真夏の昼の月

sui

真夏の昼の月

真夏の昼、空は刃物のように澄み切っていた。雲はなく、陽射しは容赦なく降り注いでいた。

けれど、その青の奥に、ひとつだけ白く沈むものがあった。淡く、輪郭のほどけた昼の月。


少年は立ち止まり、息を呑んだ。

それは、ただの天体ではなかった。

夜の月が「見守る者」なら、昼の月は「呼びかける者」だ――そう、直感が告げていた。


瞬きの間に、世界は静まり返った。蝉の声も、風も止み、

空と月だけが、この世を支配していた。


「やあ、また会えたね」

声は耳ではなく、胸の奥底で響いた。

その響きは、彼がまだ名前も持たなかった頃の記憶を震わせた。

幼い頃に見た夢――あの透明な海と、逆さに沈む月の風景――が蘇る。


月は言った。

「君はまだ忘れていない。だから、渡しておく」


光は音もなく降りてきて、少年の掌に冷たい重みを残した。

次の瞬間、真夏の蝉時雨が世界を満たし、昼の月は空の奥に溶けていった。


掌を開くと、そこには形を持たない輝きが脈打っていた。

それは記憶の種なのか、未来の欠片なのか――少年にはまだ分からなかった。

ただひとつ確かなのは、その光が消える前に、自分は旅に出ることになる、ということだけだった。

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真夏の昼の月 sui @uni003

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