第85話 気ままな役者たち

 翌朝。

 まだ夜も明けきらぬ薄暗い時間から、俺は、がたがたと騒がしい物音で目を覚ました。

 何事かと縁側に出てみると、そこには、すでに完璧な臨戦態勢を整えた「黄昏の旅団」の三人の姿があった。


​「フン、セイヤッ!」


 カイさんは、巨大な剣を素振りしながら、朝日の中でウォーミングアップに励んでいる。

 その剣先が俺が干している洗濯物をかすめて、ひやりとした。


「深淵よりいでし言霊よ、我が舌先に宿りて回れ……!」


 凛子さんは、何かの呪文を唱えているのかと思いきや、どうやらただの早口言葉で滑舌の練習をしているらしい。

 そして、屋根の上。いつの間に登ったのか、エルフの玲央くんが静かに腰を下ろし、「周辺の警戒」にあたっていた。


 ​俺は、まだ半分眠っている頭で近所迷惑になるからと彼らに静かにするよう、お願いするのが精一杯だった。


 ​彼らのお目当ては、夜明けと共に立ち込める朝霧だった。

 その狙い通り、ダンジョンの入り口付近には、朝日を浴びてキラキラと輝く、幻想的な霧が立ち込めている。最高のロケーションにカイさんのテンションは最高潮だ。


​「よし、撮影を開始する! レオ、君はあの岩の上から、鋭い眼差しで周囲を警戒してくれ! リナ、君はダンジョンの入り口を希望と不安が入り混じった、絶妙な表情で見つめるんだ! そして、先陣を切るこの俺を背後から撮る!」


 彼は、もはやただの会社員ではない。

 一軍を率いる歴戦の監督の顔つきだ。


 俺の隣でリサが「面白そう!」と、自分のスマホで、その撮影風景をさらに撮影するという、入れ子構造のような状況になっている。


​「――いざ、行かん! 伝説の眠る、深淵へ!」


 カイさんが勇ましい決め台詞と共に、ダンジョンの入り口へと英雄のように一歩を踏み出した、その時だった。


​ずるっ。


「ぐはっ!?」


 ​朝露に濡れた木の根に足を滑らせ、彼は盛大に顔面から地面へと突っ込んだ。金属に見えるプラスチック製の鎧が、ガシャン! と、なんとも情けない音を立てる。


​「だ、大丈夫ですか、カイさん!」


「……問題ない。これも試練だ」


 彼は威厳を保とうと必死に顔を上げるが、鼻の頭には、ばっちりと泥がついていた。


 ​気を取り直して、テイク2。

 今度こそ、カイさんが入り口へと歩を進め、感動的なモノローグを語り始める。


「我々は、今、古の伝説へと足を踏み入れる。眠りし竜の財宝か、あるいは失われし王国の謎か。この先に、何が待っていようとも……」


 ​その最高の見せ場をぶち壊すように。

 ダンジョンの入り口から、ひょっこりと一匹のゴブリンが顔を出した。

 

 我らが二代目ゴブ吉だ。

 彼はゴブ吉の仕事を引き継いだゴブリンの一人である。

 そんな彼が英雄たちの壮大な旅立ちなどお構いなしに、先代ゴブ吉が愛用さていた小さな箒を取り出すと、入り口の周りの落ち葉をせっせと掃き始めたのだ。


 完璧なまでの日常業務。

 ​壮大なシーンに、突如として紛れ込んだ、あまりにも生活感あふれる存在。


 カイさんは一瞬動きを止めたが、さすがはリーダーだ。即座にアドリブで対応する。


「ほう、この聖地の案内人が我々の旅立ちを見送りに来てくれたか!」


 だが、ゴブ吉は、そんなカイさんの芝居には全く気づかず、彼の磨き上げられたブーツの周りに溜まった泥を丁寧に掃き集め始めた。


​ 次に、撮影は凛子さんのシーンへと移った。

 水たまりのそばに佇む、一体のスライム。

 彼女は、その前にそっと膝をつくと目を閉じ、水の精霊と交信する、という設定のシーンを演じ始める。


「……聞こえますか、水の同胞よ。我らに、この先の道を示したまえ……」


 ​すると、スライムは、その神秘的な呼びかけを「遊んでくれるの?」という合図だと勘違いしたらしい。

 次の瞬間、ぷるん! と高くジャンプすると、見事な放物線を描いて、凛子さんの美しい顔面へと、ぴしゃりと張り付いた。


​「ひゃあっ!?」


 神秘的な魔道士の口から素の可愛らしい悲鳴が上がる。


​ 撮影は完全に惨憺たる状況だった。

 気ままな役者モンスターたちは、監督の言うことなど全く聞いてはくれない。


「ぐぬぬ……! この聖地の住人たちは、我々の物語に従おうとしないというのか……!」


 カイさんが本気で悔しがっていると、それまで静かに周囲を眺めていた玲央くんが、すっと森の一角を指さした。


​「……カイ。リナ。見て」


 ​彼が指さす先。

 朝の木漏れ日が、まるでスポットライトのように森の地面を照らし出している。

 そして、その光の中でキノコうさぎの親子が苔の上についた朝露を夢中になって、ぴちゃぴちゃと飲んでいた。


 ただ、それだけの光景。

 何の演出も、何の演技もない。

 ​だが、それは彼らが作り出そうとしていた、どんなシーンよりも、圧倒的に美しく幻想的な光景だった。


 カイさんも、凛子さんも、そのあまりの美しさに、ただ言葉を失って立ち尽くす。

 ​玲央くんは静かにカメラを構えると、コスプレをした仲間たちではなく、森の奥で繰り広げられる、ありのままの奇跡の光景にシャッターを切った。


 凛子さんがぽつりと呟く。


「……本物、だ」


 ​カイさんは、目の前の光景と自分の手にある立派すぎる剣を静かに見比べた。

 

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