場にいる全員の心を支配した。

その、時だった。


「――ふむ」


場違いなほど落ち着いた声が、戦場に響いた。

いつの間にか現れていたジンが、腕を組み、感心したようにゴーレムを眺めている。


「素晴らしい……実に素晴らしいぞ、あいつは」

「ジ、ジン様!?」

リリアが慌てて駆け寄る。

「感心してる場合じゃないです! 早く、あなたの魔法で!」

「ああ、分かっている。だがリリア、よく見てみろ。あの岩の質感、あの重量感……」


ジンはうっとりとした表情で、言葉を続ける。


「――まさに、デッドリフトに最適なバーベルだ」

「は?」


リリアと、近くで聞いていたゼクスの声が、綺麗にハモった。

バーベル? 今、この人はこの歩く天災を、何と言った?


次の瞬間、ジンの姿が消えた。

いや、消えたのではない。常人には捉えられない速度で、ゴーレムに向かって走り出したのだ。


「おおおおっ!」


雄叫びをあげながら、ジンは巨大なゴーレムの懐に潜り込むと、その岩の足をがっしりと掴んだ。


ミシミシ……と、信じられない音が響く。


「な……何を……」

ゼクスが呆然と呟く。


「ぬんっ!」


ジンの掛け声と共に、大地が揺れた。

いや、違う。大地が揺れたのではない。

あの巨大なエンシェントゴーレムが、ほんの少し、宙に浮いたのだ。


「うおおおおおおおおおお!」


ジンの全身の筋肉が、ありえないほどに隆起する。

その肉体から放たれるのは、魔力とは似て非なる、黄金色のオーラ。本人曰く、「神聖筋力(ゴッドマッスル)の輝き」である。


そして――。


ズシンッ!!!!


エンシェントゴーレムは、まるで巨大なバーベルのように、ジンの肩まで担ぎ上げられた。


「…………は?」


ゼクスは、自分の見ているものが信じられなかった。

騎士たちも、口をあんぐりと開けて固まっている。

リリアだけが、空を仰いでいた。

(ああ、もう……やっぱりこうなるのよね……)


「よしっ! いくぞ、一回!」


ジンはゴーレムを担いだまま、ゆっくりと腰を落とし始めた。

そう、それは紛れもなく――スクワットだった。


ギギギギギ……!!!


ゴーレムから、悲鳴のような軋む音が聞こえる。

それは、本来ありえないことだった。感情を持たないはずの古代兵器が、まるで苦痛に耐えているかのように、その巨体を震わせている。


「おおっ! この負荷、実にいい!」


ジンの顔は、喜びに満ちていた。

最高のトレーニングパートナーを見つけた子供のように、彼の瞳はキラキラと輝いている。


「き、効いてるぅぅぅぅぅ!」


どこからか、そんな幻聴が聞こえた気がした。


「二回!」「三回!」


ジンがスクワットを繰り返すたびに、ゴーレムの体に亀裂が走っていく。

負荷に耐えきれなくなった古代の魔法回路が、ショートを起こしているのだ。


そして、運命の十回目。

ジンが力強く立ち上がった、その瞬間。


バキィィィィィィィィンッ!!!!


エンシェントゴーレムは、甲高い断末魔のような音を立てて、内側から弾け飛んだ。

粉々になった岩の破片が、キラキラと夕日を反射しながら舞い落ちる。


静寂が、戦場を支配した。

やがて、誰からともなく、割れんばかりの歓声が沸き起こった。


「うおおお! 大賢者様、万歳!」

「す、すごい……あれが、伝説の大賢者の『魔法』……!」


人々は口々に、ジンの新たな「魔法」を賞賛した。

ゼクスはただ、その場でへたり込み、「私の知る魔法の体系は……今日、崩壊した……」と力なく呟いている。


熱狂の中心で、ジンは心地よい汗を拭いながら、満足げに息をついた。


「ふう……。いいトレーニングだった」


その言葉を聞き届けたリリアは、一人、頭を抱えて天に向かって絶叫した。


「あれは魔法じゃなぁぁぁぁぁいっ! ただの脳筋よぉぉぉぉぉぉぉっ!」


彼女のツッコミが、王都の空に虚しく響き渡った。

こうして、後に『賢者の大圧殺グレートスクワット』として語り継がれることになる伝説の、一ページ目が刻まれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る